15億人が悩む神経障害性疼痛の痛みの原因物質を特定
新規鎮痛薬の開発に期待
研究成果のポイント
・神経障害性疼痛 の新規メカニズムを発見した。
・神経障害性疼痛を発症したラットでは、痛み刺激の伝達に重要である脊髄後角 でFLRT3 タンパク質の発現が増加しており、脊髄内介在神経で発現するFLRT3の抑制により持続的な鎮痛効果が見られた。
・15億人以上が患うとされる慢性疼痛に対して、高い鎮痛効果を示す治療薬の開発に繋がることが期待される。
概要
大阪大学大学院医学系研究科分子神経科学の藤田幸准教授、山下俊英教授(分子神経科学)らの研究グループは、神経の異常な興奮で起こる痛みである神経障害性疼痛において、痛みの伝達に重要である脊髄後角でFLRT3タンパク質の発現が増加し、痛みを増幅させることを動物モデルで発見しました。
慢性の疼痛は全世界で15億人以上の患者がいると推計され、一方で現在の治療に満足する患者さんは1/4程度に過ぎず、大きな社会問題となっています。特に神経障害性疼痛は、神経損傷、糖尿病、脳卒中などの疾患に起因して発症し、原因疾患の治癒後も持続する難治性の疼痛です。これまでの治療法は、中枢神経系での神経伝達の遮断や減弱をコンセプトとしており、めまいや眠気、依存などの副作用が認められていました。そのため、これらの副作用を回避して鎮痛効果を発揮する新規治療ターゲットが望まれていました。今回、山下教授らの研究グループは、神経障害性疼痛モデル動物では、FLRT3タンパク質が、痛みを伝える末梢神経、及び脊髄後角で発現が増加することを突き止めました。FLRT3を抑制すると、持続的な鎮痛効果がみられました (図1) 。
今後、本研究成果により、既存の薬では治療しきれない慢性疼痛に対して、FLRT3の発現を抑制することで、高い有効性と安全性を両立させた画期的な疼痛治療薬の開発が期待されます。
本研究成果は、米国科学誌「Journal of Neuroscience」に、7月25日(木)に公開されました。
図1 FLRT3の増加により痛みが増加する
研究の背景
痛みは人体の危険を知らせる重要な警告システムです。通常は、怪我や病変を知らせ、患部を保護する防衛機能として働き、原因疾患の治癒とともに消失します。一方で、生理的に害となる痛みも存在します。必要以上に長く続く痛みや原因のわからない病的な痛みであり、慢性疼痛とよばれます。慢性疼痛は患者数が全世界で15億人以上、米国における経済的損失が約9兆円と推計されており、非常に大きな社会問題となっています。特に神経の損傷や機能障害をきっかけとして発症する神経障害性疼痛は、既存薬による治療効果が低いことから、有効な治療法の確立に繋がるような新たな発症メカニズムの解明が必要です。神経障害性疼痛の病態形成には、痛みの伝達経路の異常が強く関与していることが知られてきました。特に末梢からの痛み情報を修飾して中枢へと伝える脊髄の後角は神経障害性疼痛の主要な原因箇所です。神経の損傷によって脊髄後角では、神経回路の再編が起こり、神経細胞が過剰に興奮した状態に陥ります。この神経興奮による痛み情報の増幅が神経障害性疼痛の原因になると考えられてきましたが、神経興奮がどのような分子メカニズムで起こっているのか、その詳細は不明でした。今回、痛みシグナルの伝達や中継に重要な部位である末梢神経、および脊髄後角に着目し、痛みの増幅に関わる分子や、そのメカニズムを調べました。山下教授らの研究グループの先行研究から、脊髄後角のネトリン-4 タンパク質が、Unc5B受容体 を介して、脊髄後角での神経興奮を引き起こすことがわかっていました。しかし、ネトリン-4は神経損傷後に発現増加しないことから、神経損傷をきっかけとしてUnc5Bを介したシグナルのスイッチとなるメカニズムがあるのではないかと考えられました。
本研究の成果
今回、山下教授らの研究グループは、Unc5Bと結合する、他の分子が疼痛の発症に必要である可能性を検討しました。その結果、Unc5Bの結合パートナーの一つであるFLRT3タンパク質が、疼痛モデルの末梢神経、および脊髄後角で、発現増加することを見出しました (図2) 。
次に脊髄で増加するFLRT3が疼痛を引き起こすのかを検証しました。ラットの脊髄髄腔内にFLRT3を投与すると、通常のラットでは痛みとして認識されないような軽度の刺激でも、痛みを生じ、痛覚過敏の症状が起こりました。また、このとき、活性化した神経細胞の数が脊髄後角で増加していました。従って、FLRT3は神経の異常な活性化を介して痛みを引き起こす物質であることがわかりました。さらに、末梢神経が障害され痛覚過敏の症状があるラット(神経障害性疼痛モデルラット)に、FLRT3の機能を抑制する抗体の脊髄髄腔内への投与や、FLRT3の発現を抑える核酸(shRNA)を末梢神経で発現させることによって、持続的な鎮痛効果が見られました (図3) 。
