
炭素線の瞬間的大線量照射で 正常組織を守る条件を発見
副作用の少ないがん治療へ前進!
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院医学系研究科放射線治療学 小川和彦 教授、株式会社 日立ハイテク(以下、日立ハイテク)、大阪重粒子線センターらの研究グループは、超短時間炭素線照射で細胞生残率が増加する条件を発見しました。
炭素線治療はがんの放射線治療法のひとつです。近年、通常線量率の400倍以上の超高線量率照射では、腫瘍の局所制御率を維持しつつ正常組織への障害を抑えられる(=細胞生残率が増加する)「FLASH効果」が報告されています。この現象は低酸素下で起こると考えられており、またX線や陽子線より破壊力が強力(=高LET)な炭素線でこの現象が起こるか分かっていなかったことから、超短時間炭素線照射による細胞生残率の増加について、これまで学術的な実証はほとんど報告されていませんでした。
今回、研究グループは、炭素線治療に使用されている医療用のシンクロトロンを用いて、3つの細胞種に対して異なるLETと酸素濃度で、高線量を超短時間で照射することにより、照射条件によって細胞生残率の増加の程度が変わることを実証しました。これにより、より副作用の少ないがん治療法(FLASH炭素線治療)への応用が期待されます。
本研究成果は、2025年3月5日(水)(日本時間)に英文科学誌「Anticancer Reserach」に、公開されました。
図1. 細胞生残率の比較。同じ照射条件(細胞、LET、酸素濃度、線量)において、超高線量率(uHDR,赤)の方が通常線量率(NDR,青)よりも生き残った細胞数が多い(sparing effect)。シャーレ写真(右)でもコロニー数の差が顕著に表れている。
研究の背景
炭素線は、ある深さにおいて最も強く作用し、一定の深さ以上には作用しないという物理学的特性(ブラッグピーク)と細胞に対してX線や陽子線より破壊力が強いという生物学的特性を合わせ持っています。その特性をがん治療に活かしたものが炭素線治療です。深部にある腫瘍への線量集中性を高めつつ、より強力にがんを破壊できるため、がんの放射線治療法の1つとして注目されています。一方、腫瘍を取り巻く健常な組織に悪影響を与えないために、照射には線量の上限が設定されています。この上限により、腫瘍への投与線量を減らさざるを得ない事例や、炭素線治療を諦めなければならない事例が存在します。炭素線治療の効果を更に高めるためには、健常な組織への線量を一層抑える照射方法の開発が急務となっています。
近年の放射線治療分野において、単位時間あたりの照射線量が極めて高い照射(通常の線量率の400倍超)では、腫瘍に対する局所制御率を保ちながら健常組織への悪影響を軽減できる現象(細胞の生存率向上)が観察されています。この放射線を一瞬で照射することで起こる現象は「FLASH効果」と称され、国際的に多大な関心を集めています。
従来、瞬時の炭素線照射による細胞の生存率向上は酸素濃度の低い環境でのみ確認されていました。また、X線や陽子線と比較して破壊力が強い(=高LET)炭素線において、この現象の発生については不明確でした。そのため、高LETの特性を持つ炭素線で、照射の条件により細胞生存率の上昇度合いが異なることが確認されれば、FLASH効果の発生機序の解明が進むと考えられています。しかし、炭素線を一瞬で大量に照射できる実験設備は国際的に少ないため、超高線量率の炭素線照射が細胞生存率を高める条件については十分に解明されていません。
研究の内容
今回、研究グループは、医療用シンクロトロンを用いて、3つの細胞種に対して異なるLETと酸素濃度で、高線量を超短時間で照射することにより、照射条件によって超短時間炭素線照射で細胞生残率が増加する条件を発見しました。
これまでの医療用シンクロトロンには超高線量率照射モードがなく、研究グループは2023年にmonochromatic beam modeを開発し、短時間に高強度炭素線を発生させることを実証しました。この照射システムを用いて超高線量率での炭素線照射を実施しました。
大阪大学大学院医学系研究科放射線治療学の八木雅史招へい教員(※論文発表時 重粒子線治療学寄附講座 寄附講座助教)と重粒子線治療学寄附講座の清水伸一寄附講座教授らが照射領域の物理的分析を行い、実験に必要な照射条件が満たされていることを確認しました。加えて、大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻の皆巳和賢 准教授らがコロニー形成アッセイを実施し、線量率100Gy/s及び線量6.5Gyを超える条件下で、細胞の生存率が上昇することが判明しました。生存率の上昇はより高いLETかつ低酸素状態で顕著となることが明らかになり、この現象は腫瘍細胞(HSGc-C5:唾液腺癌細胞)及び正常細胞(HDF:ヒト皮膚線維芽細胞、Nuli-1:気管支由来上皮細胞)の両方で確認されました。さらに、免疫染色により遺伝子への損傷が減少していることも確認されました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、FLASH効果が起こるメカニズムの理解を深めるとともに、より副作用の少ないがん治療法(FLASH炭素線治療)への応用が期待されます。FLASH炭素線治療では、炭素線の腫瘍への高い線量集中性という物理学的特性及びX線や陽子線より細胞に対する破壊力が強いという生物学的特性に加え、FLASH効果による正常組織への障害の軽減という生物学的効果が相乗的に働くことで、今まで以上に高い局所制御率と低い副作用発生率が期待されています。
