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素粒子を紐解き、宇宙を知る

理学研究科・教授・橋本幸士

日本人として初めてノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士は大阪帝国大学理学部講師だった1934年、「中間子」の存在を予想し、「素粒子の相互作用について」とする論文を発表した。原子や、それより小さい素粒子は「量子」と呼ばれ、粒子のようにも、波のようにも振る舞う不思議な性質を持っている。そうした極微の世界を扱う「量子力学」は当時、誕生したばかりで、世界中の学者が研究にしのぎを削っていた。湯川博士は、既に存在が知られていた電子や陽子、中性子といった原子核の構成要素に加え、中間子という存在を仮定することで、原子核がバラバラにならないように結び付ける力の正体を説明したのだ。画期的なアイデアで、1949年のノーベル賞につながった。戦後疲弊していた人々を勇気づけたほか、多くの若者を素粒子研究に呼び寄せ、この分野で日本が重要な役割を果たすきっかけともなった。とはいえ人間の目には見えない極微の世界。現代の研究では、「超ひも理論」「異次元空間」など日常生活の常識とはかけ離れた考え方も登場し、それが実は宇宙の成り立ちにもかかわってくるという。理解するのはなかなか難しい。そこで大阪大学理学研究科の橋本幸士教授(素粒子論)に「そもそも素粒子物理学ってなに?」を説明してもらった。

素粒子を紐解き、宇宙を知る

宇宙は17種類の素粒子でできている?

橋本教授は開口一番、「モノとか宇宙が究極的には何からできているのかを知りたいという学問です」という。
モノが何からできているかを探るため、どんどん分割していくと、水素や酸素などの原子に到達する。その原子も実は物質の最小単位ではなく、原子核の周りを電子が回っているという構造が20世紀初めに明らかになった。その原子核を壊してみると、さらに陽子と中性子に分かれる。では陽子や中性子を壊せばどうなるのか。さらにその先は……。
「小さくなるほど壊しにくくなりますが、技術が進むことで壊せるようになります。人類が今の技術で到達した一番小さな粒のことを素粒子とよぶのです。理論的に存在が予想されていたトップクォークという素粒子が1995年に、ヒッグス粒子が2012年に見つかりました。光子(光の粒子)や電子も素粒子です。これまでに見つかった素粒子は17種類、驚くべきことに、人類に見えている宇宙はその17種類の素粒子からほとんどできています。しかも1970年代には素粒子の標準理論が完成し、それぞれの素粒子がどんな法則で動くのかを、たった一つの方程式から導きだせるようになりました。宇宙も人間社会も複雑さに満ちていますが、結局はこの17種類の素粒子がどんな風にくっついたり、離れたりするかという法則に還元される。その方程式を私たちは知っている。人間の英知はそこまで到達してしまったわけです」
だとすると、宇宙の謎はすべて解明されたのか?
ことはそう簡単ではなさそうだ。
「ではなぜその17種類の素粒子が存在するのか。本当はもっとあるのではないか。より哲学的な問いとして、どうして光はあるのか、どうして電子はあるのか。そうした根源的な問題を解き明かしたいというのが素粒子物理学です。本当は17種類ではなく、何百もあるかもしれない。いろいろあるなかで有力な考えの一つが、18種類目の素粒子として重力子が存在するという仮説です。なぜそのような予想をするかというと、現代物理学では力は素 粒子を媒介として生じると考えているからです。たとえば電磁気力は光子が媒介していることが分かっています。同じように、モノとモノが引き合う万有引力を媒介する重力子が存在するに違いないという考えです。しかし電磁気力などと比べ重力はとても弱いので観測が難しい。だからまだ実験的には重力子の存在は確かめられていません」

素粒子は「ひも」でできている?

