
単一量子ビット操作における 史上最も低いエラー率を達成
量子コンピュータの小型化・低コスト化・高効率化に向けて!
研究成果のポイント
- 量子コンピュータで必要となる単一量子ビット操作について、0.000015%(670万回に1回のエラー)という史上最も低いエラー率を達成。
- 実用的な量子コンピュータの実現に向けて、安定かつ高精度に量子ビットを制御する必要がある。
- 今回、寿命の長い量子状態を持つ⁴³Ca+イオンと、非常に安定して制御性の高いマイクロ波を用いることでエラー率を大幅に低減。
- 量子ビット制御を低い誤り確率で実行することで、量子コンピュータの小型化・低コスト化につながると期待される。
概要
大阪大学量子情報・量子生命研究センターの宮西孝一郎 講師とオックスフォード大学 David M. Lucas教授らの研究グループは、単一量子ビットの制御精度に関して新たな世界記録を達成しました。これは、0.000015%(670万回に1回のエラー)という、史上最も低いエラー率での1量子ビット操作です。
量子コンピュータで有用な計算を行うためには、多数の量子ビットにわたって数百万回の操作を実行する必要があります。つまり、量子ビット操作のエラー率が高いと、計算結果は意味をなさなくなります。量子誤り訂正を用いてエラーを修正することもできますが、これはより多くの量子ビットを必要とします。したがって、量子ビット操作のエラー率を極限まで低減することは、量子コンピュータの規模・コスト・性能のすべてに直結する重要な課題となっています。
今回研究グループは、RF電場によって捕獲された寿命の長い量子状態を持つカルシウムイオン(⁴³Ca+イオン)と、マイクロ波制御を利用することで、この高精度な1量子ビット制御を達成しました。
今回の成果を基にして、イオントラップ型誤り耐性量子コンピュータの実現に向けた進展が期待されます。
本研究成果は、米国物理学誌「Physical Review Letters」に、6月12日(木)に公開されました。
図1. 本研究で使われたトラップチップの実写真。イオン捕獲用のRF電場と制御用のマイクロ波が上下から印加されている。(Credit: Dr Jochen Wolf and Dr Tom Harty.)
研究の背景
量子コンピュータは、現在のコンピュータでは処理しきれない計算量の問題を高速に解くことができる、次世代の情報処理技術として世界中で研究開発が進められています。
量子コンピュータで実用的な量子計算を行うためには、多数の量子ビットに対して非常に高い精度で数百万回もの操作を行う必要があります。したがって、わずかなエラーが命取りとなり、計算を台無しにする可能性があります。こうしたエラーを補正するために、「量子誤り訂正」という手法があります。しかし、この手法にはエラー率に応じた膨大な数の量子ビットが必要であり、量子コンピュータの規模拡大や性能向上へのボトルネックとなっています。
したがって、基本的な量子ビット操作のエラー率を極限まで低減することは、量子コンピュータの規模・コスト・性能のすべてに直結する重要な課題となっています。
研究の内容
本研究は、イオントラップ中の単一⁴³Ca+イオンを用いて行われました。⁴³Ca+イオン中の超微細構造準位は、環境の変化の影響を受けにくく、非常に長く量子状態を保持することが可能です。また、従来のアプローチでは量子状態を制御するためにレーザーを用いますが、本研究ではレーザーよりも非常に安定性が高く安価に実装が可能な、マイクロ波を使って量子ビット操作を行いました。今回の実験は室温かつ磁気シールドなしという、量子コンピュータに必要な技術的要件を簡素化した状態で行われています。これまで最も良い1量子ビットのエラー率は、同じくオックスフォード大学のチームが2014年に達成したもので(T. P. Harty, et al. PRL 2014)、0.0001%(100万回に1回のエラー)でしたが、今回それより約1桁小さい誤り確率(0.000015%(670万回に1回のエラー))で、量子ゲートを実現しました。
本研究で達成した成果は大きなマイルストーンではあるものの、実用的な量子コンピュータに向けた一歩にすぎません。量子コンピュータには、1量子ビットゲートと2量子ビットゲートの両方が低い誤り確率で動作する必要があります。現在、2量子ビットゲートのエラー率は依然として高く、最高の誤り率でも約2000回に1回のエラーであるため、これをさらに低減することが誤り耐性量子計算機の実現に向けた鍵となります。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、量子誤り訂正に必要な量子ビットの数を大幅に削減できる可能性が示されました。これにより、大規模量子コンピュータの小型化・低コスト化・高効率化が期待されます。また、量子通信や量子センシングなど量子コンピュータ以外の量子技術にも応用可能な成果であることから、次世代の量子技術全体に広く貢献することが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2025年6月12日(木)に、米国科学誌「Physical Review Letters」に掲載されました。
タイトル:“Single-qubit gates with errors at the 10-7 level”
著者名:M. C. Smith, A. D. Leu, K. Miyanishi, M. F. Gely, and D. M. Lucas
DOI:https://doi.org/10.1103/42w2-6ccy
本研究は、the U.S. Army Research Office (ref. W911NF-18-1-0340)、the U.K. EPSRC Quantum Computing and Simulation Hub (ref. EP/T001062/1)、Balliol College, University of Oxford、Oxford Ionics Ltd.、科学技術振興機構(JST) 先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)(JPMJAP2319)、および 科学技術振興機構(JST) ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標6(JPMJMS2063)の支援により行われました。
参考URL
宮西孝一郎 講師 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/20431b4a70acb933.html
David M. Lucas教授
https://www.physics.ox.ac.uk/our-people/lucas
Oxford ion trap quantum computing グループ
https://www.physics.ox.ac.uk/research/group/ion-trap-quantum-computing
用語説明
- 量子コンピュータ
原子や電子などが従う量子力学の振る舞いを利用して計算を行うコンピュータ。従来のコンピュータでは解くのが困難であると考えられている、物質中の電子状態などのシミュレーションや、素因数分解などの問題を、量子コンピュータを使って高速に解くアルゴリズムが提案されている。実現に向けて、超伝導、中性原子、光、などの様々な方式で研究が行われている。
- 量子ビット
量子コンピュータの基本的な情報単位。0と1の状態を同時に持つ(重ね合わせ状態)という、量子力学に特有の性質を持つ。
- 量子誤り訂正
複数の量子ビットを組み合わせて1つの量子ビットを構成することで、誤りが起こってもそれを検出して訂正することで、正しい計算結果を保つ方法。
- イオントラップ
イオン化した原子を電場や磁場を使って真空中に補足する手法または装置。真空中に閉じ込めた複数のイオンを量子ビットとして使うことで、量子コンピュータに必要な量子操作が可能。
- 超微細構造準位
原子内部のエネルギー状態のうち、原子核と電子の相互作用によって生じる準位。