不妊治療プロセスにおける 男性のリプロダクティブ・ライツの重要性

不妊治療プロセスにおける 男性のリプロダクティブ・ライツの重要性

「無断受精卵使用」の争いを防ぎ、女性や子どもの権利を守るために

2024-6-12生命科学・医学系
医学系研究科教授加藤和人

研究成果のポイント

  • 近年の日本において、過去に不妊治療の過程で作成した凍結受精卵が、当事者間の関係が悪化したのち、男性の同意なく女性に移植され出産に至ったとして裁判になる事例が発生している。
  • 不妊治療などの生殖補助医療のプロセス(胚移植・精子廃棄等)において、男性当事者の同意が得れていないことにより紛争が生じる場面を、国内の裁判例を調査・分析することで総括的に把握・整理
  • 男性の同意が欠如している背景に、①生殖補助医療に関する法整備の欠如 ②医療機関の問題に限らず、日本の労働環境や古典的な男女役割分担の存在が示唆されること ③生殖における男性の権利義務の範囲(リプロダクティブ・ライツ)の議論が不足していることを指摘
  • 男性のリプロダクティブ・ライツという視座の重要性を提示することで、今後さらに発展する生殖補助医療の運用や法整備の場面において、社会における議論が活性化し、ひいては子どもの福祉が確保されることに期待

概要

大阪大学大学院医学系研究科 村岡悠子 招へい教員(研究当時:大学院生)、人文学研究科 小門穂 准教授(大学院医学系研究科 兼任)、大学院医学系研究科 加藤和人教授(医の倫理と公共政策学)らの研究グループは、生殖補助医療のプロセスで男性の同意が問題となる場面を整理して問題が起こる要因を明らかにするとともに、同意の欠如が生じる背景を分析し、同意の確保に必要な方策を示しました。

近年日本では、過去に不妊治療の過程で作成した凍結受精卵が、男性の同意なく女性に移植され出産に至ったとして裁判になる事例が発生しています。今回、研究グループは、裁判例のデータベースから男性の同意が問題となった事例の抽出と分析を試み、その結果を整理しました(図1)。さらに、生殖補助医療における男性の同意の意義と、同意が欠如する背景を検討しました。

その結果、同意欠如の 問題は、医療機関の同意取得手続きの運用に帰着するのではなく、生殖補助医療に関する法整備の欠如と、日本の労働環境の問題、さらに、男女の典型的役割分担に示唆されることを、諸外国との比較から明らかにしました。

また、女性と生まれてくる子どもの権利保護に、男性のリプロダクティブ・ライツの議論の充実が必要であることが示されました。妊娠や出産の大部分が女性の肉体に関連することから、生殖に関する権利は主に女性を対象に議論されています。しかし、生殖補助医療の発展により配偶子が身体を離れて存在するようになった現代では、生殖に関する男性の権利・義務に関する議論が必要です。男性のリプロダクティブ・ライツの保護は、無断受精卵使用をめぐる裁判のような紛争を防止することになり、女性や生まれてくる子どもの権利確保にも資することになります。 

本研究により、今後ますます発展する生殖補助医療の運用や法整備の場面において、男性の同意の意義・男性の生殖に関する権利という視座が持ち込まれることが期待されます。生殖に関する権利の議論の場面ではマイノリティである男性の権利に着目し、あわせてその裏返しとしての男性の義務を明らかにすることにより、同種紛争の発生を予防し、子どもを持とうとする女性や生まれてくる子どもの福祉に寄与することが期待されます。

本研究成果は、2024年1月18日(木)に国際誌「Asian Bioethics Review」(オンライン)に、公開されました。

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図1. 生殖補助医療において男性の同意が問題となる場面

研究の背景

日本は世界でも有数の生殖補助医療実施国ですが、生殖補助医療に関する法律は、その必要性が認識されながら長年整備されず、学会ガイドラインが運用を担ってきました。2020年に成立した法律(生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律)も、第三者配偶子提供における「夫の同意」については明記する一方で、最も一般的に行われているパートナー間の生殖補助医療での男性の同意に関する言及はなく、課題となっていました。

その日本で、近年、不妊治療の過程で凍結された複数の受精卵が、男女の関係が悪化した後に男性の同意なく女性に移植されて子どもが生まれ、男性が、医療機関や女性、生まれた子を当事者として裁判を起こす例も複数生じています。これらは「無断受精卵使用事件」等と称され報道されるものの、その原因や背景の分析に関する議論は乏しく、そもそも生殖補助医療のプロセスにおいて、どのような場面でどのように男性の同意が問題となりうるのかという点についての総括的な調査は行われていませんでした。また、これまで、生殖や出産の場面に関する多くの研究は女性にスポットライトを当てており、男性に着目したものは相対的に少なく、特に、生殖補助医療における男性の同意の意義や、同意欠如の背景を広く社会的な観点を含めて検討した研究は見当たりませんでした。

研究の内容

研究グループでは、国内裁判例のデータベースから男性の同意が問題になった裁判例を抽出し、報道事例も調査対象に加え、「生殖補助医療のプロセスで男性の同意の有無が問題となる場面」を整理しました。そして、男性の同意の有無が争いになった場面が、精子提供時、凍結胚移植時、精子・配偶子廃棄時の3場面に分類可能であることを示しました。

精子提供時、凍結胚移植時、精子・配偶子廃棄時の多くの場面で男性当事者は医療機関に存在していません。先行研究によると、精液検査の結果説明の場面でも、半数以上で当時者である男性ではなくパートナー女性のみがその説明を受けているという結果が報告されています。その理由を考察したところ、生殖補助医療に関する法整備の欠如や、日本の労働環境、男性が働き女性が生み育てるという男女役割分担の存在が示唆されました。そして、同意が欠如することによって侵害される男性の権利が、財産権だけではなく子どもを産み育てるという自己決定権(リプロダクティブ・ライツの一内容)に及ぶことを、外国の裁判例や国内裁判例の内容を踏まえて整理し、同意の意義を再構築しました。

最後に、生殖の当事者である男性がその当事者性を確保することは、男性の義務の範囲の議論にも結び付くものであり、この議論の場を持つことが、子どもを持つ女性や生まれてくる子の権利のために重要であることを示しました。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究は、生殖補助医療に関する法整備の必要性に加え、生殖補助医療における男性の権利の範囲に関する議論が重要であること、このような議論が翻って男性の義務の範囲を明らかにすることにもつながり、子を望む女性の権利確保や子どもの福祉の確保のための重要な鍵となることを結論づけました。本研究は、パートナー間での生殖補助医療の在り方や、同意の取り方に関する議論の一助となることが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2024年1月18日(木)に国際誌「Asian Bioethics Review」(オンライン)に掲載されました。

タイトル:“The Role of Male Consent in Assisted Reproductive Technology Procedures: an Examination of Japanese Court Cases”
著者名:Yuko Muraoka1, Minori Kokado1,2, and Kazuto Kato1
所属:
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学
2. 大阪大学 大学院人文学研究科
DOI:https://doi.org/10.1007/s41649-023-00274-1

参考URL

用語説明

生殖補助医療

妊娠を成立させるためにヒト卵子と精子、あるいは胚を取り扱うことを含むすべての治療あるいは方法。一般的には体外受精・胚移植(IVF-ET)、卵細胞質内精子注入・胚移植(ICSI-ET)、および凍結・融解胚移植等の不妊症治療法の総称である。

リプロダクティブ・ライツ

性と生殖に関して、自分の身体に関することを自分自身で選択し、決められる権利。