ミトコンドリア病に対する新たな治療法を開発
ミトコンドリア移植」が拓く次世代治療
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院医学系研究科 血液・腫瘍内科の中井りつこ招へい教員(研究当時:特任助教(常勤)、現在:大阪国際がんセンター 血液内科 特別研究員、堺市立総合医療センター 血液内科 副医長)、大阪国際がんセンター 血液内科の横田貴史主任部長(研究当時:大阪大学大学院医学系研究科 血液・腫瘍内科 招へい教授)らの研究グループは、米国のセントルイス・ワシントン大学医学部のJonathan R. Brestoff助教との共同研究により、ミトコンドリアの細胞間移送を利用したミトコンドリア移植という新たな治療法を開発し、この治療がミトコンドリア病の代表的疾患であるリー症候群のマウスモデルにおいて、病気の症状を緩和し、寿命を延長させることを世界で初めて報告しました。
リー症候群は乳幼児期に発症する遺伝性のミトコンドリア病で、病気の程度も重く、今なお有効な治療法が存在しない難病であることから、現在、世界的に多くの研究が行われています。
今回、研究グループは、リー症候群のモデルマウスに骨髄移植を行うと病気のマウスが長生きすること、骨髄移植によってドナー細胞由来のミトコンドリアが病気のマウスの全身に移行することを明らかにしました。研究グループはこの現象にさらなる研究のヒントを得て、健康なマウスのミトコンドリアをモデルマウスに移植したところ、病気の症状が緩和し、寿命が延長することを発見しました。また、東京のルカ・サイエンス社が作製したヒトのミトコンドリアを投与した場合も同様に病気の症状が緩和し、寿命が延長することを明らかにしました(図1)。これらの研究成果は、今後、リー症候群を含む、ヒトのミトコンドリア病患者に対する治療法の開発に大きく発展する可能性を秘めています。
本研究成果は、米国科学誌「Nature Metabolism」に、9月2日(月)19時(日本時間)に公開されました。
図1. リー症候群のモデルマウスに精製ミトコンドリアを投与すると, 寿命が延長した.
研究の背景
リー症候群とは、ミトコンドリア病の代表的な病気の一つです。ミトコンドリアに必須の遺伝子に異常が起きることで引き起こされ、1万人に1人前後の頻度で発症する稀な病気です。リー症候群は小児期に発症し、発達の遅れや退行(それまでできていたことができなくなること)、筋力低下、呼吸困難、および、けいれんといった重篤な症状が徐々に進行します。生後6ヶ月までに発症した場合は特に重篤な経過を辿ることが多く、発症後数年で死に至ることもある難病です。今もなお有効な治療法が存在せず、ミトコンドリア病に苦しむ患者のために、現在、世界的に多くの研究が行われています。
研究の内容
今回、研究グループは、ミトコンドリア病の研究支援を行う社団法人こいのぼりと、血液・免疫学的な観点から、致死的なミトコンドリア病に対する有効な治療法を開発できないかと考え、リー症候群を研究するためのモデルマウスとして確立されているNdufs4ノックアウトマウスを用いて、この難病の研究に取り組みました。
まず始めに、健康な野生型マウスの骨髄をミトコンドリア病マウスに移植したところ、驚くべきことに、ミトコンドリア病マウスの症状が緩和し、寿命が延長する(図2)ことを見出しました。
次に、骨髄移植を受けたミトコンドリア病マウスをくわしく調べたところ、全身のさまざまな細胞にドナーマウスの健康なミトコンドリアが移入していることを確認(図3)できました。このことから、移植された造血細胞からのミトコンドリア移入(細胞間移送)が、ミトコンドリア病マウスの寿命延長に寄与したのではないかという仮説を導きました。
この仮説をもとに、単離された健康なミトコンドリアをミトコンドリア病マウスに移植したところ、ミトコンドリア病マウスの神経機能が改善しただけでなく、エネルギー消費を高め、寿命も延長することがわかりました。さらに、こいのぼりからスピンオフベンチャー企業である東京のルカ・サイエンス社が作製したバイオ製品であるヒトミトコンドリア(MRC-Q)を用いて、異種間のミトコンドリア移植を行ったところ、先ほどと同様に、ミトコンドリア病マウスの神経症状が改善し、寿命も改善することがわかりました。
当初、大阪大学の研究グループと米国ワシントン大学の研究グループは偶然同じアイデアを開発し、それぞれ独自に研究を進めていましたが、ルカ・サイエンス社が2つの研究室を繋いでくれたことによって、各研究室のデータが統合され、素晴らしい共同研究の成果となりました。
図2. リー症候群のモデルマウスに骨髄移植を行うと, 寿命が延長した.
図3. 骨髄ドナーのミトコンドリアを追跡すると, 病気のマウスの全身の細胞に分布していた.
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
骨髄移植、および、単離ミトコンドリアの移植によって、リー症候群のモデルマウスにおいて、全身のさまざまな細胞でミトコンドリア機能が回復し、あわせて神経症状の緩和、寿命の延長が確認されたことは、複雑な病態であるミトコンドリア病の次世代の治療として、ミトコンドリア医学の研究分野に新たな境地を開いたと考えられます。
特記事項
本研究成果は、2024年9月2日(月)19時(日本時間)に米国科学誌「Nature Metabolism」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Mitochondria transfer-based therapies reduce the morbidity and mortality of Leigh syndrome”
著者名:Ritsuko Nakai1,2,3, Stella Varnum4, Rachael L. Field4, Henyun Shi1, Rocky Giwa4, Wentong Jia4, Samantha J. Krysa4, Eva F. Cohen4, Nicholas Borcherding4, Russell P. Saneto5, Rick C. Tsai6, Masashi Suganuma6, Hisashi Ohta6, Takafumi Yokota1,2,* and Jonathan R. Brestoff4,*(*責任著者)
所属:
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 血液・腫瘍内科学
2. 大阪国際がんセンター 血液内科
3. 堺市立総合医療センター 血液内科
4. セントルイス・ワシントン大学医学部 病理免疫学
5. シアトル小児病院 統合脳研究センター 神経学
6. ルカ・サイエンス株式会社
DOI:https://doi.org/10.1038/s42255-024-01125-5
参考URL
用語説明
- ミトコンドリア
全身の細胞の中にあり、細胞に必要なエネルギーを産生するはたらきを持っている。
- 細胞間移送
ミトコンドリアが離れた細胞間を移動する現象のことで、近年報告された。正常な細胞間だけでなく、ダメージを受けた細胞やがん細胞などでも観察されている。細胞間の移送によって、移送先の細胞の機能を高めたり、細胞間で情報を交換したりしているのではないかと考えられている。
- ミトコンドリア病
ミトコンドリアのはたらきが低下することが原因でおこる病気。多くは生まれながらにしてミトコンドリアのはたらきを低下させるような遺伝子の変異を持っている方が発症するが、薬の副作用などで二次的にミトコンドリアのはたらきが低下しておきるミトコンドリア病もある。
- リー(Leigh)症候群
子どもの頃に発症するミトコンドリア病の中で代表的な病気。主に母系遺伝や常染色体潜性遺伝によって乳幼児期に発症する。血中乳酸値の高値が特徴的であり、精神運動発達遅滞やけいれんなどの症状を呈し、重症の患者では早期に呼吸不全に至る。
- ドナー
臓器や造血幹細胞(血液のもととなる細胞)を患者に提供する人やマウスを指す。