塗るだけで高効率スピン偏極電流を発生させる 新しいキラル半導体高分子を開発

塗るだけで高効率スピン偏極電流を発生させる 新しいキラル半導体高分子を開発

クリーンエネルギー技術にもつながる新たな可能性を開拓

2024-9-13工学系
工学研究科講師石割文崇

研究成果のポイント

  • 溶液を塗るだけという手軽さで電子スピンの向きを揃えることができ、70%程度の高効率でスピン偏極電流を発生させる新たなキラル半導体高分子を開発
  • スピン偏極電流を用いるクリーンエネルギー技術への応用に期待

概要

大阪大学大学院工学研究科の大学院生のLi Shuangさん(博士後期課程)、石割文崇 講師、佐伯昭紀 教授、東京工業大学 理学院 化学系 谷口耕治 教授らの研究グループは、キラルな半導体高分子[poly-(S,S)-ITDおよびpoly-(R,R)-IDT]を開発し、CISS効果により電流中の電子のスピンの向きを70%程度の効率(スピン偏極率)で同方向にそろえたスピン偏極電流を発生させる、スピンフィルターとしての性質を持つことを見出しました(図1)。この約70%というスピン偏極率は、キラルな半導体高分子の中では最高クラスの値です。このキラル半導体高分子は溶液を塗るだけで成膜できるため、さまざまな材料にスピンフィルターとしての性能を持たせてスピン偏極電流を発生させることができます。そのため、スピン偏極電流が有効とされる用途、例えば、酸素発生や酸素還元などのクリーンエネルギー技術につながる用途を高効率化できる他にも、次世代3Dディスプレイの発光素子として期待される円偏光を発生させる円偏光有機発光ダイオードの開発などでの活用が見込まれます。

本研究成果は、英国科学誌「Chemical Communications」に、8月23日に公開されました。

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図1. 開発したキラル高分子poly-(S,S)-ITD, poly-(R,R)-IDTの構造とCISS効果によりスピン偏極電流を発生させるスピンフィルター効果.

研究の背景

電流の源となっている電子は、電子スピンにより磁石としての性質を持っており、通常の電流ではこの電子スピンの向き、すなわち磁石の向きはそろっておらず、ランダムになっています。この電子スピンの向きをそろえた電流のことをスピン偏極電流と呼び、向きがそろっていないスピン非偏極電流では実現できない特殊な性質や機能があります。例えば、酸素発生や酸素還元などクリーンエネルギー技術につながる用途を高効率化することができます。他にも、このスピン偏極電流はキラルな物理量であるため、円偏光を発生させる円偏光有機発光ダイオードの開発などにも利用可能です。円偏光は次世代3Dディスプレイの発光素子として期待されています。さらに、キラルな分子の片方を選択的に合成する「不斉合成」にも利用可能ではないかとも言われています。

最近までの常識では、スピン偏極電流の発生には通常、レアメタルを含む強磁性体や電磁石などを用いて発生させる外部磁場が不可欠と考えられてきました。しかし、近年の研究により、「不斉誘起スピン偏極効果 {CISS効果: Chiral(ity)-Induced Spin Selectivity効果}」と呼ばれる効果が確認されました。これは、ホモキラルな分子や物質に、電子スピンの向きがランダムな電流を通過させると、電流の電子スピンの向きがそろうという効果です。このCISS効果は、希少元素を一切含まない有機分子を単純に回転塗布(=スピンコート)しただけの有機薄膜などにおいても観測されるため、簡便で新しいスピン偏極電流の発生方法として期待されています。

このような塗布によりCISS効果を示す物質として、固体表面上で安定な薄膜膜を形成することができるホモキラルな半導体性のπ共役高分子が大きな可能性を有しています。しかし、キラルな側鎖を有するπ共役高分子のCISS効果について、これまで、単純な回転塗布による薄膜はCISS効果をほとんど示さないことが報告されていました。例外的な報告として、2020年に金沢大学 前田勝浩 教授、西村達也 准教授、名古屋大学 八島栄次 教授らの研究グループとイスラエルのワイツマン研究所のRon Naaman教授らは、片方巻きの螺旋構造を高分子主鎖に持ち、その片末端にチオール基という金属表面に固定化可能な官能基を導入したポリアセチレン類を金表面上に化学的に固定化することで、55%というスピン偏極率を得ています(Angew. Chem. Int. Ed. 2020, 59, 14671)。

研究の内容

今回、研究グループは、高い電荷輸送特性を示すインダセノジチオフェン(IDT)骨格自体にキラリティを導入した二面性キラルIDT骨格を開発し、それを含むキラルな半導体性の高分子poly-(S,S)-ITD, poly-(R,R)-IDT(図1)が、回転塗布で簡単に薄膜を成膜でき、その20nmほどの膜厚の薄膜が、CISS効果により、70%近い偏りを持つスピン偏極電流を発生させる優れたスピンフィルターとして機能することを明らかとしました(図2)。

この約70%というスピン偏極率はこれまでに報告されているキラル半導体高分子の中では最高クラスの値です。今回開発した二面性キラルIDT骨格を含むキラル半導体性高分子がこのような優れたスピンフィルターとして機能した原因の詳細は不明ですが、CISS効果を明確に観測できたことの一因は、回転塗布で均質なアモルファス膜をできることが挙げられます。また、高いスピン偏極率を示した理由としては、導電性に直結する主鎖のIDT骨格自体がキラルであることが起因している可能性が考えられます。

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図2. 開発したキラル高分子poly-(S,S)-ITD, poly-(R,R)-IDTの薄膜に電圧をかけた際に流れる上向スピン偏極電流(ピンク)と下向きスピン偏極電流(水色). 分子のS体とR体では透過しやすいスピン偏極電流の向きが逆転しており、CISS効果でスピンフィルターとして機能している.

