生体試料を凍らせて分子を高感度観察できるクライオ-ラマン顕微鏡を開発
研究成果のポイント
概要
大阪大学 大学院工学研究科 大学院生の水島健太さん(博士後期課程)、藤田克昌 教授、山中真仁 特任准教授(常勤)、同 先導的学際研究機構 熊本康昭 准教授らの研究グループは、同 免疫学フロンティア研究センターのNicholas Smith 准教授、京都府立医科大学の田中秀央 特任教授、理化学研究所環境資源科学研究センターの袖岡幹子 グループディレクターらと共に、生体試料を凍らせて分子を高感度観察できるラマン顕微鏡を開発することに成功しました。
従来の生体試料のラマン観察における信号対雑音比は、ラマン散乱光の微弱さから、レーザー光の照射による試料のダメージや、観察中の試料の動きにより制限されてきました。また、生体試料の動きを固定するために一般的に用いられる方法の多くは、試料の化学的な状態を変化させてしまうという課題もありました。
今回、本研究グループは、生体試料を急速に凍結し、試料を低温状態のままラマン観察することによりラマン観察の信号対雑音比を向上する、クライオ-ラマン顕微鏡を開発しました。この顕微鏡を用いると、試料中の分子の分布や化学状態を変性させることなく固定でき、また試料を低温下に置いて物理的に安定化させることで、レーザー光による試料のダメージを抑制し、高信号対雑音比、高分解能、広視野でのラマン観察を可能にします。
本研究では、開発した技術を用いて、凍結固定された細胞を長時間観察することに成功し、観察信号の増大、信号対雑音比の向上、実効的な空間分解能とスペクトル分解能の向上を確認しました。また、従来のラマン観察法では観察時間が1時間程度に限られていましたが、約10時間以上の長時間観察も行える安定な顕微鏡システムが構築できたことで、高い信号対雑音比と広い視野での細胞観察が可能となりました。
本研究成果は、米国科学誌「Science Advances」に、12月12日(木)午前4時(日本時間)に公開されました。
図1. 急速凍結固定されたHeLa細胞(ヒト子宮がん細胞)の高信号対雑音比、広視野ラマン観察画像。観察時間は約10時間。画像中の緑色、赤色、青色はそれぞれシトクロム (750 cm-1)、脂質 (2850 cm-1)、タンパク質 (2920 cm-1)の分布を示す。
研究の背景
ラマン顕微鏡は、光で試料を照明する光学顕微鏡の一種であり、生体分子の構造、種類、周辺環境を反映した光(ラマン散乱光)を検出し、それらの空間分布を画像として与えます。生体試料内部に存在する様々な分子の情報を取得できるため、生体試料観察への利用が近年進んでいます。しかし、ラマン散乱光は非常に微弱であるため、低濃度物質の検出や高信号対雑音比でのラマン観察では、高い強度のレーザー光による試料ダメージや、観察中の試料の状態変化により、正確な情報が得られないという課題がありました。
研究の内容
藤田教授らの研究グループでは、独自の試料チャンバーを開発し、-185度の液体寒剤を直接接触させることにより顕微鏡上の生体試料を急速に凍結し、その後も試料を低温状態に維持したまま光学イメージングできる顕微鏡を開発しました。これにより、試料の物理的、化学的な状態を維持したまま、光照射による試料ダメージや変化を抑制しつつ、長時間のラマン観察が可能となりました。開発した技術により、微弱なラマン散乱光を、時間をかけて集めることが可能となり、細胞内分子を従来よりも高感度に検出することに成功しました。急速凍結後の試料は、液体窒素の循環とヒーターにより、精密に温度制御された条件下で観察されます(図2)。
実験では、開発した顕微鏡を用いて、急速凍結固定された細胞の長時間のラマン観察を行い、従来法と比較して約8倍のラマン信号を取得できることを確認しました(図3)。さらに、虚血性ラット心臓組織内のシトクロムcの酸化還元状態を急速凍結固定してラマン観察し、未固定の生きた試料では観察できなかった、虚血状態と正常状態の心臓組織内におけるシトクロムcの酸化還元状態の違いを示す顕微鏡画像を初めて取得しました(図4)。また、細胞観察で認識できる分子種の数を従来比2倍程度の9種類にまで増やすことにも成功しました。
図2. 開発したクライオ-ラマン顕微鏡の試料周辺図。細胞を培養したカバーガラスを試料マウント上に設置し、金属板を接触させる(左)。寒剤投入口と金属板の穴を通り寒剤が試料に接触し、試料を急速凍結固定する。金属板内のヒーターと液体窒素循環により試料の温度が制御される(右)。
図3. 急速凍結固定されたHeLa細胞の異なる露光時間でのラマン画像(左)。異なる分子振動に帰属されるラマン信号の強度と露光時間との関係(右)。観察温度は-40度である。
