
分子性導体の電子状態を レーザー光電子分光で捉えた!
次世代物性デバイス材料設計を開拓する新技術
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院基礎工学研究科の木須孝幸准教授、水上昂紀さん(博士後期課程)、関山明教授らの研究グループは、同研究科の石渡晋太郎教授、東京大学大学院工学系研究科 宮川和也助教、同大学大学院新領域創成科学研究科 鹿野田一司特任研究員らとの共同研究により、光電子分光によって分子性導体の超伝導状態の電子を直接捉えることに世界で初めて成功しました。
これまで、電子状態を直接観測できる光電子分光法による分子性導体の電子構造の研究は、励起光によるラディエーションダメージ(照射損傷)が大きいことからほとんど行われていませんでした。今回、研究グループは、低エネルギーレーザーを励起光として用いる光電子分光装置を開発し、分子性導体における超伝導ギャップを明瞭に観測することに成功しました。今回の手法によって、分子性導体の電子構造について直接的な知見が得られるようになることで、Society 5.0の実現に向けた、分子性導体を利用した新規物性デバイス材料開拓研究の加速が大いに期待できます。
本研究成果は、2025年6月6日に、日本物理学会が発行する英文誌Journal of the Physical Society of Japan (JPSJ)の2025年6月号に注目論文(Editors’ Choice)として電子版で掲載されました。
図1. 大阪大学基礎工学研究科に建設されたレーザー光電子分光装置。左上は本研究で測定した分子性超伝導体κ-(BEDT-TTF)₂Cu(NCS)₂の単結晶。
研究の背景
光電子分光法(Photoemission spectroscopy: PES)は物質に光を入射して、外部光電効果によって真空中に飛び出した電子のエネルギーを測定することにより、物質中の占有電子状態を直接的に観測できる実験手法で、様々な物質の電子の様子を観察するために用いられています。
分子性導体においては、光電子分光による研究例は少なく、その数例においても物質が金属にも関わらず、金属に現れる特徴的な電子の状態が見えないなど本質的な結果なのかが疑わしいものもありました。また、分子性導体の光電子分光による観測は、励起光によるラディエーションダメージによって分子が損傷を受けるなどして電子構造が変化してしまうことが知られています。励起光のエネルギーによっては照射した直後に劣化することがある他、試料の冷却や表面準備などにも大きな困難が存在し、一般的には、分子性導体の光電子分光は極めて困難と認識されています。
それでも、分子性導体において、光電子分光によって電子状態を直接観測することは、電子が織りなす様々な物性を理解し、応用することで新しいデバイス材料を開拓するためには不可欠です。そのため、光電子分光によって分子性導体の正しい電子状態が得られることに、大きな期待がかけられていました。
研究の内容
研究グループは、ラディエーションダメージが小さい6 eVのレーザーを励起光とした分子性導体研究に適した光電子分光装置を開発し、適切な冷却プロセス・蓄積されたノウハウに基づいた表面処理を行いました。そうすることで、分子性超伝導体κ-(BEDT-TTF)₂Cu(NCS)₂の常伝導状態におけるフェルミ端と超伝導状態における超伝導ギャップの直接観測に初めて成功しました。さらに数値解析により、本物質の超伝導ギャップは銅酸化物高温超伝導体と類似したd波の対称性を持っていることを示しました。この、これまで不可能だった「光電子分光によって分子性導体の超伝導ギャップを見る」事に成功したことは、今後の分子性導体の研究において光電子分光が重要な役割を果たせることを示しています。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、光電子分光によって分子性導体の電子状態を直接知ることが可能になったため、分子性導体の電子物性研究が加速することが期待されます。また、それに伴って将来の分子性導体を用いた次世代材料開発への応用も期待でき、持続可能な社会の実現に貢献することができます。
特記事項
本研究成果は、2025年6月6日(金)に日本科学誌「Journal of the Physical Society of Japan (JPSJ)」に注目論文(Editors’ Choice)として掲載されました。
タイトル:“Direct Observation of a Superconducting Electron Structure of k-(BEDT-TTF)₂Cu(NCS)₂ by Photoemission Spectroscopy Using a 6-eV-Laser”
著者名:Koki Mizukami, Kazuaki Sorime, Hiroshi Yomosa, Hidefumi Takahashi, Shintaro Ishiwata, Kazuya Miyagawa, Kazushi Kanoda, Hidenori Fujiwara, Akira Sekiyama, and Takayuki Kiss
DOI:https://doi.org/10.7566/JPSJ.94.073701
なお、本研究は、JSPS科研費(JP16H04014,JP16H04015,JP21K18144,JP22K03527,JP23K25815,JP24K03202,JP24K06941,JP20102003,JP20H05271,JP22H04594, JP23H04867,P23684027,JP20001004)、および大阪大学カデットプログラムの支援を受けて行われました。
SDGsの目標
用語説明
- 光電子分光
アインシュタインの光量子化説に基づく外部光電効果を利用して、物質に仕事関数を超えるエネルギーを持つ光を照射した際に物質外に飛び出す光電子のエネルギーを分析する実験手法です。物質の電子状態を調べる方法として広く用いられています。測定試料から直接電子を取り出すため、物質中の電子状態を直接分析することが可能です。
- 分子性導体
分子性導体は、その構成要素を分子とする電気伝導体です。一般的な有機化合物は通常絶縁体ですが、化学修飾などによって電子やホールを注入すると、伝導体となります。電子を与えるドナー分子、電子をもらうアクセプター分子を組み合わせることで合成される安定な電荷移動錯体も伝導性を持つものがあります。分子性導体という呼称の他に合成金属・有機伝導体とも呼ばれます。これらの分子性導体(有機伝導体)で発現する諸物性を大きく支配する電子構造については、間接的な知見に依る部分が大きく、直接的な電子状態観測はあまり行われていません。
- 励起光
電子を励起するための光で、この光子から電子はエネルギーを受け取り外部光電効果を起こします。光電子分光においては仕事関数(表面から電子が飛び出すために必要なエネルギー障壁)以上のエネルギーを持つ光が必要となります。一般的には真空紫外から硬X線の領域(20 ― 15000 eV)の光が用いられますが、本研究では下限に近い低エネルギーの紫外線(6 eV)を用いています。
- 超伝導ギャップ
金属における電気伝導は自由電子に由来します。一方で、超伝導体においては電子はペア(クーパー対)を組んで運動しています。これは自由電子だったものが、格子(原子核)などの糊(グルーオン)の影響によって本来反発するはずのマイナスの電子同士であってもクーパー対を形成した方がエネルギー的に安定して抵抗無しで動き回れるからです。このエネルギー利得が超伝導ギャップで、自由電子のエネルギー(フェルミ準位)に電子が存在しないエネルギー領域(ギャップ)を生じます。