特記事項
本研究成果は、2025年3月5日(水)(日本時間)に英文科学誌「Anticancer Research」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“The Appropriate Conditions for the Cell Sparing (FLASH) Effect Exist in Ultra‐high Dose Rate Carbon Ion Irradiation”
著者名:KAZUMASA MINAMI1, MASASHI YAGI2*, KAZUKI FUJITA1, KANA NAGATA1, RYO HIDANI1, NORIAKI HAMATANI3, TOSHIRO TSUBOUCHI3, MASAAKI TAKASHINA3, MASUMI UMEZAWA4, TAKUYA NOMURA4, MASAKI SHIMIZU4, YOSHIAKI KUWANA4, JIRO FUJIMOTO5, SHINICHI SHIMIZU2#, and KAZUHIKO OGAWA6#(*責任著者、#同等の寄与)
所属:
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 保健学専攻生体物理工学講座
2. 大阪大学 大学院医学系研究科 重粒子線治療学寄附講座
3. 大阪重粒子線センター 放射線物理部
4. 株式会社 日立ハイテク
5. 大阪重粒子線センター 放射線科
6. 大阪大学 大学院医学系研究科 放射線治療学講座
DOI:https://doi.org/10.21873/anticanres.17483
本研究は、大阪大学大学院医学系研究科、株式会社 日立ハイテク、大阪重粒子線センター、大阪重粒子線施設管理株式会社、兵庫医科大学との共同研究の一環として行われました。またJSPS科研費22K07695、22H03025、22K07770の助成を受けました。
参考URL
大阪大学 大学院医学系研究科 放射線治療学講座
http://www.radonc.med.osaka-u.ac.jp
小川和彦 教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/735bbc5ade1d37b4.html
清水伸一 寄附講座教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/11a4301e79edfb41.html
皆巳和賢 准教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/e9d374f08e29c47a.html
八木雅史 招へい教員
https://researchmap.jp/yagi-masashi
SDGsの目標
用語説明
- 超短時間
超短時間とは100ms以下での照射を指します。
- 炭素線
メタンガスから生成した炭素イオンを束にして加速したものを炭素線と呼びます。
- FLASH効果
ある閾線量率及び投与線量以上にて生じる抗腫瘍効果を維持し、正常組織への損傷を減らす効果をいいます。
- シンクロトロン
粒子(例えば炭素イオン)を円形の軌道に沿って周回させながら、徐々に高いエネルギーまで加速する装置です。
- 炭素線治療
炭素イオンを加速させたものを体の外から病変に当てて治療する放射線治療の1つです。
- 低酸素
生体内の酸素濃度(約4%)を指します。なお大気中の酸素濃度は約21%です。
- 高LET
LETは単位長さ当たりに与えるエネルギーを指すLinear Energy Transferの略であり、高LETとは、放射線が物質(人体を含む)を通過する際に、短い距離で多くのエネルギーを与える性質を指します。
- ブラッグピーク
炭素線は物質中で止まる直前で大きな線量を物質に与えます。線量分布に現れるこのピークをブラッグピークといいます。
- monochromatic beam mode
研究のために本研究グループが開発した医療用シンクロトロンで超高線量率照射を可能とするモードを指しますa,b。
a. M Yagi, S Shimizu, K Minami et al., Ultra‑high dose‑rate carbon‑ion scanning beam with a compact medical synchrotron contributing to further development of FLASH irradiation. Anticancer Res 43(2): 581‑589, 2023. DOI: 10.21873/anticanres.16194
b. M Yagi, S Shimizu, et al., Development and characterization of a dedicated dose monitor for ultrahigh‑dose‑rate scanned carbon‑ion beams. Sci Rep 14(1): 11574, 2024. DOI: 10.1038/s41598‑024‑ 62148‑2
- コロニー形成アッセイ
細胞の増殖死を定量するために用いられる評価方法です。
- 免疫染色
抗原抗体反応という免疫反応を利用して、細胞内の特定の物質を染色する方法です。