FLRT3の機能を抑制する抗体は、FLRT3とUnc5B受容体との結合を抑制したことから、脊髄後角で発現が増加したFLRT3は、痛みを伝える二次痛覚神経に発現するUnc5B受容体に結合することで、この神経に神経興奮を引き起こし、神経障害性疼痛を発症させることが示唆されました (図4) 。
図2 末梢神経におけるFLRT3メッセンジャーRNA(mRNA)の増加と脊髄後角におけるFLRT3タンパク質の増加
図3 FLRT3投与による痛みの増幅(左)とFLRT3機能抑制による鎮痛作用(右)
図4 FLRT3が痛みを増幅するメカニズム
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、神経損傷後に末梢で発現するFLRT3が脊髄後角に運ばれ疼痛を誘発する働きがあること、疼痛モデルにおいてFLRT3抗体投与が鎮痛効果をもたらすことがわかりました。FLRT3という損傷部特異的に発現上昇する分子を標的に定めることで、治療効果が高く安全な疼痛治療薬の創出に繋がることが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2019年7月25日(木)に米国科学誌「Journal of Neuroscience」(オンライン)に掲載されました。
【タイトル】“Increased expression of fibronectin leucine-rich transmembrane protein 3 in the dorsal root ganglion induces neuropathic pain in rats”
【著者】Moe Yamada 1 , Yuki Fujita 2,3 , Yasufumi Hayano 2 , Hideki Hayakawa 4 , Kousuke Baba 4 , Hideki Mochizuki 4 , and Toshihide Yamashita 1,2,3,5
1 大阪大学 大学院生命機能研究科 分子神経科学
2 大阪大学 大学院医学系研究科 分子神経科学
3 大阪大学 免疫学フロンティア研究センター
4 大阪大学 大学院医学系研究科 神経内科学
5 大阪大学 大学院医学系研究科 創薬神経科学
なお、本研究は、科学研究費補助金基盤研究(S)の一環として行われました。
参考URL
大阪大学 大学院医学系研究科 分子神経科学
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/molneu/index.html
用語説明
- 神経障害性疼痛
(しんけいしょうがいせいとうつう):
神経障害性疼痛は、体の感覚を伝える体性感覚神経系の、損傷や病変の結果として発症する。痛覚過敏や刺激がなくても痛みを感じる自発痛が症状の特徴である。
- 脊髄後角
(せきずいこうかく):
脊髄の細胞が分布する灰白質のうち、背側の部分。末梢からの痛み情報は、末梢神経(一次神経)から脊髄後角で二次痛覚神経に伝達され、脳へ伝わる。
- FLRT3
(fibronectin leucine-rich transmembrane protein 3):
FLRTは膜貫通型タンパク質であり、哺乳類にはFLRT1-3までの3つのファミリー分子が存在する。FLRT3は神経突起伸張やガイダンスや細胞接着分子としての機能が知られている。これまで、末梢神経の切断によって、FLRT3の発現が増加することが知られていたが、成体で痛みを引き起こすメカニズムは本研究グループの成果によって初めて明らかになった。
- ネトリン-4
ネトリンは、発生期に神経軸索の誘引や反発などを制御することで、神経回路の形成に関わるファミリータンパク質である。他にも細胞移動や細胞生存など多様な機能を有する。本研究グループにより、Netrin4はUnc5B受容体を介して脊髄後角で痛みを引き起こすことが示されている。
- Unc5B受容体
(アンク5B:Uncoordinated protein-5B):
Unc5はネトリンの受容体である。哺乳動物では、Unc5A-Dの4種類が存在する。FLRT3は、Unc5B受容体を介して、神経軸索のガイダンスを制御することが知られていた。