グラフェンで被膜した卑金属電極が防食と触媒作用を両立するメカニズムを解明
概要
水の電気分解に用いられる白金電極は、コストや希少性の点から代替品の開発が急務となっています。代替品となり得る卑金属は、低コストかつ埋蔵量が豊富で、潜在的な触媒性能にも優れていますが、酸性条件下での腐食が避けられず、防食と触媒作用という背反する化学現象の両立は、原理的に不可能と考えられてきました。しかし近年、グラフェン(炭素シート)で表面を被膜した卑金属触媒が、腐食の原因となるプロトン(酸)がグラフェン膜を透過する現象によって、腐食を抑えつつ水素発生触媒として有効に働くことが分かってきました。本研究では、この現象を多角的に検証し、防食と触媒作用を両立するメカニズムを世界で初めて明らかにしました。
これまで、卑金属表面を被膜したグラフェンは、プロトンと卑金属の接触を遮断して腐食から保護する一方で、それ自体の触媒機能は失活すると考えられていました。しかし今回、炭素3~5個分の厚さのグラフェン膜が、大量のプロトンから卑金属を保護しつつ、適量のプロトンを透過させ、卑金属表面で触媒反応を起こしていることが分りました。また、このプロトン透過現象を利用した、水の電気分解用水素発生卑金属電極は、白金電極に比べて、性能的にはやや劣りますが、1/100のコストで作製でき、250時間以上、腐食せずに運用できることを実証しました。
このメカニズムにより、腐食が起こりやすい環境でも、卑金属が使用可能になることから、水の電気分解装置のみならず、燃料電池用の電極や、その他様々な白金代替用途への応用が期待されます。
研究の背景
水の電気分解は、次世代エネルギー源である水素ガスを作り出す有力な手法として期待されています。そのための装置の重要な要素である電極には貴金属電極が用いられていますが、コストや希少性の面から、安価な卑金属を用いた代替電極の開発が急務となっています。しかしながら、卑金属は酸性条件下で容易に腐食してしまうため、実用に耐えうるものはありませんでした。
本研究グループは、防食と触媒作用という背反する化学現象を両立させるために、卑金属電極の表面を、1〜10層に層数制御したグラフェン(炭素シート)膜で覆うという方法に着目してきました(図1)。従来、1〜2層のグラフェン膜にはイオンや分子への物理的な遮断能力はなく、物質はグラフェン膜を透過し下地の金属にたどり着き腐食を引き起こす、一方、3〜5層以上のグラフェン膜はイオンや分子を物理的に遮断することが可能で、触媒反応はグラフェン膜上のみで起こり、その触媒能力は下地金属の特性を強く反映する、と考えられていました。ところが、近年の解析結果から、卑金属の表面を被膜するグラフェンの層数と、被膜される卑金属の触媒性能には相関があることが分かりました。しかしながら、グラフェン膜によって卑金属表面とプロトン(酸)の直接接触が遮断されているにもかかわらず、卑金属電極が優れた触媒能力を発揮するメカニズムの解明には至っていませんでした。
そこで本研究では、これまで提唱されていた触媒メカニズムを検証するとともに、グラフェン膜で覆われた卑金属の表面で触媒反応が起こるメカニズムの解明を目指しました。
研究内容と成果
まず、グラフェン膜の構造を観察しました。炭素原子1個分の厚さを持つグラフェン膜と、窒素原子をグラフェン格子内部に含有させたグラフェン膜を、化学気相蒸着(CVD)法で銅シートの上にそれぞれ成長させ、化学処理により1層のグラフェンシートを単離しました。得られたグラフェンシートを高分解能の電子顕微鏡で調べると、窒素原子を含有していないものは欠陥構造がないのに対して、窒素原子を含有したものは、これに由来する欠陥構造が見られました(図2)。さらに、それらのグラフェンシートは、いずれもほぼ全体が1層であることが確認されました。
次に、張り付けるグラフェンの層数に対する卑金属の水素発生能力を評価しました(図3)。1〜6層のグラフェン膜を、触媒能力が低い銅電極と触媒能力が高いニッケル電極の表面に張り付け、それぞれについてpH 0.5の硫酸性水溶液中で電気化学的水素発生試験を行いました。その結果、いずれの電極でも、電極表面を覆うグラフェン層数が増えるにつれて、水素還元電流値が10 mA/cm2に到達するための電位(過電圧)が増大しました。また、グラフェン膜単体にはほとんど触媒能力がないことも分かりました。従来の触媒メカニズムでは、基板となる卑金属が外側のグラフェン膜に電子を与え、グラフェン膜自身の触媒能力を向上させると説明されます。これが正しいならば、グラフェン膜上で触媒反応が生じるため、銅電極とニッケル電極は同様の性能を示すはずですが、本実験では、表面を同質のグラフェン膜で覆っているにもかかわらず、ニッケル電極が銅電極よりも0.3 V以上低い過電圧を示しました。この性能差が、グラフェンの触媒能力は下地金属の特性を反映している、と考える根拠です。
