世界最大規模の量子機械学習を実現
25個の核スピンを利用した量子カーネル法によって計算量を削減することに成功
研究成果のポイント
量子コンピュータ向けの機械学習アルゴリズムを最大規模で実証。
通常量子コンピュータはノイズに弱く、実証実験の大規模化が困難だったが、比較的ノイズに強い核磁気共鳴技術を用いることで大規模化に成功。
機械学習の量子コンピュータによる高速化・高度化に向けた第一歩。
概要
大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)の准教授の根来誠副センター長(研究当時JSTさきがけ研究者兼任、量子科学技術研究開発機構グループリーダー兼任)、同大学大学院基礎工学研究科の御手洗光祐助教(JSTさきがけ兼任、株式会社QunaSys、QIQB兼任)らの研究グループは、世界最大規模の量子機械学習実験を実現しました。
近年、量子コンピュータによって機械学習を高速化・高度化することを目的とした研究開発が世界中で活発に行われています。多種多様な理論提案がある一方で、現在実現している量子コンピュータは外界からのノイズにとても脆弱で、実際の量子デバイスを使ったデモンストレーションは数個の量子ビットを使ったものにとどまって来ました。
今回、本研究グループは、比較的外界からのノイズに強い分子中の核スピンを用いることにより、25個の量子ビットを使用したことに相当する量子機械学習の実験実証に成功しました。量子カーネル法によって計算量を削減することに成功し、簡単な回帰及び分類タスクを実行しました。これは、これまでで世界最大規模の量子機械学習であり、今後の量子機械学習実験のさらなる大規模化に向けた礎となることが期待されます。
本研究成果は、ネイチャー・パブリッシング・グループの科学雑誌「npj Quantum Information」に、日本時間6月8日(火)午後6時(英国時間6月8日午前10時)にオンライン公開されました。
なお、本研究成果は同大学大学院基礎工学研究科の楠本武流さん(研究当時博士前期課程)、QIQBの藤井啓祐副センター長(基礎工学研究科教授、理化学研究所量子コンピュータ研究センターチームリーダー兼任)、北川勝浩センター長(基礎工学研究科教授)との共同研究の成果です。
図1. 実験に用いたアダマンタン分子
研究の背景
量子コンピュータは、素因数分解などのタスクにおいて、従来型のコンピュータ (古典コンピュータ) よりも高速に計算ができることで知られる新しい方式の計算機です。2019年には Google の研究グループの量子コンピュータが、ある特定のタスクにおいてスーパーコンピュータを超えたと発表されるなど、ハードウェアは急速に発展しています。その一つの応用先として考えられているのが、機械学習の高速化・高度化です。近年機械学習は目覚ましい進歩を遂げており、画像認識や機械翻訳など様々な形での社会実装が進んでいます。機械学習は大量の計算リソースを必要とすることが多く、これの量子コンピュータの力による解決を目指して、世界中で活発に研究開発が行われています。
様々な理論提案がある一方で、量子機械学習の具体的な性能評価はまだまだ進んでいません。古典コンピュータによる数値シミュレーションでその性能を評価しようにも、数十量子ビットを備える量子コンピュータのシミュレーションは非常に困難です。そこで実際のハードウェアを使った実験実証や性能評価が必要とされますが、これまでの実験は数量子ビットを用いた小規模なものにとどまってきました。現在存在するハードウェアが外界からのノイズに非常に弱く、全ての量子ビットを使うような長時間の操作が難しいことが主な原因です。量子機械学習の有用性を検証するためには、この問題を克服し、実際のハードウェア上で多数の量子ビットを用いた実証実験が求められます。
研究の成果
本研究グループは、量子カーネル法と呼ばれる量子機械学習アルゴリズムの核磁気共鳴(NMR)を用いて実装し(図2)、簡単な回帰・分類タスクに応用しました(図3)。比較的外界からのノイズに強い分子中の核スピンの系(図1)を用いて実装したことで、25量子ビット相当の実験に成功しました。これはこれまで行われた量子機械学習の実証実験の中でも最大規模です。特に、これまでの量子カーネル法の実証実験では、使われた量子ビットの数が小さいために、計算コストの面でカーネル法を用いるメリットはあまりありませんでした。今回の実験が、カーネル法のメリットがあるスケールでの実験としては世界初です。今回用いたデータセットは簡単なものであったため、従来の機械学習手法に対する優位性は見られませんでしたが、他のグループの研究によると量子カーネル法を用いることで量子優位性が現れるデータセットの存在が指摘されており、今後このようなデータセットに対して量子機械学習における量子優位性の実証を進めていく予定です。
