ミクロの世界から宇宙まで「量子」が謎を解きほぐす


科学が急速に進歩した現代でも、この宇宙には未解明の不思議と謎があふれている。人間の鼻はどうやってにおいをかぎ分けるのか? 渡り鳥は何を頼りに目的地に向かって正確に飛んで行くのか? 光さえも逃げ出すことのできない天体「ブラックホール」のしくみとは? これらの謎を解明する鍵になるのが「量子」だ。大阪大学では2020年3月に「量子情報・量子生命研究センター」(QIQB)を正式に発足させた。人口の急激な増加と環境破壊が進むこの地球で、人間が次に踏み出すべき道はどこにあるのか。量子の分野で世界の先頭集団を走る研究者たちが知恵を結集して、未来への一歩を踏み出す。

量子は「日常的な物理の法則」には従わない

 量子は「粒子」と「波」の性質をあわせ持った、微少な物質やエネルギーの単位のこと。物質を形成する原子や、原子を作る電子・中性子・陽子、光の粒である光子や、ニュートリノなどに代表される素粒子が、量子に含まれる。
 私たち人間が、普段目にして直感的に理解している現象は「古典物理」によって説明される。ところが目に見えないミクロの世界は、古典物理とは異なる原理によって支配されている。
 「粒子はある位置に存在している」というのが古典物理の立場だ。一方、粒子と波の両方の性質を持つ量子は、位置を観察した瞬間に波としての性質を失うが、観察されない状態では、さまざまな位置に存在する可能性の波が重なった「重ね合わせ」の状態として存在する。

量子は意外に「シンプル」である

 話が少々複雑になったところで、QIQBセンター長の北川勝浩教授にご登場願おう。身長191センチの北川教授によると「量子をやってる人はなぜか背が高い人が多い」傾向があるらしい。還暦を過ぎているとは思えないダンディーないでたちだが、研究の話になると、姿勢がどんどん前のめりになる。
 小学生時代、アマチュア無線に憧れて免許取得のために負の数、平方根、複素数まで頭にたたき込んだ。高校では数学に夢中になり、阪大に入って最初に学んだ専門は電子工学だった。半導体レーザーの研究を経て、電電公社(現NTT)で次世代の光通信を手掛け、量子の世界に導かれた。
 量子には「重ね合わせ」に加えてもう一つ、不思議な性質がある。二つの量子が「量子的な相関」をもっている場合、どれだけ離れた場所にあっても、一方の状態を観測すれば、他方の状態も分かるのだ。「エンタングルメント」(量子もつれ)と呼ばれ、量子通信や量子コンピュータはこの性質を応用したものだ。
 そして、北川教授をはじめ量子分野の研究者が口をそろえるのが「量子は極めてシンプルで美しい数式によって表現できる」ということだ。研究者たちが魅せられる「美しさ」が、実は複雑な迷路への入り口でもある。

量子は空想を現実に変える

 ミクロの世界から、目に見える世界に視点を移した瞬間、量子力学の数式通りの現象を再現することは困難になる。たとえば光は、光ファイバーの中を伝播する間に損失を受けて減衰し、エンタングルメントのような量子としての特別な性質を次第に失う。量子を利用したデバイスをつくろうとする時、周辺で発生するさまざまな「雑音」の影響を取り除くために、膨大な努力と工夫が求められる。
 2010年代以降、急速に発展した「量子コンピュータ」は、非常に壊れやすい「重ね合わせ」の状態を制御し、「誤り=エラー」が生じた場合に正確に検出して訂正することが大規模な実用化への条件になる。既に得意分野であればスーパーコンピュータ(スパコン)を上回ることが証明されつつあり、将来は量子のふるまいに基づく幾多の現象の解明が進むと期待される。ミクロの世界での新たな発見が、医療や工業、環境、農業、エネルギーなど幅広い分野で、人類の生活の質を高めてくれるだろう。
 宇宙を舞台にしたSF(空想科学)作品では、物質の瞬間移動「テレポーテーション」が登場することも多い。これが量子の世界であれば、エンタングルメントを利用して「ある状態」を光の速さで遠く離れた場所に転送することが、現実に可能となる。これから量子の研究が進展することで、SFの物語は現実へと接近してくるはずだ。

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● QIQB(大阪大学先導的学際研究機構量子情報・量子生命研究センター)
2018年7月、大阪大学の「先導的学際研究機構」の一部門としてスタートした。「量子情報」は量子コンピュータや量子通信など、量子物理学と情報科学・計算機科学を融合した研究領域で、「量子生命」は量子情報と生命科学を融合したものだ。

2020-9-30