単一分子だけで異なる誘電応答性を示す結晶作成に成功
お椀型分子で省プロセス・省コストの物性制御が可能な誘電材料に期待
お読みいただく前に
ベンゼンに代表される芳香族化合物は、「芳香族性」を獲得することで、その独特の反応性や物性を発現しています。このとき、電子は平面な分子構造のおかげで骨格内に広く分布しており、芳香族性の獲得に重要であることが知られています。それではその性質の基となっている平面性を奪い、無理やり曲げて見たらどのようなことが起きるでしょうか?
私たちはこのような単純な発想のもと、お椀型化合物「スマネン」の研究を進めています。スマネンとその類縁体は、独特なお椀構造のために様々なユニークな挙動を示すだけでなく、平面の芳香族化合物では実現できない、新しい機能を有する材料としての利用が期待されています。
今回の成果は、お椀型化合物の特徴であるボウル反転運動と結晶化プロセスとの相関に関する知見を初めて提供するものです。
研究成果のポイント
- 外部環境に応じた結晶内部のフッ素配向変化を利用して、単一分子のみから結晶化溶媒を変えるだけで誘電応答性が顕著に異なる結晶を作成することに成功
- これまで未解明であったボウル反転運動と結晶化プロセスとの相関に関する知見を初めて提供
- お椀型分子を用いることで省プロセス・省コストでの物性制御が可能な誘電材料への応用に期待
概要
大阪大学大学院工学研究科の大学院生のLi Minghongさん(博士後期課程 研究当時)、燒山佑美准教授、櫻井英博教授、大阪大学大学院基礎工学研究科の松林伸幸教授、東北大学多元物質科学研究所の芥川智行教授らの研究グループは、お椀型分子スマネンのフッ素誘導体であるモノフルオロスマネン(FS)の結晶化プロセスにおいて、ボウル反転運動が周囲の溶媒の影響を受け、結果として結晶内部のフッ素配向が様々に変化することを明らかにしました。こうして得られた結晶は、フッ素配向に応じて顕著に異なる誘電応答性を示しました。
ボウル反転運動は、お椀構造を持つ有機分子に特徴的な挙動であり、反転に伴い双極子モーメントの向きや大きさが変化します。このことから、お椀型分子は誘電材料や電場依存型のスイッチング素子をはじめとして、種々の材料への応用が期待されています。しかしながら、溶液中でこの反転運動を制御することは容易ではなく、お椀型分子の材料応用へ向けての大きな妨げとなっていました。
今回、燒山准教授らの研究グループは、スマネンにフッ素原子を1つ導入したFSを設計・合成しました。FSは溶液中でボウル反転運動により、異なるフッ素配向と双極子モーメントを持つ2種類の異性体FSendoとFSexoの混合物として存在します。一方、結晶化の際に用いる溶媒を適切に選択することで、結晶内部のFSendoとFSexoの存在比、すなわち結晶内部のフッ素配向を様々に変化させることに成功しました。この存在比は、各分子の構造に加え、それぞれの溶媒中におけるFSendoとFSexoの溶媒和自由エネルギーと関連しており、得られた結晶は、FSendoとFSexoの存在比に応じて顕著に異なる誘電応答性を示すことがわかりました。本研究成果は、お椀型分子を用いた単一分子系でのエネルギー材料応用へ向けた大きな一歩となるものです。
本研究成果は、米国科学誌「Journal of the American Chemical Society」に、2024年2月20日(火)に公開されました。
研究の背景
スマネンはフラーレンC60の部分構造を有するお椀状分子バッキーボウルの一種であり、物性のソースとして魅力的な「曲がったπ電子系」をもち、置換基導入によりその性質を様々に変換できることから、非平面機能性有機分子として高い注目を集めています(図1)。特にスマネンは結晶中でお椀が一方向に向けて一次元に重なった構造をとることで、異方的な電気伝導性や熱電特性を示すことが知られています。一方で溶液中では、ちょうどお椀がひっくりかえるような「ボウル反転」と呼ばれる特徴的な運動を行っています。また、お椀型分子は分子の面直方向に双極子モーメントを持っており、ボウル反転運動の結果、異なる双極子モーメントの向きや大きさを持つ構造異性体へと変化することで、結果として溶液中で反転前後の分子が混在する平衡混合物として存在することとなります。従って、このお椀型分子が示すボウル反転運動を自在に制御し、反転前後の分子を任意の割合で結晶化させることができれば、多様な応答を示しうる誘電材料への展開が可能となります。こうしたボウル反転運動に影響を与える要因には、温度や溶媒といった環境的なものや、反転前後の分子のエネルギーの違い、分子内および分子間での相互作用など分子構造に起因するものがあげられます。しかしながら、ボウル反転運動が結晶化プロセスにどのように関わってくるかに関する知見はこれまでありませんでした。
図1. スマネンの基本的な性質
研究の内容
今回、燒山准教授らの研究グループでは、スマネンにフッ素を1つ導入したモノフルオロスマネン(FS)を新たに合成しました。FSは溶液中でボウル反転運動により、フッ素の向きに応じて向きと大きさの異なる双極子モーメントを持つ2種類の異性体FSendoとFSexo間での平衡状態にあります(図2)。このとき、わずかにFSendoがエネルギー的に安定であるため、溶液中ではFSendoが過剰に存在します。このFSは様々な溶媒から単結晶を与えますが、単結晶X線構造解析の結果、FSendo/FSexo存在比は溶液状態とは異なっており、また結晶化の際に用いる溶媒に応じてさまざまに変化することがわかりました。例えば、
