提唱から60年。温和な条件下で反芳香族イソフロリンの合成に成功

提唱から60年。温和な条件下で反芳香族イソフロリンの合成に成功

2022-10-4自然科学系
理学研究科講師山下健一

研究成果のポイント

  • 中心金属を持たず元素置換もされていない安定な反芳香族イソフロリンの合成に世界で初めて成功した
  • イソフロリン合成の前駆体として電子求引性官能基を導入した芳香族ポルフィリンを採用し、温和な条件下で反芳香族イソフロリンを発生・単離することが可能に
  • 反芳香族化合物の性質のさらなる理解、温和な条件下での芳香族―反芳香族スイッチング特性を利用したセンシング材料などへの応用に期待

概要

大阪大学大学院理学研究科の杉村晴菜さん(博士前期課程2年)、中島可奈さん(博士前期課程修了)、小川琢治教授(研究当時)、山下健一講師らの研究グループは、世界で初めて、中心金属を持たず中心元素の置換もされていない反芳香族イソフロリンの合成を達成しました(図1)。イソフロリンは、ノーベル化学賞を受賞したWoodwardによって、ポルフィリン合成の中間生成物として提唱された化合物です(図2)。今回の反芳香族イソフロリン単離の成功は、1960年に存在が示唆されて以来60年の快挙であると言えます。

反芳香族イソフロリン単離の鍵は、合成前駆体として還元反応を受けやすいポルフィリンを採用したことにあります。具体的には電子求引性のシアノ基を4つ導入したポルフィリンを還元することで、反芳香族イソフロリンの合成、単離に成功しました。このポルフィリンーイソフロリンの変換は可逆的であり、さらに大気中で温和な条件下で行うことができます。可逆なポルフィリンーイソフロリンの変換、すなわち芳香族―反芳香族の変換は、センシング材料などへの応用が期待されています。

本研究成果は、国際学術誌「European Journal of Organic Chemistry」に、8月31日(水)に重要論文(Very Important Paper)として公開されました。また、この研究に関連するイラストが表紙に掲載されました。

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図1. 今回合成した反芳香族イソフロリンとその前駆体ポルフィリンの化学構造とその溶液の写真

研究の背景

私たちの身のまわりには野菜や果物、肉など色のついた物質が多くみられます。これらの色はヘムやクロロフィルといった天然色素に由来しています。ヘムやクロロフィルの骨格はポルフィリン化合物(図2a右)と総称され、窒素原子を含む五員環が環状に4個結合した構造を持ちます。ポルフィリン化合物は、18個の環状共役π電子を有する芳香族化合物であり、高い安定性を有しております。また、ポルフィリン化合物の内側を向いた窒素原子はほぼすべての金属イオンと結合することができ、非常に安定な金属錯体を形成します。例えばヘムは鉄イオンと、クロロフィルはマグネシウムイオンが結合しています。このように、周辺置換基や金属イオンの違う様々なポルフィリンが存在しており、色素分子や触媒として幅広く利用されています。

一般的なポルフィリン合成では、まず環状前駆体(ポルフィリノーゲン)を合成し、これを6電子酸化することで得られます(図2a)。この酸化反応の中間体として、イソフロリンと呼ばれる環状化合物の存在が、ビタミンB12の全合成などの功績によりノーベル化学賞を受賞したWoodwardによって1960年に提唱されていました。イソフロリンは、ポルフィリンよりもπ電子が二個多く、そのため反芳香族性を示すと期待できます。反芳香族化合物は、一般的には不安定で自然界には存在しませんが、近年、その特徴的な磁気的性質、吸収特性、酸化還元特性が注目されています。これまでに合成が報告されたイソフロリンは、全て構造が大きくゆがみ反芳香族性が失われたものです(図2b)。また、環の中心に金属イオンを導入したイソフロリンが反芳香族性を示すことが報告されましたが、酸化に対してきわめて不安定であり、大気中では取り扱いができないものでした。一方で、環中央の4個の窒素原子を酸素や硫黄原子に置換することで、安定でかつ反芳香族性を持つイソフロリン類縁体が合成できることが報告されております。しかし、母骨格である窒素原子数が4個の安定な反芳香族イソフロリンはいまだ合成されず、その物性も未解明のまま残されていました。

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図2. (a)ポルフィリン合成の反応機構。(b)これまでに報告されているイソフロリン誘導体

