着床前診断、「重篤な疾患」どう判断?

着床前診断、「重篤な疾患」どう判断?

着床前診断をめぐる規制の枠組みを詳しく解明

2022-6-10生命科学・医学系
医学系研究科教授加藤 和人

研究成果のポイント

  • 日本、英国、オーストラリアにおいて、単一の遺伝子に対して遺伝子異常を調べる着床前診断(PGT-M)に対する規制の枠組みの詳細を明らかにした。
  • PGT-Mの実施を検討する際の疾患の重篤性を定義する基準や要因、およびそれらに基づいて、申請を審査する際の判断方法は、明確に記述されていなかった。
  • PGT-Mに関する規制の方法は、ある特定の疾患に関するケースが承認されるかどうかだけでなく、各国ごとに定められた審査方法(疾患リストの有無、ケースバイケース審査)自体によっても社会的な影響をもたらしうるということが示唆された。

概要

大阪大学大学院医学系研究科の大学院生の仲里ケイトさん(修士課程)、加藤和人教授(医の倫理と公共政策学)、大学院人間科学研究科の山本ベバリー・アン教授は、20年間以上の生殖技術を規制する経験のある、日本、英国、オーストラリアの審査方法を比較、検討し、各国においてPGT-Mを利用するための医学的適応、申請の審査方法、審査の際に考慮すべき観点(レビュー・フレームワーク)を明らかにしました(表1)。

着床前診断(PGT)は、体外受精の際に、子宮に移植させる前の胚を診断するために用いられる技術です。胚が着床する前に検査を行うことで、良好な形質をもつ胚(遺伝異常をもたない胚)を選択し、それ以外の胚は廃棄するか、基礎研究のために保存することができます。なかでも、単一の遺伝子に対して遺伝子異常を検査するPGT-Mは、遺伝的リスクのある人が、深刻な遺伝的疾患を受け継ぐことなく、遺伝的関連のある子どもを持つための新たな選択肢が生まれます。諸国のPGT-Mに対する規制の枠組みを比較した先行研究において、多くの先進国ではPGT-Mの利用が「重篤な」遺伝性疾患をもつ子の誕生を避けることに限定されていると示されています。しかしながら、疾患の重篤性を定義するための基準や要因と、これらに基づいてPGTの申請を審査するための観点は、明確に記述されていませんでした。

 今回、研究グループは、日本、英国、オーストラリアのPGT-Mに対する規制の枠組みを検討し、比較的ケーススタディを実施しました。研究結果からは、PGT-Mに関する規制の方法は、幅広いステークホルダーに対して医学的・社会的影響を及ぼす可能性があり、その影響は、ある特定の疾患に関するケースが承認されるかどうかだけでなく、審査方法自体によっても生じうるということが示唆されました。本研究成果は、今後PGT-Mに対する規制を新たに確立または更新する際に、有用な知見となることが期待されます。

 本研究成果は、「Human Genomics」に、5月18日(水)に公開されました。

表1. 審査方法

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**:事前承認リストに入っていない疾患を承認する際のみ、それ以外の場合、指摘されたテストセンターで実施

研究の背景

PGTに関する倫理的・法的・社会的課題(ELSIs)は多数存在します。社会的課題という点では、疾患や障害を持つ人々に対するスティグマや差別を悪化させるリスクが特に懸念されています。

諸国におけるPGT-Mに対する規制の枠組みを比較した先行研究によると、多くの先進国ではPGT-Mの利用が「重篤な」遺伝性疾患をもつ子の誕生を避けることに限定されていることが示されています。しかし、この場合に、疾患の重篤性を定義するための基準や要因と、これらに基づいてPGTの申請を審査するための決定方法は、明確に記述されていませんでした。そこで研究グループは、これらの詳細をより良く理解し、社会的な含意を考慮する必要があるのではないかと考えました。

この考えのもと、研究グループは、生殖技術を規制する経験が長く、PGTの利用を規制する機関から詳細な政策文書を公開にしている日本、英国、オーストラリアを選択し、各国におけるPGTの規制の枠組みを検討・比較することを目的として研究を行いました。最初に、各国における規制の枠組みを把握するため、生殖技術を規制する機関と、それらの機関から作成されたPGTに対する政策を検討しました。次に、各国の政策文書を「医学的適応」「審査方法」「レビュー・フレームワーク」の3つの点で分析しました。最後に、各国の状況をこの3つの点に関して比較し、相違点により社会的な影響を議論しました。

研究の内容

本研究の結果により、各国のPGT-Mに対する規制の枠組み、医学的適応、審査方法、レビュー・フレームワークの詳細が明らかになりました。医学的適応とは、PGT-Mが承認される条件のことです。審査方法とは、PGT-Mを希望する人の個々の状況が指定機関の重篤性の基準を満たすかどうかの意思決定プロセスです。レビュー・フレームワークとは、ケース・バイ・ケースの際に用いられる基準や観点のことです。また、審査の際に考慮される医学的・社会的要因も含まれ、これらが重篤性の基準を構成すると考えられます。

 先行研究で報告されているように、本研究においても、すべての国の政策がPGT-Mの利用を判断する際に、「重篤」という用語を使用していることが明らかになりました。さらに、対象となる遺伝的異常は、子どもに臨床症状として現れるものでなければならないと規定されています。この規定は、PGT-Mを用いて回避しようとされる対象が、遺伝的異常そのものではなく、遺伝的異常により生じる、症状、障害、苦痛であることを示しており、非常に重要な点です。

 各国は、様々な審査方法とレビュー・フレームワークを使用しています。英国では、事前承認リストは指定機関により管理されていますが、リストに掲載されている疾患は非常に多いため、最終的な判断は、PGT-Mを希望する人を診療している指定検査機関の医師に委ねられます。日本とオーストラリアでは、PGT申請が指定機関にケース・バイ・ケース審査で(1件ごとの事情を応じて)承認されます(表1)。

 ケース・バイ・ケース審査を行う際に、オーストラリアでは医学的・社会的要因リストが使われます。一方、日本では、最近2021年に改訂された疾患の重篤性の定義を用いて審査が行われます。英国では、診断したい疾患が事前承認リストに含まれていない場合のみ、ケース・バイ・ケース審査が行われ、その際は医学的・社会的要因リストが使用されます。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

現在、PGTとその関連技術(特にヒトゲノム編集)については、世界中で広く議論されており、詳細かつ明確な基準に基づく規制の枠組みや政策の必要性が明らかになりつつあります。これに対して、本研究は、PGTの枠組みのない国に対してだけでなく、規制の枠組みをすでに確立しているが政策を更新することが検討されている国に対しても、有用な知見となり、最新の遺伝・生殖技術に関する社会の中での議論に新たな観点を加えるものであると期待されます。

特記事項

本研究成果は、2022年5月18日(水)に「Human Genomics」に掲載されました。

タイトル:“Evaluating standards for ‘serious’ disease for preimplantation genetic testing: a multi-case study on regulatory frameworks in Japan, the UK, and Western Australia”
著者名:Kate Nakasato1, Beverley Anne Yamamoto2 and Kazuto Kato1*(*責任著者)
所属:
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学
2. 大阪大学 大学院人間科学研究科 

DOI:.https://doi.org/10.1186/s40246-022-00390-3

参考URL

加藤和人教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/db675c8dabc95741.html

用語説明

PGT-M

重篤な遺伝性疾患を対象に、特定の単一の遺伝子において遺伝子異常を調べる着床前診断(PGT: preimplantation genetic testing)。PGTには、PGT-Mの他に、染色体数を調べるPGT-Aや染色体の構造異常を検査するPGT-SRがある。