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iPS細胞は手段のひとつ。

患者を救うため医療の限界を超えていく。

医学系研究科・教授・澤芳樹

薬も効かない重症の心不全の患者さんを助ける方法に人工心臓や心臓移植などがある。しかし人工心臓は長く装着していると血栓ができるなどの問題があり、現在は心臓移植を待つ間の「つなぎ」という位置付けだ。ではその心臓移植はといえば、ドナー(提供者)が圧倒的に足りないという現状がある。心不全は日本人の死因の第2位を占め、患者数は増加の一途。有効な手立てを講じることは急務といえる。こうした要請に応えようと、大阪大学医学系研究科の澤芳樹教授(心臓血管外科)は、患者さんから採取した筋肉の細胞を培養し、シート状にして心臓に貼り付け機能を回復させる再生医療に世界で初めて成功。さらにiPS細胞(人工多能性幹細胞)からつくった心筋細胞シートによる臨床研究では、2020年1月に重症心筋症の患者さんへの移植を実施するなど、心臓における再生医療のトップランナーであり続ける。一方で日本再生医療学会理事長として、再生医療の発展に向けた旗振り役も務めている。

iPS細胞は手段のひとつ。

新しい治療を模索

江戸時代末期、緒方洪庵によって開かれた「適塾」の流れをくむ阪大医学部。心臓外科は1956年に日本で初めて人工心肺を用いた開胸手術を成功させ、1999年には臓器移植法施行後初となる心臓移植を手がけるなど、常に最前線の治療にチャレンジしてきた。それだけに現場の厳しさは格別で、澤教授が医局入りした1980年ごろは「世界で一番厳しい医局」「泣く子も黙る心臓外科」などとささやかれていたという。
澤教授は「第一外科教室では、和田移植(1968年)以来、日本でタブーとなっていた心臓移植を再開させようと、川島康生先生や松田暉先生らが努力を重ねておられた。そして1999年に松田先生の執刀で、31年ぶりとなる心臓移植が行われました。しかし移植が必要な患者さんは毎年1000人ほどいるのに手術を受けられるのは阪大で年間約20例、日本全体でも70例くらいしかありません。絶対的にドナーが足りないのです。こうした状況の中で、私たちの間で新しい治療が必要だろうという議論がありました。その一つが患者さんの心臓を残し、細胞を移植して機能回復を図る再生医療です」と話す。   

ハートシート ® の誕生

大きなステップとなったのは東京女子医科大学の岡野光夫名誉教授との出会いだった。もともとは工学部応用化学科出身の岡野名誉教授は、特殊な高分子を敷いた上で培養することで細胞をシート状にする技術を開発、医療に役立てようと模索していた。
「筋肉のもとになる筋芽細胞を注射器で注入する臨床研究が海外でなされていました。しかし、うまくいきませんでした。それはタンパク質分解酵素でバラバラにした状態で移植するため、細胞が傷んでしまうからです。ところがシート状にすると、細胞のクオリティを高く保ったまま移植できます。注射器だと1割くらいしか細胞は生着しませんでしたが、シートだとほとんどが生着しました」
動物実験を重ねたうえで2007年に拡張型心筋症の男性に細胞シートを初めて移植した。患者さんの太ももから採取した筋肉から筋芽細胞を培養し、直径数㌢の薄い細胞シートを作成。それを弱った心臓の周りにまんべんなく貼り付けるというものだ。すると男性の心臓は機能を回復し、約3カ月で退院した。筋芽細胞シートから分泌されたサイトカインが弱った心臓の筋肉に新しく血管をつくり、活性化させたのだ。男性は装着していた人工心臓を取り外し、13年たった今も愛犬を散歩に連れていくなど元気に生活を送っているという。このシートは2016年に世界初の心筋再生治療製品(商品名・ハートシート ® )として保険適用された。

