男性避妊薬開発につながる標的分子を発見!
不妊症の原因究明と治療に新たな視点
本研究成果のポイント
・精巣に発現する脱リン酸化酵素:精子カルシニューリン遺伝子を破壊した雄マウスは不妊になることを発見
・精子尻尾の中片部の屈曲性が精子受精能力に重要であることが判明、不妊症の原因究明や診断に新たな視点
・即効性があり可逆的な男性避妊薬の開発に繋がると期待
リリース概要
大阪大学微生物病研究所の宮田治彦 助教、伊川正人 教授らは、筑波大学下田臨海実験センターの稲葉一男 教授らとの共同研究により、精子カルシニューリン(PPP3CC/PPP3R2) が精子の正常な運動に必須であることを明らかにしました。カルシニューリンは全身に存在する脱リン酸化酵素 として広く知られています。本研究グループは、精巣特異的に発現する精子カルシニューリン遺伝子を破壊した雄マウスが不妊になることを明らかにしました。さらに、カルシニューリン阻害剤を雄マウスに2週間投与すると、同じように不妊となる一方、投与を中止すると1週間で生殖能力が回復することを認めました。
現在、女性用経口避妊薬が存在する一方、男性用経口避妊薬の開発は成功していません。精子カルシニューリンを特異的に阻害できれば、即効性があり可逆的な男性避妊薬の開発に繋がることが期待されます。また、精子の尻尾の中片部の屈曲性が精子受精能力に重要であることが分かり、不妊症の原因究明や診断に新たな視点が加わったことになります。
本研究成果は米国科学誌「Science」の電子版に、2015年10月1日(木)14時(米国東部時)に公開されました。
図1 精子の運動能
(A)マウスの精子。精子尻尾は主に中片部と主部に分けられる。(B)運動中の精子尻尾の経時的変化。精子カルシニューリンを欠損した精子では、中片部(矢印)だけが屈曲しなくなる。(C)精子カルシニューリンがない精子は、卵の周りにある透明帯(矢印)に結合できるが通過できずに不妊となる。
研究の背景
カルシニューリンは全身に存在する脱リン酸化酵素として広く知られており、その阻害剤であるシクロスポリンA (CsA) とFK506 は臓器移植後の拒絶を抑える免疫抑制剤として汎用されてきました。一方で、マウスやラットを用いた毒性実験では、これらの免疫抑制剤が雄の生殖能力を低下させるという報告もされていました。
今回、本研究グループは精子特異的に存在するカルシニューリンとしてPPP3CC/PPP3R2を同定し、精子カルシニューリンと名づけました。ゲノム編集技術を活用して精子カルシニューリン遺伝子を破壊した遺伝子改変マウスを作製したところ、精子尻尾の中片部だけが屈曲できず (図1AB) 、卵子を取り囲んでいるマトリックスである透明帯を通過できないために雄性不妊となることを明らかにしました (図1C) 。このとき、精巣における精子形成や精子数には異常は認められませんでした。カルシニューリン阻害剤を雄マウスに投与すると、数日で精子尻尾の中片部の屈曲性が低下し、2週間で不妊となりました (図2) 。また、投与を中止すると1週間で生殖能力が回復しました。
本研究グループはヒトにも精子カルシニューリンが存在し、脱リン酸化酵素活性を有することも明らかにしました。これらのことから、精子カルシニューリンを特異的に阻害できれば、即効性があり可逆的な男性避妊薬の開発に繋がることが期待されます。
図2 マウス精子カルシニューリンの機能
精巣で作られた精子は精巣上体を移行中に尻尾が運動可能となる。この間に精子カルシニューリン(PPP3CC/PPP3R2)が働き、尻尾の中片部を屈曲可能にする。精巣での精子形成(約35日)に比べて精巣上体での精子移行(約10日)は短期間で起こるため、精子形成阻害薬よりも即効性のある避妊薬の開発が期待される。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
日本では年間約20万件の人工妊娠中絶が実施されており、その理由の1つとして予定外の妊娠があげられます。しかしながら、女性用経口避妊薬が存在する一方、男性用経口避妊薬の開発は成功していません。CsAとFK506は免疫細胞に存在するカルシニューリンを阻害して免疫を抑制してしまうので、男性避妊薬としては使用できませんが、精子カルシニューリンを特異的に阻害することができれば、可逆的な男性避妊薬の開発に繋がると期待されます。
また、精子の尻尾の中片部の屈曲性が精子受精能力に重要であることが分かり、不妊症の原因究明や診断に新たな視点が加わったことになります。
特記事項
本研究成果は「サイエンス (Science)」(電子版)に、2015年10月1日(木)14時(米国東部時)に掲載されました。
論文タイトル: Sperm calcineurin inhibition prevents mouse fertility with implications for male contraceptive
著者:Miyata H, Satouh Y, Mashiko D, Muto M, Nozawa K, Shiba K, Fujihara Y, Isotani A, Inaba K. and Ikawa M.
参考URL
大阪大学微生物病研究所 附属遺伝情報実験センター 遺伝子機能解析分野
http://www.egr.biken.osaka-u.ac.jp/
用語説明
- 脱リン酸化酵素
タンパク質のリン酸基を脱離させる酵素。これによりタンパク質の機能を制御している。
- 精子カルシニューリン(PPP3CC/PPP3R2)
カルシニューリンはカルシウム依存性の脱リン酸化酵素であり、全身に存在する。このうち精巣特異的に発現しているPPP3CCとPPP3R2の2つのタンパク質から構成される物が精子カルシニューリン。
- シクロスポリンA (CsA) とFK506
カルシニューリンの阻害薬。免疫細胞のカルシニューリンを阻害して免疫機能を抑制することから、臓器移植後の拒絶を抑制する薬として用いられている。