/ja/files/pc_resou_main_jp.jpg/@@images/image
“ゼロレベル魔法状態蒸留法”を構築

“ゼロレベル魔法状態蒸留法”を構築

誤り耐性量子コンピュータに必要な量子ビット数を大幅に削減!

2025-6-18自然科学系
基礎工学研究科教授藤井 啓祐

研究成果のポイント

  • 大規模な誤り耐性量子コンピュータに必要となる特殊な量子状態「魔法状態」を、低コストで蒸留する「ゼロレベル魔法状態蒸留法」を構築
  • これまで、「魔法状態」の精製には大量の量子ビットが必要で、その速度も遅いことが課題となっていた
  • 物理量子ビットレベル(ゼロレベル)でエラー耐性のある蒸留回路を構成することで、魔法状態蒸留に必要な計算コストを大幅に削減
  • 学会発表後、Googleなど海外の研究チームも注目し応用を試みるなど、大規模な誤り耐性量子コンピュータの実現へ大きく前進

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科の大学院生の糸川智博さん(博士前期課程)、高田侑吾さん(博士後期課程)、平野裕さん(博士後期課程)、大学院基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センターの藤井啓祐教授らの研究グループは、大規模な量子コンピュータに必要不可欠な「魔法状態」を、低コストで蒸留する「ゼロレベル魔法状態蒸留法」の構築に成功しました。

素因数分解問題や量子化学計算など、産業上重要な問題を高速で解くためには、量子誤り訂正機能を持った「誤り耐性量子コンピュータ」が必要不可欠です。そしてこの誤り耐性量子コンピュータに必要なのが、「魔法状態」と呼ばれる特殊な量子状態です。

しかし、魔法状態を作るためには多くのリソースが必要です。まず、たくさんの量子ビットで量子情報を符号化し、蒸留プロトコルを実行する必要があります(論理レベル魔法状態蒸留)。この方法は、多くの量子ビット数を必要とし、魔法状態を供給する速度も遅いため、専用の「魔法状態工場」を量子コンピュータに確保する必要がありました。

本研究では、論理量子ビットを用いて蒸留をするのではなく、物理量子ビットレベル(ゼロレベル)でエラー耐性のある蒸留回路を構成することで、魔法状態蒸留に必要な計算コストを大幅に削減しました。この結果、論理レベル蒸留に比べ、必要となる量子ビット数が約10分の1に、必要な計算ステップ数が2分の1になることが明らかになりました。

今回開発した「ゼロレベル魔法状態蒸留」によって、魔法状態工場が必要なくなり、複雑な計算に必要となる量子ビット数や計算時間が大幅に削減されることで、誤り耐性量子コンピュータの早期実現が期待されます。本研究グループからの学会発表以降、Googleのチームも本研究に着目しました。Googleのチームはさらなる改善を試み、「魔法状態栽培」という手法を開発し、その応用によって素因数分解に必要となる物理量子ビット数が10分の1まで削減されることを示すなど、海外にもすでに大きな影響を与えています。

本成果は、米国科学誌「Physical Review X Quantum」に、6月21日(土)午前0時(日本時間)に公開されました。

20250618_2_1.png

図1. 論理レベル蒸留(左)とゼロレベル蒸留(右)の回路の模式図。面積が物理量子ビット、高さがステップ数に対応。

研究の背景

量子コンピュータで素因数分解や量子化学計算といった産業応用上重要な問題を解くためには、量子デバイスで発生するエラーを誤り訂正する機能を持つ「誤り耐性量子コンピュータ」の実現が必要不可欠です。しかし、誤り訂正には多くの量子ビットが必要で、例えば2048ビットの素因数分解を実行するためには、2000万量子ビットが必要であるとされています。これが誤り耐性量子コンピュータの実現を難しくしています。

特に、T演算をはじめとする、万能な量子計算に必須な「非クリフォード演算」はエラーから守ることが難しく、特殊な状態「魔法状態」を高い純度で作る必要があります。この「魔法状態」を作る方法として、「魔法状態蒸留」という操作があります。これまで、魔法状態蒸留はエラーを訂正するために表面符号と呼ばれる誤り訂正符号に符号化された「論理量子ビット」を使って行われていました(論理レベル魔法状態蒸留)。しかし、このアプローチでは、多くの量子ビットと計算ステップが必要で、魔法状態の供給スピードも遅いため、大量に魔法状態を供給するために大規模な「魔法状態蒸留工場」が必要でした。これが、誤り耐性量子コンピュータに膨大な量子ビット数が求められる最大の要因でした。

