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究極のコンピュータへ「もう一つの道」 イオンで可視化する量子情報

先導的学際研究機構・特任准教授(常勤)・豊田健二

最新鋭のスーパーコンピュータ(スパコン)が何年かかっても解けない課題を、一瞬にして解決するデバイスとして期待が高まる「量子コンピュータ」。21世紀に入って多くのブレークスルーを達成し、特定領域でスパコンの計算速度を上回る「量子超越の実証」まで行き着いた。現時点で注目度が高いのは米グーグル社(Google)などが採用する「超伝導」方式だが、「イオントラップ」や「光量子」といった別の方式も有望視され、研究成果が積み重ねられている。大阪大学先導的学際研究機構 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)の豊田健二・特任准教授(常勤)(以下、豊田准教授)はイオントラップによる情報処理で、世界の先端を走る研究者の一人だ。自然界の真理に行き着くための道は一つとは限らない。イオントラップの現在地や将来の可能性について、豊田准教授に聞いた。

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「超伝導」との先頭争い

 「イオントラップ」とは読んで字のごとし。原子から1個の電子を取り去って生じるプラス電荷のイオンを、電圧によって真空中に閉じ込めたものだ。

 常温であればイオンはランダムな熱運動を繰り返すが、レーザー冷却という手法によって熱運動できない状態を作り出すと、イオンは「トラップ」の中にほぼ完全に静止する。極めて安定した状態のイオンに量子的な操作を加えることで、複雑な計算を実現しようという試みだ。

 イオントラップによる量子情報処理の出発点は四半世紀も前にさかのぼる。1995年、イオントラップを利用した2量子ビットの「量子演算ゲート」が実現され、世界の研究者が社会実装を見据えた研究を続けている。一方、超伝導方式は21世紀の到来と前後するように頭角を現し、グーグル社が2014年に開発チームを結成。その5年後の論文で「量子超越を実証した」と宣言したことで、量子コンピュータが世間の注目を浴びることになった。

 これからも、超伝導方式が先頭を走り続けるのか。あるいはイオントラップなど別の方式が一気に追い付き追い越す時がやってくるのだろうか。

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↑イオントラップ

「イオントラップ」の優れた特性

 航空宇宙などの分野で知られる米国の巨大企業「ハネウェル」(Honeywell)は2020年、イオントラップ方式で量子コンピュータ開発を進めていると発表。2020年12月には、中国科学技術大学などの研究チームが光量子コンピュータで量子超越性を実証したと発表した。複数の方式による開発競争が激しさを増している。

 超伝導方式は超伝導物質でできた電極を利用する「固体デバイス」だ。電子回路で構築されるスパコンなど「古典コンピュータ」の延長線上で開発を進められる利便性がある一方、周囲に存在する物質が発する「ノイズ」を除去してエラーを排除・訂正することが技術的課題となる。超伝導現象を引き起こすため、物質を絶対零度に近い低温まで冷却することも必要だ。

 対してイオントラップは、常温の真空中に数十個のイオンを孤立した状態で留め置くことができるため、量子情報を高精度で得られる。豊田准教授は「イオントラップには量子状態を乱す要素が少なく、特性の良さがある」と説明する。超伝導方式では一定の量子状態を保持できる期間が100マイクロ秒程度とされるが、イオントラップでは10分以上保持することが可能で、「1時間以上」とする成果も報告されている。

 ただ、電子回路とは独立した状態で存在するイオントラップは、計算を行う度にイオンを捕まえて量子状態を初期化するという準備作業が求められる。また、超電導に比べて持続時間が長いとはいえ、イオンには正確に波長を調節したレーザーを照射し続ける必要があり、話し声や少しの振動でもレーザーの波長がずれてしまう可能性があることから、イオンを留め続けておく中での操作はデリケートなものが要求される。「複雑な計算をするには、たくさんの量子ビットを組み合わせて、繰り返し確実に動作させる必要がある。根源的な障壁はないものの技術的な障壁はある」というのが豊田准教授の現状認識だ。

「メカ好き」の研究者

 豊田准教授の研究室を訪れると、コンピュータやレーザー光の発生装置、レーザー光の波長を調節するための無数のレンズなどが所狭しと並ぶ。まさに「実験工房」と呼びたくなる光景だ。