そこで、触媒反応による水素ガスの発生場所に着目し、電極の性能差が生じる原因を詳しく調べました(図3)。ニッケル電極上でゆっくり水素発生を起こすと、膜の破れがなくグラフェン膜とニッケル基板の間に水素の気泡が存在していることが確認できました。また、欠陥の多い窒素ドープグラフェン膜とニッケル表面の間には気泡がありませんでした。理論計算で水素分子透過のシミュレーションを行った結果、水素分子は窒素原子がドープされている欠陥構造(図2)やこれよりも大きなナノ欠陥を通じて室温で排出可能であることが確認されました。このことは、触媒反応は、グラフェン表面で起こっているのではなく、プロトンがグラフェン膜を透過し、卑金属表面で水素分子が生じ、構造欠陥を通じて外へ排出されていることを示しています。すなわち、グラフェン膜に対するプロトン透過現象を伴う、新たな反応ルートが明らかになりました。
また、プロトンがグラフェン膜を透過していることを確かめるため、グラフェン膜を張り付けた隔膜を作製し、この隔膜以外にプロトンが通過できる経路が存在しない条件下で、プロトンが水素分子に還元されるときに発生する還元電流を計測しました。これが計測できれば、アノードからカソードへプロトンが移動した、つまり、グラフェン膜を透過したことを意味します。0.5 M硫酸水溶液中で電位をかけると、1層から10層に増えるにつれてカソードの電流値、すなわちグラフェン膜を透過するプロトン量が減少し、窒素原子を含有したグラフェン膜は、窒素原子を含有していない同数の層数を持つグラフェン膜よりもプロトン透過量が多いことが確認されました(図4)。
上記で調査した卑金属電極の水素発生能力とプロトン透過能力をグラフェンの層数ごとにプロットしてみると、グラフェン膜で覆ったニッケルシート電極は、プロトン透過能力が高いほど水素発生能力が高く(=過電圧が低い)、卑金属の水素発生能力とグラフェン膜を透過するプロトンの量は比例関係にあることが分かりました(図5)。このような関係は、ニッケルシートをニッケルナノ粒子やニッケル合金ナノ粒子へ変更しても同様に見られ、グラフェンで覆われた卑金属触媒の水素発生能力は、金属成分やその幾何学形状にかかわらず、グラフェン膜のプロトン透過能力に依存していることが明らかとなりました。
このように、本研究が見出した、プロトンがグラフェンの窒素由来の欠陥などを通って卑金属表面に到達し、水素分子が発生するというメカニズムの方が、従来の、卑金属基板から電子を受け取り、グラフェンの表面で水素発生を起こすというメカニズムよりも、優位に働いていることが証明されました(図6)。
本研究により、グラフェン膜の層数(プロトン供給量)が、グラフェンで表面を被膜した卑金属の電極性能を決定づけていることが示唆されました。実際に、このメカニズムを持つ卑金属カソードを固体高分子型水電解セルに組み込んで試験したところ、白金電極と同等の水素発生量を得るには、より大きな電圧を要するものの、250時間に渡って腐食せずに運用ができました。これにより、グラフェンのようなプロトン透過能力を持つ原子層と卑金属を組み合わせ、従来不可能と考えられていた酸性条件下の卑金属の防食と触媒性能を両立するための指針が得られました。
図1 従来提唱されていた、グラフェンで覆われた卑金属電極の反応メカニズム。 1~10層の異なる層数を持つグラフェンシートで卑金属表面を被膜したモデル(上図)と、グラフェンシート層数による、プロトンに対する物理的な遮断能力の違い(下図)。
図2 グラフェン膜の構造。
(a) 窒素を含有しないグラフェンの電子顕微鏡像。
(b) 窒素を含有するグラフェンの電子顕微鏡像。赤い枠は(c)の模型図の欠陥部に相当する。
(c) 窒素を含有するグラフェンの欠陥の模型図。
図3 グラフェン膜を表面に張り付けた卑金属電極と、その電極を用いた水素発生試験の結果。
(a) グラフェン膜を卑金属電極の表面に張り付けた時の模型図。プロトン交換膜兼グラフェン保護シートであるナフィオンで1-6層のグラフェン膜を挟み込んで製膜した。
(b) 層数の異なるグラフェン膜で表面を覆った銅電極の0.5M硫酸水溶液中での電流電位曲線。
(c) 層数の異なるグラフェン膜で表面を覆ったニッケル電極の0.5M硫酸水溶液中での電流電位曲線。
(d) 水素発生試験後、グラフェン膜とニッケル電極の間に発生した気泡の光学顕微鏡像。
(e) 水素発生試験後の窒素ドープグラフェン膜とニッケル電極の間に気泡が発生し気泡が排出された後の光学顕微鏡像。
(f) 発生した水素分子がグラフェンの欠陥を通じて外へ排出されるシミュレーションモデル。
図4 グラフェン膜を隔膜としたときのプロトン透過実験。
(a) グラフェン膜を用いた隔膜の構造と光学顕微鏡像による窒化ケイ素チップの全体像。チップの中央に10μm四方の窓を持つ。
(b) 3極式の電気化学用H型セルの模型図。(a)の隔膜を仕切りの中央に配置し、左右の両部屋から電解液が漏れないように接着する。
(c) 層数の異なるグラフェン隔膜を用いた0.5M硫酸水溶液中の電極(陰極)で観測された定電位試験の結果。電流値が大きいほど、多くのプロトンがグラフェン膜を通過していることを意味する。
