未解明超伝導に潜む電子軌道の揺らぎの観測
原子核の電気偏極を用いて異常物質の謎の解明へ
研究成果のポイント
- 鉄系高温超伝導体において、大きな核電気偏極をもつ元素で一部置換し、その同位体の僅かな特性の違いを利用したNMR実験技法で、電子軌道の揺らぎを敏感に検出できることを明らかにしました。
- 超伝導の発現に電子のスピン揺らぎと軌道揺らぎのどちらが重要かという長年の謎の解明に向け、結晶形態を選ばず同一試料・同一手法で検出可能という特徴をもつ新しい実験手法となりました。
- スピン揺らぎを敏感に観測できるNMR実験法で、軌道揺らぎを電気的な揺らぎとして捉えた極めて珍しい実験報告であり、今後の超伝導発現機構の研究を前進させる成果となります。
- 合成が難しく多結晶体しか得られない物質系に対しても適用できるため、今後、電子のスピン・軌道・電荷が複雑に絡んで起こる異常物質での新しい物理現象の解明にも応用が期待されます。
概要
大阪大学大学院基礎工学研究科 大学院生の小内貴祥さん(現:東京理科大学先進工学部 助教)、椋田秀和准教授らの研究グループは、大きな核電気偏極 (核四重極モーメント)を持つ元素(Sb:アンチモン)で一部置換した鉄系高温超伝導において、同位体Sb核を核磁気共鳴(NMR)実験で比較する手法により、軌道揺らぎの明瞭な抽出に初めて成功しました。
電子のスピン揺らぎと軌道揺らぎのどちらが超伝導の発現に重要な働きをしているか?という難題に対し、「揺らぎ」を観測できる測定手法は非常に少なく、長年の謎として残っています。本研究はその両者の揺らぎを結晶形態を選ばず同一試料で同時検出できる新たな実験手法となります。
今回、研究グループが用いた実験手法で、これまで困難であった軌道揺らぎが検出できることがわかり、今後スピン揺らぎも含めた両者の超伝導との相関について、どちらが超伝導転移温度と相関し普遍的に見られるか、という超伝導機構の謎の解明に向けた進展が期待されます。 さらに電子のスピン、軌道、電荷の自由度が複雑に絡んで起こる異常物質での新しい物理現象の研究にも応用が期待されます。
本研究成果は、米国物理学会発行の「Physical Review B誌」に、2023年7月20日(木)に公開されました。今号の注目論文(Editor’s Suggestion)に選出されました。
図1. 同位体Sb-NMR緩和率比から構造転移温度(Ts)へ向けて増大する軌道揺らぎを観測。
研究の背景
電気抵抗がゼロとなる超伝導現象は、約110年前に極低温(約-269℃)で初めて発見されました。未来のエネルギー問題解決の鍵となる技術と期待され、より高い温度で起こる新しい超伝導体を求めて世界中で物質探索が行われています。応用上必須となる常圧で起こる高温超伝導物質としては、銅酸化物超伝導体(約-140℃)、鉄系超伝導体(約-210℃)などが第一、第二の(常圧)高温超伝導物質群として知られています。それらは、従来から知られる通常金属の超伝導理論では説明できず、それらがなぜ高温で超伝導を示すのか未だ解明されていません。鉄系高温超伝導においては、従来型とは異なるスピン揺らぎ機構や軌道揺らぎ機構などが新しい候補として挙がっていますが、「揺らぎ」を観測できる実験手法は非常に少ないため、未だにどちらが本質的な役割をしているか解決されていません。スピン揺らぎに関しては、敏感に観測できる核磁気共鳴(NMR)実験によりスピン揺らぎと超伝導の親密な関連性が指摘されてきました。一方で軌道ゆらぎを観測する実験手法はさらに少なく、かつ測定に大きな単結晶体を要する困難さもあり、軌道揺らぎと超伝導の相関の系統性を広く議論するには至っていません。スピン揺らぎと軌道揺らぎのどちらがどのように超伝導と相関し、普遍性が見られるか明らかにするため、大きな単結晶体が得られない物質系にも適用でき、同一試料で同時に両者を検出できる実験手法の開発が求められていました。
研究の内容
今回、研究グループは、アンチモン(Sb)核が核磁気モーメントに加え、大きな核電気偏極(核四重極モーメント)を持つことに着目し、Sb元素で一部置換した鉄系超伝導結晶を合成し、その2種類のSb同位体核のNMR実験を行い、NMR緩和率の同位体比較をすることで軌道揺らぎの抽出を試みました。
図2に示すように、まず構造転移に伴い電子軌道整列が起こると知られる母物質(試料①)においてSb-NMR測定を行い、NMR緩和率が構造転移温度(Ts)に向かって異常増大することを観測しました。この異常増大の起源を明らかにするために121Sbおよび123Sb同位体核の測定を行い、電気的な揺らぎが構造転移温度Tsに向かって増大していることがわかりました(図3(a))。図1の上に示すように、鉄の電子軌道(3d(xz)および3d(yz))がTsに向けどちらか一方の軌道に整列する揺らぎを、Sb核が感じる電気的な揺らぎとして観測できたことを意味しています。多結晶体にも関わらず鉄系物質で軌道揺らぎを明瞭に観測できた世界で初めての成果です。