研究の内容

本研究では、このような「論理魔法状態蒸留」のオーバーヘッドを低減させるために、符号化を行わず、物理レベル(ゼロレベル)で魔法状態蒸留を行い、その状態を表面符号へと量子テレポーテーションする、「ゼロレベル魔法状態蒸留法」を構築しました。

魔法状態蒸留に用いる回路と超伝導量子ビットを用いた量子コンピュータで主流となっている表面符号には互換性がありません。このため、魔法状態蒸留回路を、正方格子上に配置された量子ビットに対する最近接量子ビット間のゲート操作だけを用いて、誤り耐性がありかつ高い純度が得られるように構成しました。その結果得られた純度の高い魔法状態をさらに、異なる符号間の格子手術による量子テレポーテーションによって表面符号に転送します。この結果、表面符号方式で利用可能な魔法状態が、高い精度で得られることになります。

数値シミュレーションの結果、量子ゲートの物理エラー確率が0.1%の場合は、論理エラー確率が0.01%の魔法状態が、物理エラー確率が0.01%の場合は論理エラー確率が0.0001%の魔法状態が得られることが明らかになりました。これは、当分野の次のマイルストーンであるMegaquop machine(1メガ演算が実行できる量子コンピュータ)に十分な精度の魔法状態が得られることを意味します。本手法で必要となる量子ビットは75量子ビット程度でよく、既存の論理レベル蒸留と比較すると一桁以上少ない量子ビット数で動作するとともに、必要となるステップ数も半分になります。さらに、ゼロレベル魔法状態と既存の論理レベル蒸留を組み合わせることで、さらに精度が高い魔法状態を効率的に精製できることも研究グループの後続の研究から明らかになっています。

20250618_2_2.png

図2. ゼロレベル蒸留の詳細。①7量子ビット符号を用いた蒸留回路で魔法状態を蒸留し、②得られた状態を表面符号との格子手術と呼ばれる操作によって量子テレポーテーションさせて、③表面符号上の魔法状態を準備。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究では、魔法状態を圧倒的に少ない量子ビット数で精製できるため、素因数分解や量子化学計算など産業上重要な計算を高速化できる誤り耐性量子コンピュータの実現のハードルを大きく下げることになります。実際、本研究成果を米国物理学会で発表した後に、Googleのグループが本手法をさらに発展させた「魔法状態栽培」という手法を発表し、より精度の高い魔法状態が効率的に精製できることを示しました。この結果に基づき、最近2048ビットの素因数分解問題に必要な量子ビット数が1桁削減され、100万量子ビット規模の誤り耐性量子コンピュータで実行できることがGoogleのグループから発表されています。

以上のように、魔法状態蒸留はすでに分野に大きな影響を与え、誤り耐性量子コンピュータの実現に必要なリソースを大幅に削減することに成功しています。

特記事項

本研究成果は、2025年6月21日(土)午前0時(日本時間)に「Physical Review X Quantum」に掲載されました。

タイトル:“Efficient Magic State Distillation by Zero-Level Distillation”
著者名:Tomohiro Itogawa, Yugo Takada, Yutaka Hirano, and Keisuke Fujii
DOI: https://doi.org/10.1103/thxx-njr6

本研究開発は、科学技術振興機構(JST) ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」 研究開発プロジェクト「誤り耐性型量子コンピュータにおける理論・ソフトウェアの研究開発」(JPMJMS2061)、JST共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)「量子ソフトウェア研究拠点」(JPMJPF2014)、文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「知的量子設計による量子ソフトウェア研究開発と応用」(JPMXS0120319794)による助成を受けて行われました。

参考URL

大学院基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センター 藤井啓祐教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/5a85c8c10d5fa6bb.html

用語説明

誤り耐性量子コンピュータ

計算中に発生するエラーを自動的に検出・訂正しながら、長時間にわたって正確に動作し続けることができる量子コンピュータのこと。現在の量子コンピュータ(NISQ:ノイズあり中規模量子デバイス)は、短時間・小規模の計算しか実行できない。この課題を乗り越え、素因数分解や量子化学計算などの社会的に重要な問題を解くために必要なのが「誤り耐性」である。量子誤り訂正の技術を駆使して、多数の物理量子ビットを組み合わせて1つの論理量子ビットを構成し、計算中のエラーを検出・補正しながら処理を続ける。こうして構成された量子コンピュータは、膨大な計算を信頼性高く実行できる真の量子コンピュータとして、将来の科学技術や産業に革命をもたらすと期待される。現在、世界中の研究機関や企業がこの「誤り耐性量子コンピュータ」の実現を目指して開発競争を繰り広げており、量子コンピュータが実用化される鍵となる技術として注目されている。