iPS細胞への期待

だがこの細胞シートにも課題があった。それは太ももから筋肉を採取するときと、シートを心臓に貼るときの2回手術をしなければならず、患者さんの負担が大きいことだ。細胞培養に時間もかかる。また心臓の状態がある程度良くないと、十分な効果が得られない。そして本人の治療のためだけにその細胞を培養することはオーダーメイドの治療といえ、コストが高く、広く普及させるには限界がある。
そこに登場したのが京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授が樹立し、ノーベル賞に輝いたiPS細胞だった。iPS細胞はさまざまな細胞に分化する能力を持つ。他者のiPS細胞を使って事前に心筋の細胞シートを用意しておけば、ニーズに応じすぐに移植できる。手術も1回で済み、負担は軽くなる。オーダーメイドで洋服をつくる代わりに、既製服を買ってすぐに着る感覚といえる。
澤教授は「私たちが筋芽細胞でやってきたことを、iPS細胞でやれば次の展開がひらけるだろう」と直感していた。2008年1月に山中教授から共同研究の申し出があった。ヒトのiPS細胞が樹立されてまもないころだ。前年暮れのニュースで筋芽細胞シートを移植された患者さんが元気で退院する姿を見てのことだった。
京大から提供されたiPS細胞をもとに研究に取り組み、ヒトiPS細胞からつくった心筋細胞シートを心筋梗塞のブタに移植、心機能が改善できることを実証した論文を2012年に発表した。同じ年に山中教授がノーベル賞を受賞した。
こうしたことが追い風となり、2013年に再生医療実現に向けた国家的プロジェクトがスタート。目の網膜疾患については理化学研究所が、パーキンソン病については京都大学が、脊椎損傷については慶応大学が、そして心疾患については大阪大学が研究拠点に選ばれた。

さまざまな壁を乗り越えて

だがその後の道のりは平たんなものではなかった。2014年に理化学研究所が先行して治療した目の難病では移植した細胞は数十万個。心臓では1億個とけた違いの細胞が必要になる。
「私たちのミッションは、10年以内に臨床応用しなさいというものでした。しかし細胞をどうやって大量培養するのか、心筋への分化誘導の効率をどう上げるのか、腫瘍ができないよう未分化のiPS細胞をどう除去するのか。誰もやったことのない難しい課題ばかり。3年目くらいで『もう無理ではないか』という声まであった」
ようやく2018年5月に臨床研究が承認された。ところが翌月に大阪北部地震が発生し、培養していた細胞がダメージを受けるというアクシデントが。しかし、こうしたさまざまな壁を乗り越えて、2020年1月についに第1例目の被験者に移植を完了した。重症心筋症の患者さんを対象に、ヒトへの移植についての安全性及び有効性を検証する医師主導治験を実施するに至った。
澤教授は「心筋細胞の移植は、筋芽細胞より高い有効性があることが動物実験からは期待できますが、まずは安全性をみることから始めたい。ライト兄弟の飛行機が、すぐには太平洋を渡ることはできませんからね」と慎重な立場だが、「3年から5年で保険診療に到達できるよう努力します」と決意を述べる。
こうした基礎研究に取り組む一方で、再生医療の可能性を広げるため重視するのが産業界との連携だ。
「理化学研究所の網膜移植では約1億円の費用がかかったといいます。私たちの心臓でもそれくらいはかかるでしょう。これをなんとか抑えなければ誰もが受けられる医療にはなりません。私たちは個々の患者さんに合った細胞をオーダーメイドでつくることはできますが、いろいろなサイズの洋服を工業製品として大量につくり、コストダウンするようなことは絶対にできない。企業への技術移転が欠かせないのです」
幸いにして阪大には「実学」の伝統がある。医学、工学、薬学など多分野の専門家が集積し、企業とのネットワークも持っている。澤教授は「基礎分野の先生方も、自分たちの研究がどう応用されるかを一所懸命に考えておられる。阪大を再生医療の軸にしていきたい」と夢を語る。

澤教授にとって研究とは

医療の限界の克服を目指す。僕たちは「断らない医療」にこだわっています。自分たちに期待されている患者さんを救うにはどうすればよいか。努力すれば限界が見えます。その限界をどう克服するか、が研究の原点なんです。再生医療はまさにそれですね。

●澤 芳樹(さわ よしき)
大阪大学大学院医学系研究科 教授
1980年大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部第一外科入局。同助手、助教、講師を経て、2002年大阪大学医学部附属病院助教授、06年から現職。同医学部附属病院未来医療センター、臨床医工学融合研究教育センター、国際医療センターの各センター長を歴任。

■ 再生医療をはじめ人のもつ再生の機能に迫る研究者たちの物語「再生の医学~“志”のスペシャリテ6選~」を引き続きお楽しみください。

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(2020年1月取材)