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

今回の成果により、希少元素を含まない有機高分子材料から高効率にスピン偏極電流が発生させることが可能になりました。これを用いた酸素発生、酸素還元などのクリーンエネルギー技術の高効率化などに寄与することが期待できます。これまで、半導体高分子は塗布により成膜でき、柔軟性を有する有機エレクトロニクス素子としての機能が期待されていましたが、本研究で開発したキラル半導体高分子によって、それらの機能に加えて、スピン偏極電流を利用した円偏光発光ダイオードなどの新たな有機エレクトロニクス素子の開発が拓けたと言えます。

特記事項

本研究成果は、英国科学誌「Chemical Communications」に、8月23日に公開されました。

タイトル:Chiral bifacial indacenodithiophene-based π-conjugated polymers with chirality-induced spin selectivity
“不斉誘起スピン選択性を持つキラル二面性インダセノジチオフェンπ共役高分子”
著者名: Shuang Li, Fumitaka Ishiwari,* Scott Zorn, Kazuharu Murotani, Mikhail Pylnev, Kouji Taniguchi and Akinori Saeki
DOI:https://doi.org/10.1039/D4CC03292F

なお、本研究は、JST戦略的創造研究推進事業 さきがけ「自在配列」JPMJPR21A2、新学術領域研究「発動分子科学」JP21H00400、「水圏機能材料」JP22H04541、学術変革領域A「動的エキシトン」JP20H05836、「超セラミックス」JP23H04626, JP23H04619研究などの一環として行われ、大阪大学大学院工研究科 Scott Zornさん(博士後期課程)、室谷一晴さん(博士後期課程)、Mikhail Pylnev特任助教の協力を得て行われました。

参考URL

石割 文崇 講師 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/b5917a5e09f19ddb.html

SDGsの目標

  • 09 産業と技術革新の基盤をつくろう

用語説明

スピン偏極電流

電子スピンの向きが一方向にそろった電流のこと。その偏りの度合いはスピン偏極率で表され、スピン偏極率 = (上向きスピン偏極電流値 ― 下向きスピン偏極電流値)÷(上向きスピン偏極電流値+下向きスピン偏極電流値) で表される。

キラル

鏡に映した像が元の像と重なり合わない(右手と左手の関係)性質。有機分子をはじめとする化合物にもこの関係が多く見られる。右手系の分子と左手系の分子の関係のことを鏡像異性体(エナンチオマー)という。特に、異なる置換基が4つ結合した炭素原子はキラルになり、化学式などではアスタリスク(*)をつけて表され、国際純正・応用化学連合(IUPAC)の右回転の置換基の配列の分子をR体、左回転のものをS体と呼ぶ(図1に表示)。鏡像関係の異性体が存在する性質のことをキラルというため、キラルという形容詞だけでは鏡像異性体の片方のことだけ(「ホモキラル体」)を指しているのか、鏡像異性体の等量混合物である「ラセミ体」を指しているのかの判別ができないが、本記事ではキラルという形容詞でホモキラル体を指していることとする。これまでに、キラルな分子や高分子の用途は、キラルな分子の片方の鏡像異性体を選択的に合成する不斉触媒(野依良治 教授らが2001年にノーベル賞受賞)や、鏡像異性体を分離するキラルカラム [岡本佳男 教授 (大阪大学出身) が2018年に日本国際賞受賞]、円偏光発光材料などとしての用途があった。しかし、最近になってCISS効果が報告され、新たなキラル物質の用途に注目が集まっている。

CISS効果

[Chiral(ity)-Induced Spin Selectivity効果, 不斉誘起スピン選択性] キラルな分子や物質に、電子スピンの向きがランダムな電流を通過させると、キラルな分子や物質のスピンフィルター効果により、通過後にスピン偏極電流が得られる効果。このCISS効果は、イスラエルのワイズマン研究所のRon Naaman教授らにより精力的に研究されている効果であり、最近ではそのCISS効果の起源の解明に関する分子科学研究所の山本浩史教授らによる研究がNature誌に報告され(Nature 2023, 613, 479)、更なる注目を集めている。

電子のスピン

スピンは電子が持つ量子力学的性質で、これにより電子は磁石のような性質を持つことができる。このスピンがどちらの方向を向いているか(「上向き」か「下向き」か)によって、磁石としての向きなどが異なる。スピンは直感的には電子の自転”的”性質と捉えることができますが、実際には電子が物理的に回転しているわけではない。

スピンフィルター

スピン偏極電流のうち、片方の向きのスピン偏極電流の通過を妨げ、もう片方の向きのスピン偏極電流のみ選択的に通過させる性質のこと。

回転塗布(=スピンコート)

物質を水や有機溶媒に溶解させ、その溶液を回転する基板の上に垂らすことで均一な膜を成膜する手法。高真空が必要な蒸着などとは異なり、大気圧下で簡便に一定内の面積に成膜できる。

インダセノジチオフェン(IDT)骨格

図1の高分子の分子式の黒色で示された部分の骨格のこと。電荷輸送特性に非常に優れており、さまざまな半導体性分子・高分子の基本骨格として用いられる。通常はキラルではないため、本研究で初めてのキラルIDTの開発を行った。

アモルファス

原子や(高)分子が秩序立った構造をとっていない状態のこと。ガラスは代表的なアモルファス状の無機物質であり、原子の並びはランダムである。アモルファス物質の特徴(利点)として、光散乱が起こらず透明性があることや、表面が非常に平坦になることなどが挙げられる。