魔法状態

T演算を実行するために必要となる特殊な補助状態。魔法状態とクリフォード演算を用いて量子テレポーテーションを実行することで、T演算を実行することができる。魔法状態が高い精度で準備できれば、エラー訂正が可能なクリフォード演算と合わせて、T演算をエラーから守って実行することができる。

魔法状態蒸留

ノイズのため純度の低い魔法状態から、精度の高い魔法状態を精製する手法。既存のアプローチでは、クリフォード演算をエラーから守るために、誤り訂正符号に符号化された論理量子ビットを用いて魔法状態蒸留を実行する、「論理レベル魔法状態蒸留」が主流だった。しかし、論理レベルで蒸留をするため、必要となる物理量子ビット数が多く、また魔法状態の供給のスピードも遅いことから、魔法状態蒸留工場という専用の計算領域を量子コンピュータ内に確保する必要があるという課題があった。

素因数分解問題

ある整数を、それ以上割り切れない「素数」の積に分解する問題のこと。たとえば「15」は「3×5」、「21」は「3×7」のように表すことができる。この問題自体は中学校で習うような一見単純なものだが、大きな桁数の整数になると、現在のコンピュータでは非常に時間がかかる困難な問題になる。この「計算の難しさ」は、RSA暗号と呼ばれる現在広く使われている公開鍵暗号方式の安全性の根拠となっている。RSA暗号では、非常に大きな素数同士をかけて得られる整数を鍵の一部として利用する。現在のコンピュータでは、その整数を素因数分解するのに膨大な計算時間がかかるため、情報の暗号化・通信の安全性が保たれている。ところが、量子コンピュータがこの前提を根本から覆す可能性がある。ショアのアルゴリズムという量子アルゴリズムを使えば、従来のコンピュータでは実質的に解けないような大きな数の素因数分解を、非常に高速に実行できることが理論的に示されている。もし十分に大規模な量子コンピュータが実現すれば、現在使われているRSA暗号は安全ではなくなる可能性がある。そのため、素因数分解問題は単なる数学の問題にとどまらず、情報セキュリティや国家の安全保障にも関わる極めて重要な問題として、量子コンピュータ研究の文脈で頻繁に議論されている。

量子誤り訂正

量子ビットは古典ビットと異なり、量子力学的な重ね合わせ状態を用いて、0と1の両方の情報を同時に表現する。しかし、この重ね合わせ状態は、量子ビットを取り囲む環境系と相互作用をしてしまうと壊れ、古典ビットになってしまう。その結果、量子計算にエラーが発生する。また、重ね合わせは連続的なアナログ情報を持つことができるため、その操作に微妙なずれが生じると、量子計算のエラーとなる。これらのエラーから量子情報を保護し、堅牢な量子情報処理を行う手法が、量子誤り訂正。量子誤り訂正では、複数の量子ビットを用いて1つの「論理量子ビット」を表現することで、それを構成する一部の量子ビットにエラーが発生しても、情報を復元できるように符号化を行なっている。

魔法状態栽培

ゼロレベル魔法状態蒸留にて準備された魔法状態をもう一段階蒸留するプロセスを追加することで、よりエラー耐性の高い魔法状態へと拡張する、「栽培」をする手法。この結果、クリフォード演算と同レベルの量子ビットを用いて魔法状態が準備できることが明らかになり、魔法状態工場は不要となった。

非クリフォード演算

量子コンピュータでは、H(Hadamard)演算やCNOT演算といったいくつかの標準的なゲートを組み合わせて回路を構成するが、これらクリフォード演算という種類の演算だけでは計算の表現力に限界がある。そこで、T演算のような非クリフォード演算を加えることで、あらゆる量子計算を可能にする万能な量子コンピュータが実現される。しかし、非クリフォード演算はエラーから守ることが難しく、その解決のために魔法状態蒸留が必要となる。

表面符号

量子誤り訂正符号の一種。特に超伝導量子ビットなど、2次元正方格子上に配置された量子ビットに対する最近接の2量子ビットゲートで誤り訂正が実行できる手法であり、超伝導量子コンピュータにおいて現在主流となっている。

Megaquop

NISQ(noisy intermediate-scale quantum device)というノイズのある中規模の量子コンピュータの次のマイルストーンとして、100万回の演算を信頼して実行(Megaquop: mega quantum operations)できる規模の量子コンピュータが期待されている。NISQの名前の生みの親である、John Preskillが2024年のQ2Bカンファレンスで、“Beyond NISQ: The Megaquop Machine”と題した講演で、Megaquop構想を発表した。