肺NTM症の網羅的な菌種同定と薬剤耐性の一括検査が3日で可能に
クラウドコンピューティングを利用した迅速診断に期待
研究成果のポイント
- 次世代シーケンシング技術を用いた新規診断手法「MGIT-seq法」により、長い場合は1か月程度の日数をかけて複数の検査を組み合わせて行う必要があった非結核性抗酸菌(NTM; Non-Tuberculous Mycobacteria)の同定・薬剤感受性を、単一の検査で最長で3日程度で網羅的な亜種レベルの同定・薬剤耐性予測まで可能となった。
- 本方法による種レベルの正診率は99.1%、亜種レベルの同定率は84.5%、抗生物質への耐性はマクロライド耐性・アミカシン耐性それぞれ特異度97.6%・100%であり、肺NTM症治療開始に必要な情報をより迅速かつ簡便に取得可能な検査法であることを示した。
- 解析結果はクラウド計算機からリアルタイムに得られるため病院の検査室に必要な機材は最小限であり、臨床現場において迅速・網羅的な亜種レベルの同定と正確な薬剤耐性変異予測が可能に。
概要
大阪大学免疫学フロンティア研究センター自然免疫学の福島清春 特任助教(常勤) (微生物病研究所兼任)、同微生物病研究所感染症メタゲノム研究分野 松本悠希 特任助教(常勤)、中村昇太 准教授らの研究グループは、大阪刀根山医療センターの木田博 呼吸器内科部長らと共同でクラウドコンピューティングを利用した新しい非結核性抗酸菌(NTM)診断手法(MGIT-seq法)を開発しました(図1)。
NTMとはマイコバクテリウム属細菌のうち結核菌群やらい菌を除いた種の総称です。菌種・亜種ごとに治療方針が異なるため、適切な治療を行うためには亜種レベルでの正確な同定が必要となります。本研究により開発した、MGIT陽性検体から次世代シーケンサーを用いて亜種レベルの菌種同定検査と薬剤耐性検査を同時に行うMGIT-seq法は、肺NTM症治療開始に必要な情報をより迅速かつ簡便に取得可能な検査法であることを示しました。同定結果はクラウド計算機からリアルタイムに得られるため、必要な機材は小型のドライインキュベーターと卓上遠心器のみであり、病院の検査室に導入可能で、臨床現場において迅速・網羅的な亜種レベル同定と正確な薬剤耐性変異予測が可能になります。本研究が開発する解析手法が広く臨床現場で利用されるようになれば、これまでの検査では得られないNTM亜種や株レベルの高精度情報が得られ、薬剤感受性の把握や伝播経路の推定など治療法や病態の解明の発展に寄与できると考えられます。
本研究成果は、米国の科学雑誌 『Jounal of Clinical Microbiology』に2023年3月22日に掲載されました。
研究の背景・内容
肺NTM症は、日本において2007年から2014年の7年間において人口10万人あたりの罹患率が2.6倍増加し、現在では肺結核をしのぐ罹患者数となっており迅速な診断手法の開発が求められています。診断における課題には①培養検査に時間と手間がかかること、②日常臨床で同定できる菌種が少ないこと、があげられます。 従来より汎用されている培養検査においては(図2)、喀痰等の臨床検体はセミアルカリプロテアーゼ(SAP)処理による溶解・均質、雑菌処理(N-アセチル-L-システイン(NALC)-NaOH, 酸処理)をおこなったうえで培養検査へと進みます。培養検査は液体培養であるmycobacterial growth indicator tube (MGIT)培地もしくは固形培地である小川培地を用いておこなわれます。培養確認までMGIT法で2-4週間, 小川培地で4-8週間を要します。さらに、NTM症の治療方針を立てる上で重要なことは原因菌種・亜種の同定ですが、従来の手法では亜種レベルまでの正確な同定はできないのが問題となっていました。近年特に増加している肺アブセッサス症の治療に当たっては亜種を個別に同定し、亜種ごとに治療を進めることが各種ガイドラインでも推奨されていますが、通常の施設では個々の症例に対して亜種同定を行うことは容易ではありません。加えて、種同定において現在検査室で汎用されている質量分析法(MALDI-TOF-MS法)などでは、亜種を正確に鑑別することができず、種レベルの同定後に種ごとに異なる亜種同定検査をおこなう必要がありました。また治療薬の反応性も2次培養後に7-14日間の薬剤感受性検査を行うか、または薬剤感受性遺伝子配列を個別に調べなければならず、時間や手間、費用がかかっていました。加えて、これらの機材・装置を有さない多数の病院では培養陽性確認後、治療選択に必要な同定・薬剤感受性の結果を得るまでに1か月程度の日数を要することがしばしばありました。
