脂質膜に含まれる水分子がコレステロールにより 強く束縛されるメカニズムを解明

脂質膜に含まれる水分子がコレステロールにより 強く束縛されるメカニズムを解明

ゆらぐ膜での水分子の動きを知るシミュレーション手法を開発

2024-7-10自然科学系
基礎工学研究科准教授金 鋼

研究成果のポイント

  • 生物にとって最も重要な構造体のひとつである脂質膜は、水中で二重膜を形成する。この膜における、水分子の動きをスーパーコンピュータ上でシミュレーション
  • 水分子が脂質膜を構成するリン脂質のどの官能基と水素結合するかを見出し、脂質膜の内部と外部を行き来する様子を解析
  • 脂質膜にコレステロールが存在すると膜の流動性が低下し、水分子が膜の内部へ強く束縛されるメカニズムを解明
  • 水分子の動的な挙動から膜の状態を知り、生命機能の解明へつながることが期待

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科の大学院生の四方 志さん(博士後期課程1年)は、笠原 健人助教、金 鋼准教授、松林 伸幸教授らと、コレステロールを含む脂質膜にある水分子が膜内部に強く束縛されるメカニズムを、分子動力学シミュレーションとよばれるコンピュータシミュレーションにより明らかにしました。

脂質膜とは、細胞膜をはじめとして、すべての生物を形作る上で最も重要な構造体のひとつです。脂質膜を構成するのはリン脂質とよばれる、電荷の偏りが大きく極性を持つ親水性のリン酸基と、無極性で炭化水素からなる疎水性の脂肪酸から構成される、両親媒性の分子です。水中で、外側に親水性の頭部を向け、内側に疎水性の尾部どうしを接する形で、二重膜が形成されます。さらに、コレステロールは、動物の細胞膜を構成する必須の物質であり、膜の性質に大きな影響を与えることが知られています【図1】。

脂質膜は二重膜の構造であることから、弾性的でありながら流動的である、ふたつの物理的性質を示します。したがって、脂質膜は構成するリン脂質やコレステロールだけでなく、膜近傍や内部にある水分子も同じ位置に留まらず、常に動き回っていて動的であると考えられてきました。これまで、脂質膜の状態を知るために、水分子が平均的にどこに存在するのかを明らかにする研究が数多くなされていました。しかしながら、ゆらぐ脂質膜の表面近傍や内部に存在する水分子が、実際にどのように動き回るのか、その詳細は解明されていませんでした。

今回、研究グループは、水分子がリン脂質のどの官能基と水素結合するのかを解析し、さらに水素結合の切断と再結合の動的な挙動を明らかにしました。また、ゆらぐ膜の表面近傍にある水分子と、内部にある水分子を分類することで、水分子の動的な性質を解析する新しいシミュレーション手法を開発しました。

その結果、コレステロールを含む脂質膜の内部にある水分子は、リン脂質のみから構成された脂質膜の場合に比べて、強く膜内部に束縛されることを明らかにしました。これにより、脂質膜の流動性と膜の内外を行き来する水分子の関係を明らかにし、生命機能を水分子の挙動から理解することにつながることが期待されます。

本研究成果は、米国物理学協会が発行するJournal of Chemical Physics誌の2024年7月7日(日)出版号に、特集号“Water: Molecular Origins of its Anomalies”の一報として掲載されました。

図1. リン脂質(DPPC)からなる脂質膜シミュレーションのスナップショット. (上図)リン脂質のみの場合は膜のゆらぎが大きいが,(下図)コレステロール(橙色)を含むと安定化され膜の流動性が低下する

研究の背景

リン脂質から構成される脂質膜は水中で二重膜を形成し、弾性的でありながら流動的でもあることが知られています。「膜流動性」ともよばれ、脂質膜が動的であり一定の流動性を保つことは、細胞内外で起こる物質輸送やシグナル伝達など、多様な生命機能の発現に密接に関与していると考えられています。さらに、膜流動性はリン脂質の化学構造、コレステロールの濃度、さらに外部の温度などによって大きく依存することも知られています。特に、膜内部にコレステロールが存在することは、コレステロールのヒドロキシ基とリン脂質のリン酸基が水素結合し、さらに疎水性のステロイド環がアルキル鎖尾部の間に侵入することで膜流動性を低下させ、脂質膜自体が安定化する効果があります。最終的には、水が存在する環境で膜の流動性が決まることから、脂質膜における水分子の役割に注目すべきである指摘が多くなされてきました。しかしながら、脂質膜近傍にある水分子がどこに位置するのか、平均的な存在確率を明らかにすることがほとんどであり、脂質膜が動的にゆらぐ中で、膜の内部と外部とをどのように動き回って行き来するのかを明らかにすることが課題でした

研究の内容

研究グループでは、分子動力学シミュレーションとよばれるコンピュータシミュレーションにより、ジパルミトイルホスファチジルコリン (DPPC) とよばれるリン脂質から構成される脂質膜を解析しました。また、コレステロールが添加された脂質膜についてもシミュレーションをし、コレステロール有無の膜の性質への影響を調べました。

