卑金属のみを用いた固体高分子型水電解用酸素発生電極の開発

卑金属のみを用いた固体高分子型水電解用酸素発生電極の開発

2022-11-1工学系
基礎工学研究科助教大戸達彦

概要

カーボンニュートラル実現に向けて、再生可能エネルギーと水の電気分解を組み合わせたクリーンな水素製造技術が求められており、その一つに固体高分子型(PEM)水電解があります。しかし、強酸性環境下での電気化学反応のため、大量の貴金属電極を使用せざるを得ないことが欠点です。本研究では、強酸性中でも腐食しない、PEM水電解用卑金属電極の開発に世界で初めて成功しました。

PEM水電解の電極研究は、これまで、貴金属である白金とイリジウムの使用量を減らすための工夫に注力されていました。しかし、理論上、一定量の貴金属は使用しなくてはならない上、再生可能エネルギーの導入が本格化する2030年以降は、イリジウムの調達合戦が激化し、水電解プラント建設に必要となる十分な量を確保することが困難になると予想されます。そのため、貴金属使用量を減らすのではなく、貴金属を使わないPEM水電解技術への転換が必要になります。

本研究では、不働態化しやすい卑金属と触媒能力が高い卑金属を合金化することで、通常は硫酸中で容易に溶解してしまう卑金属陽極を、電源オンオフを模擬する実験において、3年間にわたって99%以上の性能を保持させることに成功しました。卑金属電極は、イリジウムよりも1000分の1程度の低コストな材料であり、太陽光発電や風力発電等とPEM水電解を組み合わせたオンサイト水素製造用電極としての利用が期待されます。

研究の背景

2050年までのカーボンニュートラル(実質的CO2排出量ゼロ)に向けて、世界中でさまざまな取り組みが行われています。再生可能エネルギーと水の電気分解を組み合わせたクリーンな次世代水素製造技術の一つとして、固体高分子型(PEM)水電解があります。この技術は、排気ガスやアルカリ廃液が発生せず、得られる水素の純度やエネルギー効率の観点から、小中規模発電所や水素ステーションなどに併設し、水素ガスの輸送が不要なオンサイト方式での利用が期待されています。しかし、現状のPEM水電解は、強酸性環境で行われるため、大量の貴金属電極の使用が不可欠で、特に、アノード電極(陽極)に関しては、酸化イリジウム(IrO2)しか選択肢がありません。また、1 GW相当の電力(=1日当たり約 30 万世帯分もしくは原発1基分)を得るためには、理論上、イリジウムが700 kg必要になりますが、イリジウムは市場価格2万円/gを超える高価な材料である上、世界年間産出量は7トンしかなく、PEM水電解を本格普及させようとすると、量的不足に陥ることも指摘されています。このような背景から、本研究では、不働態化しやすい卑金属と電極としての触媒能力が高い卑金属を合金化することで、PEM水電解において腐食環境下でも本来の触媒能力を発揮し、貴金属を代替する卑金属電極の開発を試みました。

研究内容と成果

卑金属合金は、組成、元素種類、元素の組み合わせがほぼ無限に存在しており、まず、その中から目的に合致したものを、できるだけ少ない労力とコストで見つけ出すことが重要です。そのため、候補元素を一つずつ評価するような従来の探索方法に代えて、元素を入れられるだけ入れた多元合金を先に合成し、目的とする電気化学反応条件下で不要な元素を取り除いていく新たなアプローチを採用しました。本研究では、このようなアプローチの正当性についても、実験と理論の両面から検証しました。

多元合金として、図1(a)のようなボタンインゴット型の4元合金(Ti、Nb、Zr、Mo)、5元合金(Cr、Mn、Fe、Co、Ni)と9元合金(Ti、Cr、Mn、Fe、Co、Ni、Zr、Nb、Mo)をそれぞれ作製しました。これらのインゴットがほぼ等モルで金属状態が保持されていることを確認した後、透過型電子顕微鏡を用いたその場元素マッピング法などにより原子レベルの混ざり具合を観察し、いずれの合金も、全ての元素が均一に含有されていることを確認しました(図1(b-c))。