図2. 量子カーネル法のための量子回路とNMRパルス列
図3. 量子カーネル法による簡単な分類タスクの学習結果(〇が教師データ)
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
世界中で量子デバイスの開発や応用アルゴリズム開発が進む中、実際のハードウェアを使った量子機械学習の実証実験は、量子コンピュータのユースケース探索に重要な指針を与えるものと期待されます。
特記事項
本研究成果は、ネイチャー・パブリッシング・グループの科学雑誌「npg Quantum Information」に、日本時間6月8日(火)午後6時(英国時間6月8日午前10時)にオンライン公開されました。
タイトル:“Experimental quantum kernel trick with nuclear spins in a solid”
著者名:T. Kusumoto, K. Mitarai, K. Fujii, M. Kitagawa, and M. Negoro
なお、本研究は科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「スケーラブル分子スピン制御技術の高度化により可能になる量子情報処理の新機能」(課題番号:JPMJPR1666)、共創の場形成支援COI-NEXTプログラム「量子ソフトウェア研究拠点」、文科省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)研究課題名「知的量子設計による量子ソフトウェア研究開発と応用」(課題番号:JPMXS0120319794)、「量子コンピュータのための高速シミュレーション環境構築と量子ソフトウェア研究の展開」(課題番号:JPMXS0118067394)等の支援の下で行われました。
参考URL
根来誠 准教授研究者総覧 URL
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/6948d7e32bb00238.html
御手洗光祐 助教 研究者総覧 URL
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/465f2a64606deb0b.html
SDGs目標
用語説明
- QIQB
大阪大学量子情報・量子生命研究センター(Center for Quantum Information and Quantum Biology)の略称。量子コンピューティング、量子情報融合、量子情報デバイス、量子通信・セキュリティ、量子計測・センシング、量子生命科学の6つの研究グループから構成され、それぞれの分野の研究を発展させるとともに、これらの分野間および他の学問分野との学際融合研究を推進しています。 URL:http://qiqb.osaka-u.ac.jp/
- 量子コンピュータ
0と1のどちらかに確定したビットを使って計算を行う従来型コンピュータ (古典コンピュータ) に対して、0と1のどちらとも確定していない状態を取れる量子ビットを使って計算を行う計算機のこと。素因数分解や量子化学計算などの分野で、古典コンピュータよりも高速に計算を実行できることが知られている。
- 核スピン
原子の中心に存在する原子核は自転に相当する角運動量を持った磁石のように振る舞うが、これを核スピンと呼ぶ。核スピンが外部磁場の向きと平行な状態を0、反平行な状態を1とすれば、1つの核スピンを量子ビットとして扱える。
- 量子カーネル法
機械学習分野で広く使われており強力な手法であるカーネル法を、量子コンピュータを使った形式に書き換えたもの。カーネル法は、各データ点の間の距離を適切に定義し直すことで複雑な分類や回帰タスクを可能とする手法である。各データ点間の距離として、量子コンピュータでしか効率的に計算できないような量を使う手法を量子カーネル法と呼ぶ。
- 核磁気共鳴(NMR)
核スピンは外部磁場下で首ふり運動をしているが、この周波数に共鳴する電磁波を照射することによって状態を自由に操ることができる。この技術を核磁気共鳴と呼ぶ。