従来比1万倍!超高感度でコンパクトな テラヘルツバイオケミカルセンサーチップを開発
次世代医療と生化学分析にブレークスルーを起こす
研究成果のポイント
- テラヘルツ波を利用してピコリットル-アトモルレベルの感度で極微量溶液中の溶質濃度を蛍光標識を使わずに検出できるチップを開発
- センサー領域は髪の毛の断面5個分ほど。コンパクト化も実現。
- 従来のテラヘルツ波による流路実験と比較して、数万分の1以下のサンプル量とセンサー領域で、1万倍以上の検出感度を達成。
- 癌などの様々な疾病の超早期発見、生きた細胞や医薬品の非侵襲・迅速な評価による生産プロセスの効率化など幅広い波及効果に期待
- このチップは、大阪大学発の技術であるテラヘルツ波点光源生成技術を応用したもので、ラボオンアチップ開発やバイオチップ市場への参入にも期待
概要
大阪大学レーザー科学研究所の芹田和則(せりたかずのり)特任助教、小畠敏嗣(こばたけさとし)さん(当時:大阪大学大学院工学研究科博士前期課程学生)、斗内政吉(とのうちまさよし)教授の研究グループは、テラヘルツ波を利用して極微量溶液中の溶質濃度を超高感度で検出できるコンパクトなバイオケミカルセンサーチップを開発しました(図1)。
光と電波の中間の周波数の電磁波であるテラヘルツ波を利用したバイオ計測では、生命機能に関わる分子の微弱な運動を検出することができます。これは、他の光や電磁波技術ではできない次世代のセンシング技術として期待されています。しかし、光と比べてテラヘルツ波は、波長が3桁ほど長い上、水への吸収も非常に大きいため、微量溶液を高感度でセンシング可能なコンパクトなセンサーチップの開発が遅れていました。
今回、芹田和則特任助教らの研究グループは、阪大発の技術である、非線形光学結晶へのレーザー光照射で生成する微小なテラヘルツ波点光源を応用し、これをわずか5個のメタマテリアルとマイクロ流路内溶液に直接相互作用させることで、流路内の100ピコリットル(1リットルの1000万分の1)未満の極微量溶液中に存在する500アトモル(1アトは10-18倍、100京分の1)未満の溶質量をラベルフリーで検出可能なチップを開発しました。チップのセンサー部に当たるメタマテリアルは、髪の毛の断面5個分ほどのサイズです。これらは、従来のテラヘルツ波による流路実験と比較して、数万分の1以下のサンプル量とセンサー領域で、1万倍以上の検出感度です。
これにより、様々な生体関連溶液を極微量かつラベルフリーで分析できる新しいチップとして次世代医療と生化学分析分野にブレークスルーを起こすことが期待されます。例えば、わずかな体液中に極微量で存在する癌バイオマーカー、DNA、ウイルスなどの迅速検査による疾病の超早期発見や、チップ内で培養する細胞・組織の変性・変質などの非侵襲評価、また医薬品の標的となるタンパク質の探索や薬効の迅速評価など再生医療や創薬分野における生産プロセスの効率化にも大きく貢献することが期待されます。
本研究成果は、2022年6月23日(木)に英国科学誌IOP Publishing「Journal of Physics: Photonics」(オンライン)に掲載されました。
図1. 開発したテラヘルツバイオチップによる微量溶液測定の模式図と表面の写真。チップは非線形光学結晶製で、表面に5個の基本素子から成るメタマテリアル(横方向に並べている)とマイクロ流路で構成されている。結晶の裏面からフェムト秒レーザーを照射させることで微小なテラヘルツ波点光源が生成され、溶液と近接相互作用したTHz波信号を検出する。
研究の背景
近年、1つのチップ上で、体液中に微量で存在するバイオマーカーや細胞などを分析・診断できるチップの開発が進んでいます。これにはマイクロメートルスケールの空間で微量溶液を高感度かつ定量的に計測する技術がカギとなります。一方、テラヘルツ波(0.1~10テラヘルツ)によるバイオセンシングでは、DNAの水素結合の強弱やタンパク質をつくる分子の微弱な回転運動といった他の電磁波計測では得られない生命機能メカニズムに関わる重要な情報をラベルフリーで検出することができます。テラヘルツ波でも微量分析が可能なコンパクトなチップができれば、既存のチップ技術と組み合わせた多方面からの分析や迅速な診断が可能となり、生化学分析や次世代医療に大きく貢献できると期待されます。しかし、テラヘルツ計測の多くは、テラヘルツ波をレンズで数ミリ程度の領域に集光して計測する手法をとっておりマイクロメートルスケールでの計測が困難です。また、水に対する信号減衰が非常に大きく、溶液サンプルでは検出感度が大きく低下してしまいます。このため、テラヘルツ波を利用したコンパクトなチップの開発は他の技術と比較して大きく遅れていました。