(d) グラフェンの層数に対する0.5M硫酸水溶液中の電極(陰極)で観測された電流値のまとめ。層数が増えるに従って、直線的にプロトンの透過量が減少する。
図5 グラフェンで被膜した様々な卑金属電極による水素発生能力とプロトン透過能力の相関図。 挿入図はニッケルシート(Ni)、ニッケルナノ粒子(NiNP)、ニッケル合金ナノ粒子(NiMoNP)の構造模型を示しており、それらを電極(陰極)として用いて触媒形状効果と金属成分効果について検証した。1NGL、3NGLと6NGLは窒素ドープグラフェンの層数の数を表している。
図6 酸性条件下でのグラフェンで被膜した卑金属電極(陰極)による水素発生メカニズム。(白球:炭素、赤球:窒素、青球:水素、黄色とオレンジ:水分子)
(a) 本研究が明らかにした新しいメカニズム:グラフェンの構造欠陥を通じてプロトンが卑金属電極の表面に到達し、水素発生反応を起こす。
(b) 従来考えられていたメカニズム:卑金属基板から電子の供給を受けてグラフェンの最表面で水素発生反応を起こす。
今後の展開
本研究が明らかにした触媒メカニズムは、これまで酸性条件下での使用が難しかった卑金属を活用できる機会を格段に広げる革新的な成果です。これにより、卑金属は白金を筆頭とする貴金属電極よりも100分の1のコストで使用可能かつ酸性条件下で溶けない電極となり得ます。また、水の電気分解用の水素発生電極のみならず、固体触媒、燃料電池用電極、スーパーキャパシタや蓄電池といったエネルギー関連材料など、これまで腐食で悩まされていた分野での、幅広い応用展開が期待されます。さらに、グラフェンを10層以上張り付けることで、新たなメッキとして活躍できる可能もあります。今後はこういった技術の実用化を目指し、研究を進めていく予定です。
研究資金
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 さきがけ 研究領域「再生可能エネルギーからのエネルギーキャリアの製造とその利用のための革新的基盤技術の創出(研究期間:平成27~30年度)」、トヨタ・モビリティ基金 「水素社会構築に向けた革新研究助成」、科学研究費補助金 新学術領域研究「次世代物質探索のための離散幾何学」、文部科学省委託事業ナノテクノロジープラットフォーム 物質・材料研究機構微細構造解析プラットフォーム(JPMXP09A19NM0033)、他の研究プロジェクトの一環として実施されました。
掲載論文
【題 名】 Catalytic Activity of Graphene-Covered Non-Noble Metals Governed by Proton Penetration in Electrochemical Hydrogen Evolution Reaction
(プロトン透過現象によって支配された電気化学的水素発生反応におけるグラフェン被膜卑金属の触媒能力)
【著者名】 Kailong Hu, Tatsuhiko Ohto, Yuki Nagata, Mitsuru Wakisaka, Yoshitaka Aoki, Jun-ichi Fujita, Yoshikazu Ito
筑波大学数理物質系 伊藤 良一 准教授、藤田淳一 教授、胡 凱龍 博士
大阪大学基礎工学研究科 大戸 達彦 助教
富山県立大学工学部 脇坂 暢 教授
マックスプランク研究所 永田 勇樹 博士
北海道大学 青木芳尚 准教授
【掲載誌】 Nature Communications
【掲載日】 2021年1月8日
【DOI】 10.1038/s41467-020-20503-7
参考URL
基礎工学研究科 大戸先生HP
http://molectronics.jp/members/51/
用語説明
- 水の電気分解
化石燃料を使用せず、また、排気ガスを出さずに電気のみで水素を製造する手法の一つ。アノード(陽極)とカソード(陰極)に電気を流すと、アノードでは酸素、カソードでは水素が発生する。強酸性条件下においてカソードには白金(約3700円/g)が用いられることが多い。
- 卑金属
鉄鋼、銅、アルミニウム、鉛、亜鉛、モリブデン、マンガン、ニッケルなど化学的安定性が低く腐食されやすい金属。一般的に金や白金などの貴金属ではない金属のことをさす。
- 化学気相蒸着(CVD)法
目的物質の前駆体を含んだガスを高温で加熱しながら流すことにより、化学的に薄膜する手法である。熱分解された分子は基板表面上で化学反応を起こし、その反応によって1層から数層の膜を作製することができる。
- 過電圧
電気化学反応において、電気化学反応を引き起こすために必要とされる理論的な電位と実際に実験において電気化学反応が進行するときに必要な電極の電位との差のことを意味する。過電圧は低ければ低いほどエネルギー利用効率が良いとされる。
- プロトン透過現象
プロトンがグラフェン膜に浸み込み、グラフェン膜を通り抜ける現象。