研究グループは、NTM175種を網羅した大規模ゲノムデータベースと既知の薬剤耐性遺伝子を応用した薬剤耐性予測アルゴリズムを併用することで、ナノポアシーケンとコアゲノム解析により培養検体において最長で3日以内に亜種同定・薬剤耐性変異予測が可能な手法を確立し、クラウドコンピューティングの手法により離れた医療機関であってもタイムリーに結果を受け取る体制の構築をおこないました。
本手法を用いて喀痰より繰り返し同定不能菌が検出された肺NTM症患者を解析し、通常臨床検査では検出できない菌 (M. shinjukuense, M. shimoidei等)を同定した結果、治療を開始できた症例を経験するとともに3つの新種を発見しました(Emerg Infect Dis 2022, Int J Syst Evol Microbiol 2022, BMC Infect Dis 2020)。 本手法による抗酸菌同定は迅速性、菌の網羅性において随一の技術です。ナノポアシーケンスは必要な機材が小型のドライインキュベーターと卓上遠心器のみであり、病院の検査室に導入可能です。計算機資源はインターネット経由のクラウドシステムで担当するため臨床現場で大型計算機を置く必要がない、コスト面でも低価格化が進んでいる等、設備面、コスト面共に実用化に近い点も重要な点です。肺NTM症に対する実臨床、特に迅速検査の中への位置づけを行うことを目的に、MGIT陽性検体から超小型次世代シーケンサーMiniONを用いて亜種レベルの菌種同定検査と薬剤耐性検査を同時に行うMGIT-seq法の有効性を検証する前向き試験を大阪刀根山医療センターにおいて実施しました(図2)。116例の新規/既診断 NTM症症例において前向きに検討した結果、種レベルの正診率は99.1%、亜種レベルの同定率は84.5%、マクロライド耐性およびアミカシン耐性はそれぞれ特異度97.6%および100%で検出可能であることが示され、本手法が従来法、質量分析による同定法および薬剤感受性検査と比較し迅速性・網羅性において優位であることを確かめることが出来ました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、NTMの同定・薬剤感受性が正確に把握できることで、NTM症患者は病原体に応じた適切な治療を速やかに受けられるようになることが期待されます。本研究が開発する解析手法が広く臨床現場で利用されるようになれば、これまでの検査では得られないNTM亜種や株レベルの高精度情報が得られ、薬剤感受性の把握や伝播経路の推定など治療法や病態の解明の発展に寄与できると考えられます。本手法を応用することによりNTM症患者の喀痰などに含まれるわずかなゲノムDNAから、培養なしに直接NTMの同定を成し得る可能性があり、同定にかかる時間が劇的に短縮されると考えられます。これによりNTM症の早期発見による予防や新たな治療方法の確立へ貢献することが期待されます。感染症においては現在でも培養法による同定・感受性検査が治療方針決定のゴールドスタンダードです。しかしながら、原因は多岐にわたり時に急速な経過を辿りえますが、迅速な原因の同定・診断は困難な場合をしばしば経験します。次世代シーケンサーの開発・進歩により、リアルタイムにシーケンスが可能なMinIONが台頭し、病原体の迅速同定が可能となりつつあります。多様な菌種を持つNTM症に対して開発された本手法を他の感染症に応用することで、臨床検査の現場において、感染症の病原体・薬剤感受性を迅速に、かつ正確・網羅的に検出することが可能となれば感染症診療に大きな変容をもたらすことが出来ると考えられます。
特記事項
本研究成果は、2023年3月22日に米国科学誌「Jounal of Clinical Microbiology」(オンライン)に掲載されました。
