日本とスイスの比較研究により がんゲノム医療の公平性に関する倫理的課題を明らかに

日本とスイスの比較研究により がんゲノム医療の公平性に関する倫理的課題を明らかに

患者さんへのより良い遺伝医療の提供に向けて

2024-4-26生命科学・医学系
医学系研究科教授加藤和人

研究成果のポイント

  • 日本とスイスを対象とする二国間比較研究を通して、がん遺伝子パネル検査への公平なアクセスをめぐる倫理的課題を明らかにした
  • これまでの先行研究は主に欧米の現状や、文化や制度が類似した国の間での比較が中心であったが、本研究によって、これまで対象とされてこなかった日本とスイスのがんゲノム医療における公平性の問題とそれに関する共通点が明らかになった
  • より公平な遺伝医療の実装に向けて ①がん遺伝子パネル検査の提供が可能な医療機関、②がん遺伝子パネル検査などについての患者さん向け情報提供、③保険収載の対象 という考慮されるべき3点を提案した
  • 今後のがんゲノム医療がより公平に実装されるための参考になることに期待する

概要

大阪大学大学院医学系研究科の大学院生の仲里ケイトさん(博士課程)、加藤和人教授(医の倫理と公共政策学)、カロッタ・マンズさん(博士課程、University of Lausanne)らは、日本とスイスにおけるがん遺伝子パネル検査への公平なアクセスをめぐる倫理的課題を明らかにしました。

がん遺伝子パネル検査とは、患者さんのがん細胞の遺伝子変異を調べ、一人一人の病状に合わせた治療を特定しうる検査です。複数の国では、この検査の実装を事業化することによって推進している一方、患者さんのアクセスに関する公平性の課題も大きく生じていると指摘されてきました。また、これまでの先行研究は、主に欧米の現状に限られ、他の国の現状については明らかにされていませんでした。

今回、本研究グループは、文化や人口規模、医療制度が異なる日本とスイスとの間で比較研究を実施し、倫理的観点から公平性をめぐる課題を議論しました。その結果、これまで公平性の観点が議論されていなかった国の間でがんゲノム医療における公平性の問題とそれに関する共通点を明らかにし、今後、考慮されるべき点を3つ提案しました:1)がん遺伝子パネル検査の提供が可能な医療機関、2)がん遺伝子パネル検査などについての患者さん向け情報提供、3)保険収載の対象 これにより、今後の遺伝医療がより公平に実装されるための参考になることが期待されます。

本研究成果は、「Frontiers in Genetics」に、1月26日(金)(日本時間)に公開されました。

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表1. 検査を提供する医療機関

研究の背景

日本を含む複数の国では、がんゲノム医療を日常的ながん治療に活用することが検討され、さらにそのうちの一部の国では既に実施されています。同時に、最先端医療の実装に伴う倫理的・社会的課題が生じていることも指摘されており、適切な対応がないとがんゲノム医療の利益は平等に分配されないという問題があります。

これまでの先行研究では、がん遺伝子パネル検査のコストや保険収載の有無などが、患者さんががんゲノム医療へのアクセスする際の大きな障壁となっていると指摘されていました。しかし、これらの調査は主に欧米の現状に限られ、他の国の現状については明らかにされていませんでした。さらに、ほとんどの比較研究は文化や制度などが類似した社会・国に限られており、それらが異なる国の間で比較することによって明らかにできる、遺伝医療ならではの共通点と課題に対する研究も不足していました。

日本は人口が比較的多く、また国によって医療政策が決定され各地域で実行されます。一方、スイスは人口が比較的少なく、各州で医療政策や制度が定められ実施されます。このように、二国の違いは明確です。同時に、両国とも国民健康保険制度がある一方、高齢化が進み、がんの罹患者数が増え、公衆衛生上、大きな課題になっているという共通点もあります。この課題に対し、両国はがんゲノム医療を促進するための取り組みを推進しています。

日本とスイスを比較することで、患者さんのアクセスを障壁としている要因についてより深く理解し、世界的な状況をより広く理解することにつながるだけでなく、がんゲノム医療の実施に関連する共通の課題を明らかにすることができると考えました。

研究の内容

本研究グループでは、日本の厚生労働省とスイスの連邦公衆衛生局(Federal Office of Public Health, FOPH)による公式文書や、遺伝子パネル検査を提供している病院のウェブサイトなどを対象に文書調査を行いました。得られた情報をもとに比較研究を行い、がんゲノム医療の公平性を推進するために考慮されるべき点を以下の通り3つ提案しました。