これらの合金についてそれぞれ腐食測定を行い、腐食電位と腐食電流を算出して既存の金属や合金と比較したところ、いずれの合金も、鉄、ニッケルや高エントロピー合金よりも腐食しにくく、貴金属である白金微粒子よりも腐食の進行が遅いことが明らかになりました(図2(a))。次に、疑似その場電気化学X線光電子分光(EC-XPS)実験により、硫酸水溶液中で電位を印加しながら電流値の変化を調べ(図2(b))、電流値に大きな変化が現れた電位において表面組成分析を行いました。その結果、水素発生電位方向には特に特出する変化は観測されませんでしたが、酸素発生電位方向では酸素発生が起こる電位に到達する前に全ての元素の酸化が完了して不働態化していることが分かりました。さらに、上記のEC-XPS法において検出角度を変更した角度依存性測定から、酸素発生が起こっている電位1.9 Vでは、CoとNiが表面に偏析していることが明らかとなりました。つまり、0~1.65 V印加状態では、CoとNiは酸化被膜の下で保護されており、1.9 V印加状態になると酸素系種(OとOH)が内部に入り込み、酸化が表面下部まで進行すると同時に、CoとNiが不働態表面へ押し出されるという現象が見られました。この表面構造の変化は、水電解を起こそうとする外力によって、合金が、電極として最適な構造に向かって自己再構成していると考えることができます。

このような防食能力と自己再構成能力を持つことが明らかとなった合金を電極とし、PEM水電解の環境を再現する0.5 M硫酸水溶液中で電極性能の検証を行いました。加速劣化試験(水電解槽使用時の電源スイッチオンオフに相当するサイクル特性実験)の結果、4元合金は腐食しないが電極性能もなく、5元合金は電極能力が高いが腐食耐性がないことが分かりました(図3(a))。これは、4元合金の成分が不働態膜、5元合金の成分が電極の触媒性能の役割を担っている実験的証拠といえます。4元合金の成分と5元合金の成分を合わせた9元合金電極では、5元合金より電極性能は劣るものの、腐食せず電極能力を発揮していることが明らかとなりました。さらに、0.5 Mの硫酸水溶液中で2 A/cm2を維持できる電圧で定電流測定を行ったところ、酸素発生用9元合金電極は200時間劣化しませんでした(図3(b))。これらの試験後に、電極の様子を調べたところ、全ての元素は存在しており、形状は大きく変わっていないことが明らかとなりました。一方、水素発生用9元合金電極は50時間未満で全て溶解したことから、水素発生用電極としては適性がないことが分かりました。

この9元合金の電極性能の起源を理解するために、さまざまな理論計算とシミュレーションにより合金の性質を調べました(図4)。その結果、Fe、Co、Niが電極の触媒活性サイトとして働いていることを突き止めました。1.9 V印加時に表面へ押し出された(自己再構成した)CoやNiが、酸素発生に関する良い触媒活性サイトになっていると示唆され、CoやNiは溶けてしまうために最初から電極には適さないという、従来の考え方を覆す知見が得られました。

これらの結果から、9元合金が高い電極能力を持つ理由を読み解くことができます。まず、各元素の役割をまとめると、酸素発生に優位な電極の触媒活性サイトはFe、Co、Niであり(CrとMnはこれらをサポートする)、Ti、Zr、Nb、Moが不働態の役割を担っていると分類することができます。酸性電解液中では、5元合金の成分(Cr、Mn、Fe、Co、Ni)が表面から溶けだし、4元合金の成分(Ti、Zr、Nb、Mo)が不働態膜を形成し、不働態膜完成とともに腐食の進行を防いだと考えられます。この表面状態は、9元合金が必要な元素を自己選択した結果であり、4元合金とほぼ同等の表面構造であると考えられます。その後、電極上の化学反応に必要な外因(今回は電圧)を加えることで、化学反応に都合の良い自己再構成(CoとNiが表面へ偏析)を起こしていると考えると、4元合金でも5元合金でもなし得なかった相乗効果が9元合金で発揮されていると結論付けることができます。

なお、従来の多元合金の探索法に基づき、5元合金(Cr、Mn、Fe、Co、Ni)に、Ti、Zr、Nb、Moを順次加えていき、各合金の電極性能を評価したところ、この方法でも電極性能が改善されることが分かりました。しかし、このプロセスでは、構造解析や電気化学評価などに係るコストや労力は5倍以上となることから、9元合金を先に作製しその特性を理解する、本研究で提唱したアプローチの方が優れているといえます。このようなアプローチは、腐食しない卑金属電極の探索の高速化と性能向上に大きく役立つと期待されます。

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図1. 高エントロピー状態の合金の構造同定。
(a)高エントロピーな合金インゴットの実物写真とインゴットから切り取ったシート。
(b)高エントロピーな合金インゴットを砕いたときの透過型電子顕微鏡像。シート形状では電子顕微鏡観察できないため、粉砕した後、電子顕微鏡観察を行った。
(c)砕いた高エントロピーな合金の透過型電子顕微鏡像とその場元素マッピング。9元素が全て均一に含まれている状態。


