
生体チオール検出ツールの最小化に成功
生命活動に必須な分子の新しい検出手法を提供
研究成果のポイント
概要
生体チオール量の変化は種々の疾患に関連しており、細胞内の特定の位置における生体チオール量を調べることは重要です。細胞内の分子を観察するためには目印が必要であり、一般的には蛍光色素を目印として連結させた蛍光プローブが利用されます。生体チオール検出用の蛍光プローブは、観察対象や可視化の手法に合わせて選択する必要があり、これまでに80種類以上の蛍光プローブが開発されています。ただし蛍光色素は比較的大きな構造(分子量200以上)を持つため、蛍光プローブの小型化には制約がありました。
東北大学大学院薬学研究科の山越博幸助教らの研究グループは、蛍光色素を用いない、世界最小の生体チオール検出プローブThioRas(チオラス:分子量167)を開発しました。ThioRasは生体チオールと結合すると、ラマン散乱光の波数が変化する性質を持ち、これをラマンイメージングすることで、チオール濃度を測定できました。小さくて水溶性に優れるThioRasは、細胞実験において均一な分布特性を示します。この特性から、今後、複数部位の生体チオール濃度を同時に測定するためのツールとして利用されることが期待されます。
本研究の成果は、2023年11月21日に科学誌Chemical Communicationsにオンライン掲載されました。
なお本成果は、東北大学大学院薬学研究科柴田大輝大学院生、梶本真司准教授、髙山亜紀助教、岩渕好治教授、中林孝和教授、大阪大学大学院工学研究科の畔堂一樹特任研究員、藤田克昌教授、理化学研究所開拓研究本部および環境資源科学研究センターの江越脩祐研究員、闐闐孝介専任研究員、袖岡幹子主任研究員との共同研究によるものです。
研究の背景
細胞内の分子を観察するためには目印が必要であり、一般的には蛍光色素を連結させた蛍光プローブが用いられます。蛍光色素から生じる蛍光は、高感度な検出が可能です。一方、蛍光プローブとは異なる観察手法として、近年、ラマンプローブが注目されはじめています。ラマンプローブの場合には、ニトリルなどの微小構造を目印にします。検出するラマン散乱光は蛍光と比べて微弱ですが、観察対象分子の構造情報をより多く与えることが特徴です。このように、ラマンプローブは蛍光プローブと相補的な研究ツールであり、更なる発展が期待されています。そこで、当該研究グループは、新しい概念に基づくラマンプローブの開発を進めています。
今回の取り組み
上記の背景をもとに、私たちは生体チオールの検出に焦点を当て、αシアノアクリル酸エステル構造を持つ分子(αCNA)に注目しました。αCNAは、生体チオールと迅速に結合する性質を持つことが知られています。一方で、αCNAとチオールとの結合により生成される化合物(チオール付加体)のニトリル構造に由来するラマン散乱の波数が約20 cm–1異なるという興味深い性質は、これまで見落とされていました(図1)。そこで、私たちは二つの異なる波数のラマン散乱光をラマンイメージングにより区別し、検出できる可能性を考えました。αCNA構造を持つ分子とチオール付加体の比率はチオール濃度に依存して変化するため、二種類のラマン散乱光を測定し、その割合からチオール濃度が求められます。
本研究ではまず、様々なαCNAとチオールの組み合わせでαCNAとチオール付加体のピーク比が算出できることを示しました。続いて、検討したαCNAの中で、最も小さな構造を持つ化合物をThioRasと名付け、その機能を更に調べた結果、水に溶けやすい性質を持つことがわかりました(図2)。
次に、細胞溶解液中でThioRasと生体チオールの代表例であるグルタチオンを混合し、チオール付加体の比率を求めました。同実験から、種々の夾雑物を含む条件でもチオール付加体を検出できることがわかりました。また、溶液にチオール捕捉剤を添加することで惹起される化学平衡の変化を検出可能なこともわかりました。
HeLa細胞に添加したThioRasの分布をラマンイメージングにより調べた結果、拡散した分布が観察されました。小さくて水溶性に優れるThioRasの特性を反映した分布と考えられます。最後に、HeLa細胞の核、細胞質、脂肪滴中のチオール濃度を測定し、培地中よりもチオールが高濃度であることを示しました。