研究の内容

山下講師らの研究グループでは、通常のポルフィリン合成の経路(図2a)とは逆に、ポルフィリンを2電子還元することでイソフロリンを合成することにしました。さらに生成するイソフロリンを安定化するために、周辺に官能基の導入を計画しました。具体的には、出発物質として、電子求引性のシアノ基を4つ持つテトラシアノポルフィリンを採用しました(図1)。テトラシアノポルフィリンは1980年代から報告のある化合物であり、既報の研究から通常のポルフィリンよりも還元されやすいことが知られています。しかし、その還元によって得られる化合物の構造・性質に関しては未解明のままでした。

そこで、テトラシアノポルフィリンを還元することで、未報告である中心窒素原子が4個の金属を含まない反芳香族イソフロリンの合成を試みました。テトラシアノポルフィリンの溶液に温和な還元剤としてヒドラジンを添加したところ、溶液の色が緑から赤へと変化したこと(図1)から、還元が示唆されました。生成物の核磁気共鳴測定および単結晶X線構造解析(図3)から、目的とするイソフロリンの生成と、このイソフロリンが有する高い平面性、および反芳香族性を明らかにしました。

これまでに報告されていた中心窒素原子が4個の反芳香族イソフロリンは、大気中では極めて不安定であることが報告されていましたが、本研究で得られたイソフロリンは、固体状態では空気中で取り扱い可能なほど安定であることがわかりました。さらに、溶液中でもヒドラジンの存在下では大気中で安定ですが、還元剤を取り除くと徐々に酸化されて元の芳香族ポルフィリンに戻ることがわかりました。すなわち、外部環境によって反芳香族性―芳香族性の変換ができることが明らかになりました。

本研究で得られたイソフロリンは、世界で初めての中心金属を持たず中心元素の置換もされていない反芳香族イソフロリンです。Woodwardが1960年にイソフロリンの存在を提唱して以来、60年の快挙であると言えます。

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図3. 合成したイソフロリンの単結晶X線構造解析により得られた分子構造。灰色:炭素原子、白:水素原子、青:窒素原子、黄:フッ素原子

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、還元剤の有無によって芳香族性・反芳香族性が変化し、それに伴って色などの物性が変化するスイッチング材料として利用できると期待されます。

特記事項

本研究成果は、2022年8月31日(水)に国際学術誌「European Journal of Organic Chemistry」(オンライン)に掲載されました。

タイトル:“20π Antiaromatic Isophlorins without Metallation or Core Modification”
著者名:Haruna Sugimura, Kana Nakajima, Ken-ichi Yamashita and Takuji Ogawa
DOI: https://doi.org/10.1002/ejoc.202200747

この研究に関連するイラストが雑誌のCoverPictureに掲載されました。

なお、本研究は、JSPS科研費(JP17K14447, JP19H02688)、および自然科学研究機構 岡崎共通研究施設 計算科学研究センター 施設利用(20-IMS-C195, 21-IMS-C218)などの支援により行われました。

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参考URL

化学専攻物性有機化学研究室
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/ogawa/index.html

山下健一講師 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/05c1a3c1d472d22c.html

山下健一講師 Researchmap
https://researchmap.jp/ken1-yamashi

用語説明

反芳香族

反芳香族は、4n個(nは正の整数)のπ電子が環状かつ平面上に連なった分子構造を持つ化合物。反芳香族化合物は通常不安定であり、分子の平面性を崩すなどしてより安定な構造に変化する傾向がある。

電子求引性

結合電子を引き付ける性質

芳香族

芳香族は、(4n+2)個(nは非負の整数)のπ電子が環状かつ平面上に連なった分子構造を持つ化合物である。反芳香族と異なり、芳香族は通常安定である。

還元

ここでは、化合物が電子を受け取ること。酸化の反対。

酸化

ここでは、化合物が電子を失うこと。還元の反対。

ヒドラジン

無色の液体であり、比較的温和な還元剤である。なお、本研究では、毒性の高い無水物(分子式:NH2NH2)ではなく、より取り扱いの容易な一水和物(分子式:NH2NH2·H2O)を用いた。

核磁気共鳴測定

有機化合物の構造解析に用いられる分光測定の一つ。化合物の芳香族性・反芳香族性の評価にも用いられている。通称、NMR。

単結晶X線構造解析

化合物の構造解析に用いられる測定の一つ。化合物の結晶に様々な角度からX線を照射し得られる回折パターンを解析することで、化合物の詳細な立体構造を直接的に得ることができる。