① がん遺伝子パネル検査の提供が可能な医療機関
日本では260か所の病院が指定されており、それらの病院では2024年1月時点で保険適用となっている5つの遺伝子パネル検査全てが提供されています。これらの病院は全国各地に存在しますが、その多くは都市部にあります。それに対してスイスでは、病院によって提供されている遺伝子パネル検査の種類が異なり、病院によって使用される言語が異なる場合もあります。つまり、この二国は先進国であっても、がんゲノム医療のような最先端技術ならではのアクセスに関する不平等や格差が生じうるという共通点が挙げられます。

② がん遺伝子パネル検査などについての患者さん向け情報提供
日本では患者さん向け情報は主に国立がん研究センターから提供され、オンラインで入手が可能です。この情報はがん遺伝子パネル検査だけでなく、日本で提供されているNCCオンコパネルという検査の利用に関するデータや、データ管理のインフラ、保険適用なども含みます。がん遺伝子パネル検査に関する情報が総合的に網羅されており、詳細な情報まで入手することができますが、個々人の患者さん自身の状況に何が当てはまるのかは明確でない場合も予想できます。スイスでは患者さん向けの情報は明らかに少なく、情報提供は担当医師の役割となっていると考えられます。患者さん向け情報を増やすことが望ましいと考えられる一方で、担当医師によって提供された情報は個々の患者さんの状況により合ったものになり、過剰な情報提供を避けることができるかもしれません。つまり、どの国でもがんゲノム医療や他の最先端技術についての情報を提供する際に、十分かつ適切な提供方法は何かを考えないといけないという点が、今回明らかになった二つ目の共通点です。

③ 保険収載の対象
日本では、図に示した5つの検査のみが保険適用になっています。さらに患者さんの治療段階によって遺伝子パネル検査が保険適用されるかどうかが決まります。これによって、医療資源の過剰使用を避けることができますが、同時に患者さんにとっては検査へのアクセスが制限されているとも言えます。それに対してスイスでは、がん遺伝子パネル検査だけでなく、担当医師が治療目的であると判断すれば遺伝子検査の全てが保険適用となります。これは、個々の医師の裁量が大きいため、曖昧な面もありますが、こうすることで、より多くの患者さんが手頃な価格で検査を受けられるようになると言えます。また、この二国に共通する問題として、保険適用となっている検査であっても、検査の結果によって効果が期待できそうだと指摘された薬が保険適用となっているとは限らず、またそもそもそうした薬が存在していないという点が挙げられます。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、がん遺伝子パネル検査、またはがんゲノム医療の公平性に関して、より深く考える必要があることが示唆されました。保険適用となっている検査についても、検査が受けられる病院が患者さんにとってアクセスしやすい場所にあるか、患者さん向けの情報が充実しているか、その検査が保険適用となるタイミング、検査によって推奨された薬が保険収載されているかなどは様々です。これらの詳細についても検討し、より公平になるよう努力される必要があります。本研究成果は、日本だけでなく、がんゲノム医療の実装を行っている、または行うことを考えている他の国の参考になることが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2024年1月26日(金)(日本時間)に「Frontiers in Genetics」(オンライン)に掲載されました。

タイトル:“Access, autonomy, and affordability: ethical and human rights issues surrounding multigene panel testing for cancer in Japan and Switzerland”
著者名:Kate Nakasato1, Carlotta Manz2, and Kazuto Kato1* (*責任著者)
所属:
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学
2. Centre of Comparative, European and International Law, University of Lausanne
DOI:https://doi.org/10.3389/fgene.2024.1343720

参考URL

用語説明

がん遺伝子パネル検査

がん細胞に起きている遺伝子の変化を調べ、がんの特徴を知るための検査。遺伝子の変化によっては、効きやすい薬が分かる場合がある。

(国立がん研究センターがんゲノム情報管理センター)

https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/knowledge/cancer_genomic_medicine/panel_test.html

がんゲノム医療

がん遺伝子パネル検査によって、一人一人の遺伝子の変化や生まれ持った遺伝子の違いを解析し、体質や病状に合わせた治療などを行うアプローチ。

(国立がん研究センター)

https://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/genomic_medicine/genmed02.html