究みのStoryZ

社会の思考を深め、科学・医療を前に進める。

医学系研究科・教授・加藤和人

ES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)などから作成した組織や臓器を患者に移植し、損なわれた機能の回復を図るのが「再生医療」の狙いだ。生命科学の進歩が扉を開いた「夢の医学」だが、将来はヒトの精子や卵子をつくることも可能になるかもしれない。また近年では遺伝子をピンポイントで改変できる「ゲノム編集」の発達が目覚ましい。難病治療などに大きな期待が寄せられる半面、親が望む容姿を持たせた「デザイナーベビー」の誕生も絵空事ではなくなっている。人類の福音となり得る先端医療も、一歩誤まれば私たちの生命観・倫理観を根底から覆す危険性を秘めている。何が許され、何が許されないのか。医師・研究者だけでなく、社会全体で幅広く考えていくべき課題だ。大阪大学医学系研究科の加藤和人教授(医の倫理と公共政策学)は、医師や生命科学研究者と、人文社会科学系の研究者の世界を行き来しながら、「上からの一方的な規制ではなく、ボトムアップ型の研究ガバナンス」の実現を目指している。


再生医療を多面的な観点で

2014年再生医療等安全性確保法が施行された。これに基づき、主要大学や研究機関などに再生医療の臨床研究や医療としての提供を審査をするための委員会が設置され、iPS細胞などを利用した医療や研究の計画について、様々なバックグラウンドを持つ委員が妥当性を議論することが法律により定められた。それまでの法的拘束力のないガイドラインのみの状況とは異なり、科学的・倫理的に問題のある医療行為を取り締まったり、様々な再生医療の臨床研究に関してリスクの種類や程度に応じた審査を義務付けたりすることで、健全に推進することを目的としている。大阪大に設置されている委員会には、大阪大の医師だけでなく、国立循環器病研究センターや京都大iPS細胞研究所など他機関の専門家、弁護士、患者団体のメンバー、一般市民らが委員に選ばれている。生命倫理の専門家である加藤教授も委員の一人だ。これまでに角膜や心筋細胞シートの移植のほか、理化学研究所などが実施した網膜細胞の移植手術など世界で初めてとなる計画を審査。技術的な妥当性だけではなく、患者さんへのインフォームド・コンセントが適切かどうか、などを幅広く議論してきた。
加藤教授は「たとえばiPS細胞からつくった網膜や心筋を移植する場合、どのように細胞を培養したか、がんになる恐れはないか、不具合が起きた場合にどう対処するか、などを議論します。世界で初めてのことをやるわけですから、最も大切なことは安全性であり、動物実験の結果など詳細なデータも申請者に提出してもらいます。しかもそれを患者さんに正しく説明し、研究への参加を自由意思で決めていただかねばなりません。インフォームド・コンセントのやり方が本当に分かりやすいものになっているかどうかも、大切な検討項目です。私は生命倫理の立場で審査に加わっていますが、専門の枠にとらわれず、委員全員が疑問に思ったことを自由に質問し、議論をする場なんです」という。
こうした委員会のほか、国の審議会、国際的な学術団体の委員を務めるなかで強く感じていることがある。それは「専門家が最先端の研究内容を分かりやすく一般市民に説明し、その際に得られた意見や批判、建設的提案を社会と共有しながら研究計画に取り入れていく」という姿勢が日本ではまだまだ足りないということだ。
その意味で期待を寄せているのが、「サイエンスカフェ」などの試みである。