【タイトル】 “MGIT-seq for the Identification of Nontuberculous Mycobacteria and Drug Resistance: A prospective study”
【著者名】Kiyoharu Fukushima, Yuki Matsumoto, Takanori Matsuki, Haruko Saito, Daisuke Motooka, Sho Komukai, Eriko Fukui, June Yamuchi, Tadayoshi Nitta, Takayuki Niitsu, Yuko Abe, Hiroshi Nabeshima, Yasuharu Nagahama, Takuro Nii, Kazuyuki Tsujino, Keisuke Miki, Seigo Kitada, Atsushi Kumanogohb, Shizuo Akira, Shota Nakamura, and Hiroshi Kida
参考URL
微生物病研究所 感染症メタゲノム研究分野
http://www.biken.osaka-u.ac.jp/laboratories/detail/19
用語説明
- 次世代シーケンシング技術
全ての生物が持つゲノムDNAはA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の塩基が連なった構造をしています。DNAの塩基配列を解読することはシーケンシングと呼ばれ、近年の技術革新が可能とした多量の塩基配列の同時解読技術を、特に次世代シーケンシング技術と呼びます。本研究においてはOxford Nanopore Technologies社のMinIONというポケットサイズの超小型次世代シーケンサーを用いることで、より臨床現場での使用を容易にしました。
- 非結核性抗酸菌(NTM; Non-Tuberculous Mycobacteria)
マイコバクテリウム属細菌はグラム陽性細菌に分類される真正細菌の一属で、結核菌など約200種が登録されています。このマイコバクテリウム属の細菌は抗酸菌と総称され、そのうち結核菌群および、らい菌を除いた細菌を非結核性抗酸菌(NTM)といいます。これらにより引き起こされる感染症はNTM症と呼ばれ、免疫不全患者だけでなく健常者へも感染し、感染後は自覚的な症状がほとんど無いまま長い時間をかけて病状が進行します。発症後は咳・痰・血痰・発熱・食欲不振・体重減少・全身倦怠感などが見られ、抗生物質も効きづらいため、長期の適切な薬剤治療が必要となる難治性の病気です。
- 亜種レベル
生物の分類区分で、種の下位区分。非結核性抗酸菌症の主要な病原菌であるMycobacterium aviumの亜種であるhominissuis、silvaticum、paratuberculosisなど、近年次々と亜種が発見されています。
- MGIT
Mycobacteria Growth Indicator Tube法で頭文字を取ってMGITと呼ばれている液体培養の手法。小川培地法では、菌の発育に4~8 週を要するのに対して、液体培地法(MGIT)では菌の発育は迅速で2-4週程度で検出でき、また、検出感度も小川培地に勝っている。培養陽性検体で,小川培地と液体培地(MGIT培地)で培養陽性日数を比較すると,平均で約10日速くなる。
- NTM175種を網羅した大規模ゲノムデータベース
データベースに登録された配列と同定したい検体の配列を照合することによりマッチする菌種を探す手法はsequence typingと呼ばれ、それを複数遺伝子に拡張したものが Multi-Locus Sequence Typing と呼ばれます。菌種固有の遺伝子のDNA配列をデータベースに登録しておくことで極めて高い精度で同定が行え、データベースの規模が大きいほど検出能力が上昇します。今回、本研究においてはリボソーム分子の構成に関わる遺伝子やNTMの抗生物質耐性に関わると考えられている184遺伝子を選んだ上で、公共データベースおよび我々が新規に解読した計175種のNTMのゲノム情報を用いることで、マイコバクテリウム同定のための独自のデータベースを作成しました。