図4. 急速凍結固定された正常状態および虚血状態の心臓組織の還元型シトクロムcのラマン画像(左)、各状態の組織から得られたラマンスペクトル(右)。本成果により、虚血によるシトクロムcの酸化還元状態の変化を分光状態だけではなく空間情報としても可視化することに初めて成功した。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、従来のラマン顕微鏡では観察が難しいとされてきた、薬剤などの低濃度で生体試料内に存在する分子を高感度でラマン観察する可能性が開かれました。さらに、試料内の様々な生化学反応を急速に固定できるため、従来のラマン顕微鏡の時間分解能では観察できなかった、生命活動の瞬間における分子の化学状態も観察が可能になりました。また、各種細胞関連産業で利用される凍結細胞の非破壊観察や、それによる細胞の評価への応用も期待されます。
特記事項
本研究成果は、2024年12月12日(木)午前4時(日本時間)に米国科学誌「Science Advances」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Raman microscopy of cryofixed biological specimens for high-resolution and high-sensitivity chemical imaging”
著者名:Kenta Mizushima, Yasuaki Kumamoto, Shoko Tamura, Masahito Yamanaka, Kentaro Mochizuki, Menglu Li, Syusuke Egoshi, Kosuke Dodo, Yoshinori Harada, Nicholas I. Smith, Mikiko Sodeoka, Hideo Tanaka, and Katsumasa Fujita
DOI:https://doi.org/10.1126/sciadv.adn0110
なお、本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST(多細胞間での時空間的相互作用の理解を目指した定量的解析基盤の創出) 研究課題名「多細胞の包括的分子イメージング技術基盤の構築」研究(JPMJCR1925)、同 共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT) 「フォトニクス生命工学研究開発拠点」研究(JPMJPF2009)、同 次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING) 「学際融合を推進し社会実装を担う次世代挑戦的研究者育成プロジェクト」(JPMJSP2138)の一環として行われました。
参考URL
大阪大学 大学院工学研究科 藤田研究室
https://lasie.ap.eng.osaka-u.ac.jp/home_j.html
大阪大学 先導的学際研究機構
https://otri.osaka-u.ac.jp
SDGsの目標
用語説明
- ラマン散乱光
分子に光が入射した際に発生する散乱光の一種で、そのエネルギーは入射光のエネルギーとは異なる。ラマン散乱光と入射光のエネルギーの差は光の波長の差と対応しており、分子の固有振動のエネルギーと一致する。
- ラマン顕微鏡
試料にレーザー光を入射し発生するラマン散乱光のスペクトルをマッピングすることにより、試料中の分子の空間分布を可視化できる顕微鏡技術。
- 信号対雑音比
測定において検出される必要な信号と不要な雑音の比率。ラマン観察では、観察したい分子に由来するラマン散乱光が信号となり、その他の分子に由来するラマン散乱光や自家蛍光、および装置に由来するラマン散乱光や発光が雑音となる。
- 液体寒剤
生体試料を急速凍結する際に用いられる極低温の液体。効率よく試料を冷却するために、低い凝固点、高い沸点、高い熱伝導率が求められる。急速凍結では液体プロパン、液体エタン、イソペンタン-プロパン混合寒剤などが用いられる。
- 虚血
血管が組織や細胞に血液を十分に供給しない状態を指し、組織や細胞の酸素不足を引き起こす。
- シトクロムc
生命の活動エネルギーの一種であるATPを合成するための電子伝達系に組み込まれている分子の一種。酸化状態と還元状態を持ち、生体試料の生存率の指標として用いられることもある。ラマン散乱の励起波長を選択することで特異的に検出できる。