図1. αCNAとチオール付加体のラマン散乱光は波数が異なる
図2. 小型化された生体チオール検出プローブThioRasの構造
今後の展開
本研究では、αCNAが持つニトリル構造のラマン散乱光に着目し、最小型の生体チオール検出プローブThioRasを開発しました。ThioRasは、生体チオールに起因する疾病に関連する生化学的プロセスを研究に応用されることが期待されます。また、αCNAの中には、疾患原因タンパク質のシステイン残基を標的とする医薬品候補化合物も報告されています。したがってラマン散乱光の波数変化に着目した本研究のアプローチは、同群医薬品候補化合物の機能解析への応用も期待されます。
特記事項
【論文情報】
タイトル:Ratiometric analysis of reversible thia-Michael reactions using nitrile-tagged molecules by Raman microscopy
著者: Hiroyuki Yamakoshi,* Daiki Shibata, Kazuki Bando, Shinji Kajimoto, Aki Kohyama, Syusuke Egoshi, Kosuke Dodo, Yoshiharu Iwabuchi, Mikiko Sodeoka, Katsumasa Fujita, and Takakazu Nakabayashi
*責任著者:東北大学大学院薬学研究科 助教 山越博幸
掲載誌:Chemical Communications
DOI:doi.org/10.1039/D3CC05015G
URL:https://pubs.rsc.org/en/Content/ArticleLanding/2023/CC/D3CC05015G
本研究は、東京生化学研究会、興和生命科学振興財団、創薬等先端技術支援基盤プラットフォームJP22ama121040j0001、国立研究開発法人科学技術振興機構CREST JPMJCR1925とJPMJCR2024、および文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)JP22K06495の支援を受けて行われました。
用語説明
- ニトリル
ニトリルは有機化合物の官能基の一種で、炭素と窒素が三重結合で結ばれた構造(シアノ基とも呼ばれる)を持ちます。強く特徴的な波数のラマン散乱を与える官能基であることから、しばしばラマンイメージングの目印として使用されます。
- 生体チオール
チオールは、アルコールの硫黄版で、アルコールのOH基がSH基に置き換わった化合物全般を指します。生体チオールは、チオールの中で生体内に存在するものを指しますが、具体的な定義はありません。生体チオールの代表的な例には、システインやグルタチオンがあります。
- ラマン散乱光
分子に光を入射した際、波数(単位長あたりの波の数)の変化した光が散乱されます。この変化した光をラマン散乱光と呼びます。入射光とラマン散乱光の波数変化には分子の振動に関する情報が含まれています。つまり、ラマン散乱光を分析すると、分子がどのような振動をする構造を持っているのかに関する情報が得られます。
- ラマンイメージング
ラマンイメージングは、ラマン顕微鏡を使用して、観察対象サンプルの各地点から発生するラマン散乱光の強度分布を画像として取得する技術です。この手法を用いることで、特定の分子から生じるラマン散乱光の強度分布を解析し、観察対象分子がサンプル内(例えば細胞)のどの領域にどれくらい存在するかを調べることができます。
- 蛍光プローブ
蛍光プローブとは、蛍光色素をその構造中に含む分子のことを指し、特定の光を当てると蛍光を発生する特性を持ちます。細胞に取り込まれた蛍光プローブの蛍光を分析することで、そのプローブやそれに反応する分子が細胞内のどの領域にどれくらい存在するかを調べることができます。
- αシアノアクリル酸エステル構造
アクリル酸エステルの二重結合上のα位と呼ばれる位置にシアノ基を持つ構造を指します。シアノ基はニトリルを官能基として呼ぶ場合に使用する用語で、ニトリルとほぼ同義で用いられます。
- HeLa細胞
人工的な環境の中で生かし続けて使用する実験用細胞(培養細胞)の種類の一つです。子宮頸癌に由来する細胞で、イメージング実験用の細胞として頻繁に用いられています。