次に、図2に示す第一超伝導相(SC1)の組成(試料②)において、同様の手法の実験を行いました。この超伝導相(SC1)では、わずかながら低温に向かって増大する軌道揺らぎが観測されました(図3(b))。母物質(試料①)で見られた構造転移は起こらないにも関わらず、軌道整列しようとする揺らぎがわずかながら残存していることを意味しています。この超伝導相(SC1)では過去の多くの実験から、スピン揺らぎの増大がすでに明瞭に観測されていることが知られていることから、軌道揺らぎもスピン揺らぎと共に存在する超伝導相であることが明らかになりました。
これまで、スピン揺らぎの高感度な観測手法であるNMR測定では、軌道揺らぎの明瞭な観測例はほとんどなかったのですが、本研究のようなアプローチをすれば、同一試料で同じNMRという実験手法で、大きな単結晶を必要とせず、スピンと軌道の両者の揺らぎを議論できることが示されました。
今後、電子のスピン揺らぎと軌道揺らぎのどちらが超伝導と深く相関し普遍性が見られるかを明らかにするため、さらなる過剰電子添加域の再出現超伝導相(図2中SC2相)を始め、さらに広い超伝導体へと物質横断的に展開することで、超伝導機構の解明が大いに進展することが期待されます。
図2. 鉄系超伝導の相図。
母物質(y=0)において、Sb置換された試料①と、第一超伝導相(SC1) (y=0.1)においてSb置換された試料②において、同位体Sb-NMR実験を行い、軌道揺らぎの抽出を試みた。
図3. 同位体Sb-NMRの緩和率の比による電気的揺らぎ(軌道揺らぎに由来)の検出。
(a) 母物質(試料①)においては、構造転移温度Tsに向かって、電気的な揺らぎが増大し、(b)第一超伝導相(SC1) (試料②)においては、わずかながらもその揺らぎが消失せずに残っていることがわかりました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
今回研究対象とした鉄系高温超伝導体だけでなく、近年発見されてきた非従来型の全く新しい超伝導機構が期待される物質やそれに類する物質群の中に、夢の「常圧室温超伝導体」が眠っている可能性があります。超伝導機構の解明により得られた指針から新たな超伝導体が発見されることが期待されています。本研究手法は、今後、電子のもつスピン、軌道、電荷という多重自由度が複雑に絡んで起こる新奇な物理現象の解明にも応用が期待されます。
特記事項
本研究成果は、2023年7月20日(木)に米国物理学会発行「Physical Review B誌」(オンライン)に掲載され、特に注目される論文としてEditor's suggestionに選出されました。
タイトル:“Dynamics of orbital degrees of freedom probed via isotope 121,123Sb nuclear quadrupole moments in Sb-substituted iron pnictide superconductors”
著者名:T. Kouchi, K. Yoshinaga, T. Asano, S. Nishioka, M. Yashima, H. Mukuda, A. Iyo, T. Kawashima, and S. Miyasaka
DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevB.108.014507
なお、本研究において、著者の一人(小内貴祥)は学術振興会特別研究員として支援を受け、JSPS科研費(18K18734)、池谷科学技術振興財団、泉科学技術振興財団、カシオ科学振興財団、高橋産業経済研究財団の研究助成を受け、大阪大学 大学院理学研究科 宮坂茂樹准教授、産業総合研究所 電子光基礎技術研究部門 伊豫彰上級主任研究員らの協力を得て行われました。
参考URL
椋田秀和 准教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/7ff691411c937030.html
SDGsの目標
用語説明
- 超伝導
電気抵抗がある温度以下でゼロになる現象。物質により異なる転移温度をもつ。通常金属で起こる超伝導現象の多くは、従来から知られるBCS理論で説明されてきたが、近年それでは説明できない超伝導体が多数発見されてきた。さらなる高温で起こる超伝導体の開発へ向け、未解明の超伝導物質群での機構の解明が急がれている。
- NMR緩和率
NMR(核磁気共鳴)法は、原子核の核スピンの共鳴吸収現象を利用して物質内部の電子状態をミクロな視点で調べる実験手法。物質を構成する元素の原子核には核磁気モーメントと共に電気四重極モーメントをもつものがあり、その大きさは同一元素の同位体でも僅かな違いがある。その差がNMR緩和率(核の励起状態から熱平衡状態に戻るまでの時間の逆数)にもわずかな差として現れ、電子軌道揺らぎの検出へとつながった。