 豊田准教授は小学生の頃に国産のパーソナルコンピュータが市場に出回り始めた「パソコン黎明期」の世代だ。趣味で電子回路を作るなど「メカ好き」が高じて、「その根本にある物理学を学びたい」と考えて京都大学理学部に進んだ。

 京大で中性原子を研究し、99年に阪大に移ってからイオンを扱うようになった。いずれも「粒子」と「波」の二面性を持つ「量子」のふるまいが、鮮明に観察できる分野。「いろいろなものごとの根源的な性質を探っていくと、その基礎原理として量子的な現象がある」との思いに至り、量子を研究の核に据えるようになった。

 豊田准教授は自らを「実験屋」と呼ぶ。子供の頃の電子工作がミクロの世界へと展開し、物質の最小単位に近い原子を扱うようになった。「原子を使ってデバイスを組んでいるような『モノづくり』の感覚でやっている」という。量子コンピュータはこれから成熟を迎える分野だけに「基礎的な興味と応用、ブレークスルーが密接につながっている部分が醍醐味です」と瞳を輝かせる。

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新たな道への挑戦

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 イオントラップの特性を生かして量子コンピュータを大規模化するため、世界では「量子CCD法」と「光子相互接続法」という二つの方式について研究が進められる。

 ハネウェル社が採用した量子CCD法は、イオントラップを多数の電極につないで、イオンを電圧によって移動させ、移動を繰り返すことで複雑な計算を実現する。光子相互接続法は「量子通信」でも用いられる手法で、複数のイオンが発する光の粒子「光子」を取り出して相互に干渉させることで、別々のイオントラップにあるイオン同士を結びつける方式だ。

 二つの方式を組み合わせることも可能で、ある程度の規模まで量子CCD法で構築し、光子相互接続法でつなげるという方法も考えられる。

 一方、豊田准教授のチームは新しい量子ビットの構築法への挑戦を始めている。2015年11月、当時は助教だった豊田准教授と大阪大学の占部伸二・名誉教授らのグループが、「2個のフォノンの量子干渉の観測に世界で初めて成功した」という研究成果を英ネイチャー誌に発表した。

フォノンは物質の振動エネルギーを表す基本粒子。イオントラップ中のイオン2個で、それぞれ違う位置にフォノンを発生させたところ、イオン同士の相互作用によってフォノンが移動し、各イオンの同じ位置で検出されることがわかった。光子では確認済みの現象が、フォノンでも起きることを解明した。

 豊田准教授はフォノンの性質を利用した量子ビットの実現にむけて、2020年から本格的な研究に取り組んでいる。フォノンのエネルギー状態は無限に存在するため、一つの量子ビットで多数の量子状態を担うことができ、誤り訂正の機能も内蔵することができる。「他の方法に比べてシンプル」なのが強みで、今後は多数個を組み合わせるために研究を発展させていく。

 科学者の存在意義とは何だろう。豊田准教授は「人類の未開の領域を広げていくこと」に強いモチベーションを感じている。

 世界一の計算速度を持つ理化学研究所のスパコン「富岳」でさえ解明できない課題が、この宇宙には今も多数残されている。「量子情報処理が実現できれば、物質の性質や、化学反応のシミュレーションができるようになる。現在は難しいとされる新しい超伝導体の探索も可能になるだろう」

 長さ数センチの小さなイオントラップが担う夢は無限大だ。

豊田准教授にとって研究とは

人類のフロンティアを拡張すること。人類にとって未開の領域、「フロンティア」を拡張することに貢献したい。研究は自分たちが世界を認識していくプロセス。量子コンピュータの開発が進めば、人間が自然をより理解し、あわよくば制御下における領域を拡張していけると感じている。

●豊田 健二(とよだ けんじ)

先導的学際研究機構 量子情報・量子生命研究センター(QIQB) 特任准教授(常勤)

1994年京都大学理学部卒業、99年同大学理学研究科単位取得退学、2002年博士(理学)を取得。1999年大阪大学基礎工学研究科助手、2007年同研究科助教を経て、19年4月から現職。専門は、レーザー冷却・トラッピング、イオントラップ、量子情報処理、原子物理学、レーザー分光学。

   

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究極のコンピュータへ「もう一つの道」~イオンで可視化する量子情報~

(2020年11月取材)