世界初!超短時間・高線量の陽子線照射による 常酸素下での細胞生残率の増加を実証
周辺細胞を傷つけないがんの放射線治療に向けて
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院医学系研究科放射線治療学 小川和彦 教授、住友重機械工業株式会社(以下、住友重機械工業)佐々井健蔵 主任技師らの研究グループは、常酸素下の超短時間陽子線照射で細胞生残率が増加することを世界で初めて実証しました。
陽子線治療はがんの放射線治療法のひとつとして用いられています。近年、線量率(単位時間当たりに照射される線量)が著しく高い照射(通常の線量率の400倍以上)では、腫瘍への局所制御率を維持しつつ正常組織への障害を抑えられる(=細胞生残率が増加する)現象(FLASH効果)が報告されています。この現象は低酸素下で起こると考えられており、常酸素下の超短時間陽子線照射で増加するかについてはこれまで学術的に実証されていませんでした。
今回、研究グループは、陽子線治療用に新しく開発された超電導AVFサイクロトロンを用いて、細胞に対して高線量を超短時間で照射することにより、常酸素下の超短時間照射で細胞生残率が増加することを実証しました(図1)。これにより、より 副作用の少ないがん治療法(FLASH陽子線治療)への応用が期待されます。
本研究成果は、2024年10月1日(日本時間)に英文科学誌「Anticancer Research」に、公開されました。
図1. 細胞生残率の比較。同じ線量(20Gy)において、超高線量率(uHDR,緑)の方が通常線量率(NDR,紫)よりも生き残った細胞数が多い(sparing effect)。(A)腫瘍細胞。(B)正常細胞。
研究の背景
陽子線は、ある深さにおいて最も強く作用し、一定の深さ以上には作用しないという物理的特性(ブラッグピーク)を持っています。その特性をがん治療に活かしたものが陽子線治療です。深部にある腫瘍への線量集中性を高められるとして、がんの放射線治療法の1つとして注目されています。一方、腫瘍の周りにある正常組織に影響を及ぼさないよう、照射には線量限度があります。その線量限度により、腫瘍への投与線量を妥協しなければならない症例や、陽子線治療を断念せざるを得ない症例があります。陽子線治療をより有効なものとするためには、正常組織への線量をさらに低減させる照射技術の開発が喫緊の課題となっています。
近年放射線治療において、線量率(単位時間当たりに照射される線量)が著しく高い照射(通常の線量率の400倍以上)では、腫瘍への局所制御率を維持しつつ正常組織への障害を抑えられる現象(細胞生残率の増加)が報告されています。放射線を瞬時に照射することから「FLASH効果」と呼ばれ、世界的に大きな注目を浴びています。
これまで、超短時間陽子線照射における細胞生残率の増加は低酸素下でのみ生じ、常酸素下での超短時間陽子線照射では細胞生残率の増加は起こらないと考えられていました。常酸素下での細胞生存率の増加が観察されれば、FLASH効果が起こるメカニズムの理解が深まります。高線量の陽子線を超短時間で照射する実験環境は特に国内では整っておらず、一定以上の線量を照射する試みも国内では行われていませんでした。
研究の内容
今回、研究グループは、住友重機械工業が次世代陽子線治療システム向けに開発した超電導AVFサイクロトロンを用いて高線量を超短時間で細胞に照射し、常酸素下の超短時間照射で細胞生残率が増加することを世界で初めて実証しました。
超電導AVFサイクロトロンは陽子線治療用として世界最高レベルの1000nAの高強度陽子線を発生でき、同社の従来のサイクロトロンよりも約3倍以上の強度で陽子線を照射できます。これにより超高線量率での陽子線照射を実現しました。
照射後、大阪大学大学院医学系研究科 重粒子線治療学寄附講座 八木雅史 寄附講座助教及び清水伸一 寄附講座教授らによって照射領域の物理的評価が実施され、実験に必要な照射条件を満たしていることが確認されました。さらに大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻 皆巳和賢 准教授らがコロニー形成アッセイを行い、線量率250Gy/sかつ線量20Gy以上において、腫瘍細胞(HSGc-c5:唾液腺癌細胞)と正常細胞(HDF:ヒト皮膚線維芽細胞)の生残率が増加することが分かりました。また免疫染色にて遺伝子へのダメージが軽減されていることも分かりました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、FLASH効果が起こるメカニズムの理解を深めるとともに、より副作用の少ない がん治療法(FLASH陽子線治療)への応用が期待されます。FLASH陽子線治療では、陽子線の腫瘍への高い線量集中性という物理学的特徴とFLASH効果による正常組織への障害の軽減という生物学的効果の相乗効果により、今まで以上に高い局所制御率と低い副作用発生率に繋がると期待されています。
特記事項
本研究成果は、2024年10月1日(日本時間)に英文科学誌「Anticancer Research」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Sparing Effect on Cell Survival Under Normoxia Using Ultra-high Dose Rate Proton Beams from a Compact Superconducting AVF Cyclotron”
著者名:Masashi Yagi1, Kazumasa Minami2*, Kazuki Fujita3, Shinji Nomura4, Nagaaki Kamiguchi4, Kana Nagata3, Ryo Hidani3, Daizo Amano4, Kenzo Sasai4, Shinichi Shimizu1# and Kazuhiko Ogawa5# (*責任著者、#同等の寄与)
所属:
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 重粒子線治療学寄附講座
2. 大阪大学 大学院医学系研究科 保健学専攻
3. 大阪大学 大学院医学系研究科 生体物理工学講座
4. 住友重機械工業株式会社
5. 大阪大学 大学院医学系研究科 放射線治療学講座
DOI:https://doi.org/10.21873/anticanres.17255
本研究は、大阪大学大学院医学系研究科放射線治療学講座と住友重機械工業株式会社との共同研究の一環として行われました。またJSPS科研費22K07695、22H03025、23K24286、23K24284、23H00553の助成を受けました。
参考URL
大阪大学大学院医学系研究科放射線治療学講座
http://www.radonc.med.osaka-u.ac.jp
小川和彦 教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/735bbc5ade1d37b4.html
清水伸一 寄附講座教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/11a4301e79edfb41.html
皆巳和賢 准教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/e9d374f08e29c47a.html
八木雅史 寄附講座助教 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/1bf0f3207ccd3270.html
SDGsの目標
用語説明
- 超短時間
超短時間とは100ms以下での照射を指します。
- 陽子線
陽子は水素の原子核(水素原子から電子を一つ取り去ったもの)で、この陽子を束にして加速したものを陽子線と呼びます。
- 常酸素
大気圧下での酸素濃度(21%)を指します。低酸素は生体内の酸素濃度(約4%)を指します。
- FLASH効果
ある閾線量率及び投与線量以上にて生じる抗腫瘍効果を維持し、正常組織への損傷を減らす効果をいいます。
- 陽子線治療
陽子を加速させたものを体の外から病変に当てて治療する放射線治療の1つです。
- サイクロトロン
大強度と連続ビームを特長とする加速器です。
- ブラッグピーク
陽子線は物質中で止まる直前で大きな線量を物質に与えます。線量分布に現れるこのピークをブラッグピークといいます。
- コロニー形成アッセイ
細胞の増殖死を定量するために用いられる評価方法です。
- 免疫染色
抗原抗体反応という免疫反応を利用して、細胞内の特定の物質を染色する方法です。