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図2. 腐食測定と疑似その場電気化学X線光電子分光法による測定の一部の結果。
(a)本合金と代表的な金属および合金の腐食電流と腐食電位をプロットした図。
(b)その場電気化学X線光電子分光法を用いた測定に使用した2.5 mM硫酸水溶液中での電流電位カーブと測定したときの電位位置。開回路電位:黒、一段階目の酸化状態の電位:緑、二段階目の酸化状態の電位:オレンジ、酸素発生(OER)状態の電位:赤、水素発生状態の電位:青。特徴的な電位で表面組成分析することにより、電圧値に依存した表面状態の変化を追跡した。

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図3. 本合金電極を用いた3極式電気化学測定の結果。
(a)0.5 M硫酸水溶液中での酸素発生が起こる範囲の電流電位カーブ。破線は1000回のオンオフ繰り返しに相当する実験後の電流電位カーブ。5元合金は1000回のオンオフ繰り返し後、99%で電極性能が劣化した。4元合金と9元合金には電極性能劣化がほぼ見られなかった。IrO2は酸素発生の標準触媒。
(b)0.5 M硫酸水溶液中での9元合金の酸素発生用電極と水素発生用電極の定電位測定。水素発生電極として使用すると50時間で溶解した。

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図4. 第一原理計算を用いた本9元合金表面での水の電気分解のシミュレーション。
(a)9元合金の計算モデル図。
(b)酸素発生に関する律速反応のギブス自由エネルギー(O*)。活性化エネルギーを反映した値なのでゼロに近い値が触媒性能が良い。モデル図の面を切り出して1000構造以上計算し、その中で優れた触媒能力を持ったサイトの元素を表にまとめた。

今後の展開

今回開発した卑金属多元合金は、工業的にも量産化可能で、価格的にもイリジウムの1000分の1程度であることから、従来の貴金属電極を十分に代替できると考えられ、水素社会の構築に向けた、再生可能エネルギーを電源とした水電解技術の普及に大きく貢献するものと期待されます。本研究成果については、現在、国際特許を出願中であり、今後、これに基づいて、実用化に向けた研究を展開していく予定です。

特記事項

掲載論文
【題 名】 Corrosion-resistant and high-entropic non-noble-metal electrodes for oxygen evolution in acidic media.
(酸性条件下で耐腐食性を持つ高エントロピー合金による酸素発生電極)
【著者名】 Aimi A. H. Tajuddin, Mitsuru Wakisaka, Tatsuhiko Ohto, Yue Yu, Haruki Fukushima, Hisanori Tanimoto, Xiaoguang Li, Yoshitatsu Misu, Samuel Jeong, Jun-ichi Fujita, Hirokazu Tada, Takeshi Fujita, Masaki Takeguchi, Kaori Takano, Koji Matsuoka, Yasushi Sato, Yoshikazu Ito
【掲載誌】 Advanced Materials
【掲載日】 2022年10月22日
【DOI】 10.1002/adma.202207466

本研究は、東電記念財団、エネオス水素基金、科研費(JP20H04628、JP20H04639、JP19H05166、JP21H00140、JP21H02037、JP21H00153)、市村清新財団、JACI 公益社団法人新化学技術推進協会・新化学技術研究奨励賞ステップアップ賞、豊田理研スカラー、中部電気利用基礎研究振興財団、日立金属・材料科学財団、金森財団、文部科学省委託事業ナノテクノロジープラットフォーム材料研究機構微細構造解析プラットフォーム(Grant Number: JPMXP09A20NM0013)、東北大学金属材料研究所新素材共同研究開発センター共同研究(Proposal No. 202011-CRKEQ-0001)HPCI利用研究課題(hp210096)、他の研究プロジェクトの一環として実施されました。

用語説明

不働態

金属表面が酸化され、それ以上腐食が進行しなくなった状態。つまり、金属表面が金属酸化物に覆われている状態である。

その場元素マッピング法

透過型電子顕微鏡観察中の任意の観察視野において、エネルギー分散型X線分光法を用いて対象物の元素分析を行う手法。

高エントロピー合金

5つ以上の多元素、かつ、ほぼ等原子量から構成される固溶体合金。機械強度と触媒能力が劇的に向上し、強固な結合を持つことから、化学反応に対する安定性に優れることが報告されている。

疑似その場電気化学X線光電子分光法(EC-XPS)

既存の電気化学測定とX線光電子分光法を組み合わせた手法。X線光電子分光装置内部で電気化学測定を行うため、試料の大気暴露の影響がない正確な表面分析を実現できる。

角度依存性測定

X線光電子分光法において、異なるX線照射角度での測定結果の比較から、最表面に存在している元素を分析する手法。