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X線回折に潜む非線形性の発見

X線回折に潜む非線形性の発見

数フェムト秒で引き起こされる物質の電子状態の急激な変化

2023-10-20自然科学系
工学研究科教授山内和人

概要

理化学研究所(理研)放射光科学研究センターSACLAビームライン基盤グループビームライン開発チームの井上伊知郎研究員、矢橋牧名グループディレクター、高輝度光科学研究センターXFEL利用研究推進室先端光源利用研究グループ実験技術開発チームの犬伏雄一主幹研究員、大阪大学大学院工学研究科物理学系専攻の山内和人教授、名古屋大学大学院工学研究科物質科学専攻の松山智至准教授らの国際共同研究グループは、高いX線強度の下では物質によるX線の回折現象が抑制されて、回折強度が入射したX線強度に比例しなくなる「非線形性」が発現することを発見しました。

本研究成果は、X線の時間幅の自在な制御を可能にする非線形光学素子への応用が期待されます。

国際共同研究グループは、X線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA」においてさまざまなX線強度の下でシリコンからの回折現象を測定しました。その結果、ある強度(1019W/cm2)を超えると、X線照射開始からわずか数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の間に物質中の原子のイオン化が進行することで、回折強度が減少することを見いだしました。

物質による回折現象はさまざまなX線光学素子の動作原理として用いられています。今回発見された回折現象の非線形性を利用することで、未開拓であったX線領域の非線形光学素子が実現可能になると考えられます。

本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(10月17日付)に掲載されました。また、アメリカ物理学会が選ぶ注目論文として、『Physics』誌にて解説記事が掲載されました。

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図. 異なるX線強度におけるシリコン粉末の回折強度プロファイル

研究の背景

レーザーのような強い光が物質に当たると、「非線形光学効果」と呼ばれる光の振幅の大きさに比例しない現象が起こります。非線形光学効果を用いると、光の性質(波長・偏光・時間幅・物質中の屈折率など)の変換や、量子もつれを持った光子のような特殊な光を作り出すことができます。しかし、波長がオングストローム(Å、1Åは100億分の1メートル)程度の電磁波であるX線は、物質との相互作用が小さく、従来の低強度のX線光源を用いる場合には非線形光学効果は無視できるほど小さいことが知られていました。

一方で、通常のレーザーが発振する波長範囲は赤外線から可視光に限られてきました。近年になって米国のLCLSや日本のSACLAといったX線自由電子レーザー(XFEL)施設が完成しました。XFELは、波長がオングストローム程度の電磁波であるX線の領域で初めて実現したレーザーです。

これまでX線を用いた実験手法は、X線と物質との線形な相互作用を仮定してきました。しかし、XFELのような高い強度を持つX線を用いて計測を行う場合に、どの程度の強度から非線形性が発現するのかは分かりませんでした。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、SACLAを利用して、X線が結晶に照射された際に生じる回折現象の非線形性を調べました。シリコン結晶を試料として、パルス幅(発光時間の幅)が6フェムト秒のXFELを用いてさまざまな強度の下で回折現象を測定しました。その結果、強度が1019W/cm2を超えると回折強度が大きく抑制されることが明らかになりました(図1)。X線回折は、結晶材料の原子配置を決定するために広く用いられている手法です。今回の実験結果はXFELを用いる場合には回折現象の非線形性を考慮に入れて実験データを解析する必要があることを示唆しています。

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図1. 異なるX線強度におけるシリコン粉末の回折強度プロファイル
比較のために、それぞれの回折強度プロファイルは入射光の強度で規格化している。プロファイル中の各ピークがX線回折現象に対応している。X線強度が低い場合(強度が2.1×1016W/cm2程度、青線)と比較してX線強度が高い場合(強度が4.6×1019W/cm2程度、赤線)は、ピークの高さが低く、回折強度が抑制されていることが分かる。

さらに国際共同研究グループは、回折現象に非線形性が生じるメカニズムを調べるために、シミュレーションを行いました。その結果、光電効果による自由電子の放出と衝突電離によって、X線照射開始から数フェムト秒の間にシリコン原子に束縛されている電子が原子から次々に放出されていくことが分かりました(図2)。電子を失った原子は、X線を散乱させる能力が低下します。すなわち、XFELの照射によって生じる超高速の電子状態の変化がX線回折現象の非線形性の原因であることが明らかになりました。

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図2. XFELを照射中の各シリコンイオンの割合(シミュレーション)
点線はXFELの時間波形、実線は各イオンの割合を表している。XFELを照射している最中にほとんどの原子はその電子を複数個失っていることが明らかになった。fsはフェムト秒。

今後の期待

物質によるX線の回折現象は、物質の構造を調べるためだけではなく、さまざまなX線光学素子の動作原理として広く用いられています。今回発見された回折現象の非線形性を利用することで、X線領域では未開拓であった非線形光学素子が将来実現できることが期待されます。

一例として考えられるのが、X線パルスの時間幅を制御する光学素子です。結晶材料に高強度のXFELを照射すると、照射されたパルスのうち先頭部分のみが選択的に回折されて、X線のパルス幅が短くなります(図3)。パルス幅の短縮の度合いは入射するX線強度に依存します。このため、X線の強度を変えることでX線の時間幅の自在な制御が可能になることが期待されます。

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図3. X線の時間幅を短縮する非線形光学素子のアイデア
高強度のXFELを結晶材料に入射するとパルスの先頭部分のみが回折する状態を作ることができる。すなわち、XFELのパルス幅を短縮することが可能になる。

特記事項

<論文情報>
<タイトル>Femtosecond reduction of atomic scattering factors triggered by intense x-ray pulse
<著者名>Ichiro Inoue, Jumpei Yamada, Konrad J. Kapcia, Michal Stransky, Victor Tkachenko, Zoltan Jurek, Takato Inoue, Taito Osaka, Yuichi Inubushi, Atsuki Ito, Satoshi Matsuyama, Kazuto Yamauchi, Makina Yabashi, Beata Ziaja
<雑誌>Physical Review Letters
<DOI>10.1103/PhysRevLett.131.163201

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「ナノ集光X線自由電子レーザーを利用した構造解析法の開発(研究代表者:井上伊知郎、22H03877)」による助成を受けて行われました。

用語説明

非線形光学素子、非線形光学効果

物質の光への応答が光の波の振幅に比例しない光学現象のことを非線形光学効果という。通常、その観測には強力なレーザー光が必要とされる。非線形光学効果を利用した光学素子のことを非線形光学素子と呼ぶ。

X線自由電子レーザー(XFEL)

X線自由電子レーザーとは、X線領域におけるレーザーのこと。半導体や気体を発振媒体とする従来のレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はない。また、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free Electron Laserの略。

SACLA

理研と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用運転が開始され、利用実験が始まっている。大きさが諸外国の同様の施設と比べて数分の1とコンパクトであるにもかかわらず、0.1ナノメートル(nm、1nmは10億分の1m)以下という世界最短波長クラスのレーザーの生成能力を有する。

偏光

電磁場の振動方向がある特定の方向を向いている光のこと。

量子もつれ

複数の量子がお互いに強い相互関係を持っている状態のこと。

LCLS

米国スタンフォード線形加速器センター(現在のSLAC国立加速器研究所)で建設された世界で初めてのXFEL施設。Linac Coherent Light Sourceの頭文字をとってLCLSと呼ばれている。2009年12月から利用運転が開始された。

光電効果

原子の束縛電子が光を吸収して、原子から電子が放出される現象のこと。

衝突電離

自由電子が周りの原子の束縛電子と衝突することで、束縛電子を剝ぎ取って電離させる現象のこと。