市民の理解と信頼に基づく研究を

たとえば大阪大では、「社会と知の統合」を目指すCOデザインセンターが、再生医学に限らず、さまざまな分野の専門家と市民が肩ひじ張らず語り合う場としての「サイエンスカフェ」を開いている。「再生医療」をテーマに昨年開かれたカフェには加藤教授がゲストとして招かれ、市民15人と「再生医療のあるべき未来像」を議論した。
特徴的なのが、専門家の解説を一方的に聞くのではなく、市民が数人ずつのグループに分かれ、「再生医療に何を期待するのか」「どのような不安があるのか」などを自分たち自身の問題として語り合うことだ。
加藤教授は「市民と対話を続けていると、とても本質的な質問を受けることがあります。たとえば『再生医療を進めると、お金持ちだけが治療を受けられるようになり、格差が広がるのではないか』など。そんなとき私は『僕らも考え切れていないので、一緒に考えてくれますか』としか答えられない。専門家にだって、答えは完全には分かっていないのです。ただこういう対話を繰り返すことが、社会の中で思考を深めることにつながる」と話す。
最先端の研究競争にしのぎを削る医師や研究者にとっても、市民との対話から学ぶことは多い。
「基礎研究に携わる若い研究者がサイエンスカフェに参加したとします。そこで出会った方がふともらした家族についての悩みが、彼らや彼女らに自分の研究の意味を考えさせるきっかけにだってなりうる。細分化された研究の中で、みんな自分の研究領域が大切だと思っています。しかし領域ごとの相対的重要度は誰が判定するのか。専門家だけで決めることはできない。専門家は謙虚になるべきです」
社会を大きく変えるような新しい技術について、科学者と市民、他分野の専門家が対等な立場で議論を尽くし、理解と信頼に基づいた研究計画をデザインするために重要となるのが「ELSI」(エルシー)に関する取り組みである。大阪大では2020年4月、ELSIに関する全国初の総合的研究拠点「社会技術共創研究センター」(ELSIセンター)が誕生する。

科学技術の倫理的・法的・社会的課題を考える

聞きなれない言葉だが、「ELSI」とは「倫理的・法的・社会的課題」(Ethical, Legal, and Social Issues)の頭文字からとったもので、もともとはヒトゲノム研究をめぐる議論を通じて生まれた考え方だ。
人間が持つすべての遺伝子を解読する「ヒトゲノムプロジェクト」が1990年に米国を中心とする国際共同研究としてスタート。こうした研究は、がんのメカニズム解明などに期待が持たれる半面、「究極のプライバシー」である遺伝情報を扱うことによる差別の発生など、社会的影響も懸念された。研究による影響を多くの観点から予測し、それにどう対処すべきかを考えるため、倫理学や哲学、法律学、社会学など幅広い領域から専門家が動員されたのが初めという。その後、生命科学に限らず、情報技術やAI(人工知能)などの新しいテクノロジーにも対象が広がっている。
ゲノム研究の国際プロジェクトで研究指針策定にも携わった加藤教授は、ELSI研究の必要性について、「科学技術の進め方を大きな視点から考える人がいなければ、たとえ個別の科学研究が強くても、日本の科学は世界から相対的に劣っていくでしょう。自分と異なることから学べるという専門家の態度が、人類文明のこれからのカギを握るはずですから」「科学者や多様な分野の人たちとともに活動しながら、よりよい科学の進め方を考えるのがELSI研究の特徴であって、科学研究を理解せずにいい加減にブレーキをかける活動ではありません」と説明する。
人類にとってポジティブな武器であると同時に、決して使い方を誤ってはならない科学技術。「生命科学や情報技術の発達により、今までできなかったことが驚くほどのスピードで可能になっている。専門家だけが技術開発の方向を決めるだけでは、科学技術のよい使い方を見出すことはできない。京都大iPS細胞研究所の山中伸弥教授も、ゲノム編集の倫理問題を本気で心配しておられますが、トップクラスの研究者ほど自分と異なる意見に対して謙虚で、他分野の人と一緒に考えようとしています。個々の研究を進めながら、同時に、人類文明のゆくえのような大きな問いを考えることができる人が、今後の科学技術の方向を決めるリーダーになる時代を迎えているのです」

加藤教授にとって研究とは

人類文明のゆくえ(=今と未来)について考えること 科学と社会の接点、医学・医療と社会の接点を通じて、社会の今、学問の今、グローバルな課題、などが見えてくる。

●加藤 和人(かとう かずと)
大阪大学大学院医学系研究科 教授
1984年    京都大学理学部卒業、89年同大学院理学研究科博士課程生物物理学専攻修了、理学博士。英国Cambridge大学研究員、JT生命誌研究館研究員などを経て、2001年京都大学人文科学研究所助教授。2012年より現職。
内閣府・総合科学技術イノベーション会議・生命倫理専門調査会専門委員、理化学研究所神戸事業所・研究倫理第一委員会委員長、世界保健機関(WHO)のヒトゲノム編集に関する委員会委員などを務める。

(2020年1月取材)