その結果、コレステロールの存在により膜のゆらぎが抑えられ、リン脂質の配置が安定的になることがわかりました。このことは、膜の流動性が低下したことを意味します。また、水分子がリン脂質のどの官能基と水素結合するのかを詳細に解析したところ、水分子はDPPCの脂肪酸末端にあるカルボキシル基の酸素と強く水素結合していることがわかりました。その影響はコレステロールが存在する場合に顕著であり、水分子がDPPCからなる脂質膜内部に強く束縛されるメカニズムを明らかにしました。

さらに研究グループは、時々刻々と大きくゆらぐ脂質膜において、その近傍にある水分子を解析する新しいシミュレーション方法を開発しました【図2】。その手法を用いて、水分子と脂質膜にあるリン酸原子の距離のなかで最小なものに着目すれば、膜の内部、界面、外部の3つの領域に分類した解析が可能であることを実証しました。従来まで、膜のゆらぎを考慮するために、膜の界面部分を多面体によって領域分割する方法がありましたが、今回開発した手法は、既存手法より簡便かつ効率的に解析を可能にするものです。その結果、コレステロールが存在する脂質膜において、膜内部と界面近傍とで水分子が交換するにはより多くの時間を要することを明らかにしました。

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図2. 時々刻々とゆらぐ脂質膜の界面近傍におけるシミュレーションのスナップショット(左図). 水分子(赤色の酸素原子1個と白色の水素原子2個が結合)との距離が最小となる,リン脂質におけるリン原子(P,青色)に着目し(Step1),その水分子が脂質の内部,界面,外部の3つのどこの領域にいるのか分類する(Step2)シミュレーション手法を新たに開発し,膜内部と界面近傍とで水分子が行き来するメカニズムを解明した(右図).

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、脂質膜の流動性と機能発現の関係における水分子の役割が理論的に明らかになることが期待されます。特に、分子の動きを時々刻々追跡することを可能とする分子動力学シミュレーションにより、ゆらぐ脂質膜において水分子が動き回る様子を正確に捉えることは、膜の状態を知ることに直結することがわかりました。今後、分光や蛍光分子を用いた実験と協同することにより、膜流動性という物理的性質に対してより正確な分子描像の獲得をすることが可能となり、生命機能を水分子の挙動から理解することにつながると期待されます。

特記事項

本研究成果は、米国物理学協会が発行するJournal of Chemical Physics誌の2024年7月7日(日)発行号に、特集号“Water: Molecular Origins of its Anomalies”の一報として掲載されました。

タイトル: “Influence of cholesterol on hydrogen-bond dynamics of water molecules in lipid-bilayer systems at varying temperatures”
著者名: Kokoro Shikata, Kento Kasahara, Nozomi Morishita Watanabe, Hiroshi Umakoshi, Kang Kim, and Nobuyuki Matubayasi
DOI: https://doi.org/10.1063/5.0208008

なお、本研究は、科学研究費助成事業新学術領域研究「水圏機能材料:環境に調和・応答するマテリアル構築学の創成」公募研究(JP22H04542)、学術変革領域研究(A)「メゾヒエラルキーの物質科学」公募研究(JP24H01719)、基盤研究(B)「分子動力学と分光実験に基づく膜透過現象に対する共溶媒効果の究明」(JP23K26617)、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業「バイオ・高分子ビッグデータ駆動による完全循環型バイオアダプティブ材料の創出」(JPMXP1020230327)、

大阪大学「学際融合を推進し社会実装を担う次世代挑戦的研究者育成プロジェクト」などの支援を受けて行われました。また、本研究のコンピュータシミュレーションには、スーパーコンピュータ「富岳」、自然科学研究機構岡崎共通研究施設・計算科学研究センターおよび大阪大学サイバーメディアセンターが提供するスーパーコンピュータを用いました。

参考URL

用語説明

脂質膜

両親媒性分子であるリン脂質が水中で会合してできる二重膜のことを言う。さらに生体膜は、脂質膜に膜タンパク質などが寄り合って出来上がる。

官能基

化合物のなかで原子が連結された部分構造のことを言う。ヒドロキシル基(-OH)、カルボキシル基(-COOH)、カルボニル基(−C(=O)−)などがある。

水素結合

分子間に水素を介して形成される弱い引力的な相互作用を言う。例えば、水分子間では、酸素の電気陰性度が水素のものより大きいため、酸素−水素間で水素結合を形成する。

コレステロール

脂質のうちステロール脂質に分類され、小さな親水性部(ヒドロキシル基)と固いステロール骨格から構成される。コレステロールも生体膜に必須な構成成分であり、脂質膜の隙間を埋めるように存在している。

ジパルミトイルホスファチジルコリン

Dipalmitoylphosphatidylcholine(DPPC)

リン脂質を代表するグリセロリン脂質に分類される。グリセロリン脂質とは、グリセロール骨格に、2本の脂肪酸と、1つのコリンが結合した両親媒性分子を総称したものを言う。