研究の内容
今回、芹田特任助教らの研究グループは、阪大発の技術である、非線形光学結晶へのフェムト秒パルスレーザー光照射で生成する微小なテラヘルツ波点光源とメタマテリアルとの相互作用に注目しました。これまで広く用いられてきたスプリットリング共振器型のメタマテリアルでは、テラへルツ波が入射するとその電界が四方のメタマテリアルと結合しながら広がり損失が出ていました。一方で図1のようなストリップライン型(論文ではI-design、アイ-デザインとしています)のメタマテリアルでは、電界は四方には広がらずギャップ部分のみで効率的に増強効果を示すことを初めて発見しました。これとマイクロ流路内溶液を近接相互作用させることで、髪の毛の断面5個分ほどの小さなセンサーサイズで、ピコリットル-アトモルレベルの感度で極微量溶液の溶質濃度の計測が可能なチップの開発に成功しました。
計測の一例として、図2にグルコース水溶液を取り上げています。流路内の85ピコリットルの溶液中のグルコースを472アトモルの感度で検出できています。これらは、従来のテラヘルツ波による流路を使った測定と比較して、数万分の1以下のサンプル量とセンサーサイズで、1万倍以上の検出感度です。
図2. マイクロ流路内の85ピコリットルのグルコース水溶液中のグルコース濃度と共振周波数シフト量のプロット。マイクロ流路内を純水(0 mg/L)で満たしたときの共振周波数を基準にしてそこからの変化量を読み取ることで最大で472アトモルのグルコースの検出ができている。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、様々な生体関連溶液の極微量・ラベルフリー分析ができる多機能なチップとして次世代医療と生化学分析分野にブレークスルーを起こすことが期待されます。例えば、わずかな体液中に極微量で存在する癌バイオマーカー、DNA、ウイルス、血中グルコースなどをラベルなしで迅速に検査できるようになり、癌や糖尿病などの疾病の超早期発見に大きく貢献することが期待されます。チップ内で培養中の細胞や組織の変性・変質などの非侵襲評価や、医薬品の標的となるタンパク質の探索・薬効の迅速評価など再生医療や創薬分野における生産プロセスの効率化への貢献も期待されます。また、急速な発展を遂げるマイクロ流体技術との組み合わせも容易なことから、マイクロタスに向けた開発が加速し、新しいバイオチップとしての市場参入にも期待できます。その他にも、近年注目されている下水疫学分野における下水中のコロナウイルス存在実態や水質環境などの調査にも貢献できることが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2022年6月23日(木)に英国科学誌「Journal of Physics: Photonics」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“I-design terahertz microfluidic chip for attomole-level sensing”
著者名:Kazunori Serita, Satoshi Kobatake and Masayoshi Tonouchi
DOI: https://doi.org/10.1088/2515-7647/ac691d
なお、本研究の一部は、科学研究費補助金(JP20H00247, JP20K20536, JP21H01392)および科学技術振興機構研究成果展開事業研究成果最適展開支援プログラム ASTEP トライアウト JPMJTM20QBの支援にて実施されました。
参考URL
SDGsの目標
用語説明
- テラヘルツ波
周波数が1テラ(1兆)ヘルツ前後にある電磁波の総称。光と電波の中間の周波数帯域であり、光の直進性と電波の透過性双方の性質を併せ持つ。波長は0.01~1ミリメートル程度の電磁波で光よりも3桁程度長い。また、水に対しては可視光の6桁以上強く吸収される。
- 非線形光学結晶
レーザー光などの強い光が入射すると、その分極応答が入射する光電場に対して2乗、3乗などに比例した非線形な応答を示す結晶。本研究における、光からテラヘルツ波への波長変換は、代表的な非線形応答である。
- メタマテリアル、スプリットリング共振器
対象とする電磁波の波長よりもやや小さな微細構造体で、特定の周波数に対して高い感度を持たせたりすることが可能であり、バイオセンサーやフィルターなどに応用されている。スプリットリング共振器は代表的なメタマテリアルで、コの字型の金属構造を有しており、電磁波が入射すると電気回路のLC共振回路のような共振特性を示すことで知られる。