では重力子が見つかったときこそ、宇宙の謎を探る旅に終止符が打たれるのだろうか? これまたそう簡単ではないらしい。なぜ素粒子はこの17種類(重力子を入れると18種類)なのか、なぜ光や重力が存在するのか。こういったより根源的な問いが残るのだ。そこで注目を集めているのが、素粒子はある種の「ひも」でできているという「超ひも理論」(超弦理論)なのだという。
「素粒子をつぶさに観察すると、ひもっぽく見えるという実験結果は、今のところ一切ありません。しかし、ひもだと仮定すると非常にいいことがある。たとえば光には偏光という性質があります。映画館で3D映画を見るとき、偏光メガネをかけると立体的に見えます。これは縦と横の偏りを持つ光を、左右の目に別々に通すからです。素粒子が点ではなくひもだと考えれば、ひもの縦横の振動の違いで偏光を説明できます。しかも、ひもの振動方程式から、電磁波(光)の運動を記述するマクスウェル方程式が自動的に導きだせる。さらにすごいのは、重力の性質を記述するアインシュタイン方程式も、素粒子がひもだと仮定すると、導くことができる。この世になぜ光が存在するのか、なぜ重力が存在するのか、そうした根源的な疑問を数学的に説明できるのです」
さまざまな謎を、素粒子が「ひも」だという仮定を設けることでシンプルに解ける。多くの物理学者がこぞって取り組むだけの魅力にあふれているが、その先に見える光景は想像を絶するものだ。
「私たちは、自分たちが暮らす世界は縦、横、高さの3次元空間だと思っています。しかし、超ひも理論によると、空間が9次元でなければ数学的に矛盾が生じるのです。では、なぜ私たちが見ている空間は3次元しかないのか。これを解決するアイデアとして、9次元のうち6次元は小さく縮んでいて私たちには見えないと考えるものがあります。たとえば綱渡りをしているピエロを考えましょう。彼はロープの上を前後するだけなので、ピエロに見えるロープは1次元です。そのロープの表面にアリがいたとします。アリはロープの表面を前後にも左右にも動けるので、2次元の世界にいます。もしロープの内部にノミがいれば、ノミにとってそこは3次元の世界です。それと同じように、人間は9次元の世界にいるのに、3次元にしか見えていないだけ。そう考えるんです」

新しい科学の地平をひらけるか?

にわかには信じがたい世界像であり、物理学者といえどそれを疑う人は多かった。橋本教授も大学院生だった1995年ごろ、「超ひも理論なんか、やらんほうがええぞ、人生棒に振るぞ、と先輩に言われました」と笑う。しかし宇宙はなぜ存在しているのか、宇宙のはじめは何だったのか。こうした疑問に答えを出してくれそうな魅力に抗しがたく、「どっちにしても人生を棒に振るならば、超ひも理論の研究をやろう」と決意したという。
「幸運なことに私が研究を始めたころ、超ひも理論の研究に革命的な進展がありました。英国の物理学者ホーキングによるブラックホールの熱力学的な研究における困難が解決されるかもしれないという、アルゼンチン出身の物理学者マルダセナが提唱したホログラフィ原理です。ホーキングはブラックホールが熱を持つとすればどれくらいかという仮説を提唱しましたが、ブラックホールが、ひもの集まりだと考えると、説明がつくことが明らかになりました。またホログラフィ原理によると、電磁気のふるまいを記述するマクスウェル方程式を少し一般化したシステムと、重力を説明するアインシュタイン方程式のシステムは、空間の次元を変えて考えれば同じになるというものです。一方は電子や光子のミクロな話、一方は重力がからむ宇宙の話、それが同じ方程式で表せる。もし本当なら、今まで別々のものと考えられていた重力とその他の力は同じものかもしれない。17種類とか18種類とかの素粒子も、大もとは一つであって、見え方が違うだけかもしれない。まったく異なるパラダイムに科学を持っていく可能性を秘めています」
宇宙観・物質観をがらりと変える「超ひも理論」は究極の理論ともいわれる。だがそれを証明する直接的な実験結果はまだない。橋本教授は「ヒッグス粒子を発見した大型ハドロン衝突型加速器(LHC)などでも証拠を探っています。超ひも理論を検証できるかもしれない新しい素粒子の兆候が見えた、というウワサがときどき流れますが、あとでダメでしたと分かってがっかりすることもあります」と明かす。
私たちが生きている間に証拠が見つかり、新しい科学の地平がひらくときがくるのだろうか?

橋本教授にとって研究とは

私にとって研究は趣味、好きでたまらんからやっているんです。新しいことを思いついて、世界中で自分だけが知っている。このワクワク感がたまりません。

●橋本 幸士(はしもと こうじ)
大阪大学大学院理学研究科/先導的学際研究機構 量子情報・量子生命研究センター 教授
2000年京都大学大学院理学研究科修了、理学博士。カリフォルニア大学サンタバーバラ理論物理学研究所、東京大学、理化学研究所などを経て、12年大阪大学大学院理学研究科教授。専門は素粒子論、超弦理論。大阪大学総合学術博物館湯川記念室委員長。『Dブレーン 超弦理論の高次元物体が描く世界像』(東京大学出版会)などの専門書のほか、自らの分身「浪速大学教授 浪速阪章六」が研究の最前線を分かりやすく解説した『超ひも理論をパパに習ってみた』(講談社サイエンティフィク)などの一般書も多い。

   

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(2020年3月取材)