極性溶媒であるDMF(ジメチルホルムアミド)を用いると、FSendoが大過剰に含まれる結晶が得られた一方、より低極性のジクロロメタンを用いると、FSexoがわずかに過剰で存在する結晶が得られました。誘電スペクトル測定の結果、前者はDebye型の誘電緩和現象を示すのに対し、後者は非常に大きな誘電率を示すことが明らかとなりました。
こうした結晶化溶媒がもたらす結晶内部のFSendo/FSexo存在比変化のメカニズムを明らかにするために、量子化学計算および分子動力学シミュレーションを用いた解析を行った結果、2つの要因が示されました(図3)。一つ目はFSexoがより結晶構造中に導入されやすいというもので、フッ素原子の位置がスマネン骨格の面直方向に存在するFSendoと異なり、FSexoでは横方向に張り出した構造を取るため、結晶核形成にかかる分子間の立体反発が小さくなるという、構造的な要因に基づくものです。もう一つの要因は、溶媒和による安定化の寄与の違いです。溶媒和にかかる自由エネルギーを解析すると、DMF中ではFSendoに比べFSexoがより大きな安定化を受ける一方、ジクロロメタン中ではそれぞれの異性体に対して差がわずかであることがわかりました。つまり、そもそもFSexoが結晶中により取り込まれやすいという傾向に加え、溶媒和による安定化の度合いの差が、今回観測された結晶内のFSendo/FSexo存在比に反映されていると考えることができます。このことから、今後各分子に対する溶媒和自由エネルギーを分子動力学シミュレーションによって計算し、適切な溶媒系を選択することで、望むFSendo/FSexo存在比を持つ結晶の作成も可能になると期待できます。
図2. モノフルオロスマネンの特徴
図3. 結晶中のFSendo/FSexo比を決定する要因
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果は、精密な分子設計や有機合成を経由することなく、シンプルに結晶化溶媒を変換するだけで、物性を多様に調節できる単一分子結晶材料としてのお椀型分子の高いポテンシャルを明確に示すものです。今後、フッ素配向の局所解析を通じた特異な誘電特性の解明や、フッ素配向の精密制御や結晶の薄膜化により、多様な誘電・圧電材料の開発・応用展開が期待できます。
特記事項
本研究成果は、2024年2月20日(火)に米国科学誌「Journal of the American Chemical Society」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Biased Bowl-Direction of Monofluorosumanene in the Solid State”
著者名:Yumi Yakiyama, Minghong Li, Dongyi Zhou, Tsuyoshi Abe, Chisato Sato, Kohei Sambe, Tomoyuki Akutagawa, Teppei Matsumura, Nobuyuki Matubayasi and Hidehiro Sakurai
DOI:https://doi.org/10.1021/jacs.3c11311
なお、本研究は、科研費 新学術領域研究「π造形科学」JP26102002、学術変革領域A「2.5次元物質科学」JP21H05232、JP21H05233、学術変革領域A「超秩序構造科学」JP21H05563、JP23H04112、基盤研究A JP19H00912、JP20H00400、基盤研究B JP23H02622 文部科学省「物質・デバイス領域共同研究拠点」、文部科学省科学人材育成費補助事業「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(牽引型)」、分子科学研究所計算科学研究センター、公益財団法人高輝度光科学研究センター(SPring-8)、スーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラム「物理-化学連携による持続的成長に向けた高機能・長寿命材料の探索・制御」、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業「バイオ・高分子ビッグデータ駆動による完全循環型バイオアダプティブ材料の創出」の支援を受けて実施されました。
参考URL
用語説明
- ボウル反転運動
お椀型のπ共役分子が、平面状の遷移状態を経て、ひっくり返った構造に変換する挙動のこと。ほとんどが溶液中で観測される。その反転にかかる活性化エネルギーはお椀の深さが大きく関係しており、浅ければ浅いほど早く、深ければ深いほどゆっくり反転することが知られている。また置換基の位置によっては反転によって鏡像体を与える例も知られており、この際に生じる掌性を「ボウルキラリティー」と呼ぶ。
- 溶媒和自由エネルギー
溶質分子1個を真空中から溶媒内に移動させた時の自由エネルギー変化のこと。値が負に大きいほどその溶媒中で大きく安定化されることを表す。