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量子コンピュータの実用化は2030年?

アルゴリズムが「夢のデバイス」を加速する

基礎工学研究科 准教授 御手洗光祐

量子コンピュータの計算能力がスーパーコンピュータを上回る「量子超越」を達成したとグーグル(Google)社が発表したのは2019年10月。あれから4年、量子コンピュータはどこまで成長したのか。若くして量子アルゴリズム研究の先端を走り、量子コンピュータの社会実装を見据えた大学発ベンチャー「株式会社QunaSys」(キュナシス)も立ち上げた御手洗光祐准教授は「世界中で模索が続く段階。ブレークスルーはまだない」と評する。御手洗准教授に量子コンピュータの現在地と、未来へのロードマップを聞いた。

量子コンピュータの実用化は2030年?

「富岳」に匹敵する?

御手洗准教授が藤井啓祐教授らとまとめた2018年の論文「Quantum circuit learning(QCL、量子回路学習)」はこれまでに世界中で数百件の論文で引用されている。

量子コンピュータの現在地について、御手洗准教授は「4PB」(ペタバイト)の数字を挙げる。1バイトの4000兆倍。50量子ビット(Qubit)の量子コンピュータをシミュレーションするために必要なメモリ(記憶装置)の容量だ。理化学研究所のスーパーコンピュータ「富岳」が搭載するメモリ容量に匹敵する。

一方、大阪大学が理研開発の量子チップを活用し23年中の試験環境構築を目指す国産量子コンピュータのサイズは64Qubit。1Qubitを上乗せするごとに性能は2倍になるので、見かけの数字では富岳のパワーを凌駕することになる。ただし、それは量子コンピュータが持つ「潜在能力」であって現在の実力を反映するものではない。

量子コンピュータは「重ね合わせ」と「もつれ」という量子特有の現象を活用することで、「0」と「1」の演算処理による従来のコンピュータ(古典コンピュータ)を超える膨大な情報処理を目指すもの。

量子コンピュータの実用化、大型化への大きな壁は、外界からの「ノイズ」で量子状態が安定せず、無視できない頻度でエラーが発生することだ。グーグルなどが採用する超伝導方式は、安定した状態を保つために極低温を作り出す冷却装置が必要だ。単に超伝導が発生する低温よりもさらに数桁低い極低温である必要があり、「ノイズ」をいかに小さくするかの苦心が続く。QCL論文はノイズの影響を前提にした小・中規模の量子デバイス「NISQ(Noisy Intermediate Scale Quantum)」専用の機械学習アルゴリズム。しかし実用面では足踏みが続く。御手洗准教授は「誤りの多いNISQでは限界がある。今までの枠組みとは違う方式が求められている」と解説する。

「ファンシー」な学部名に誘われ

御手洗准教授は中学生の頃、実家にあった「量子力学の冒険」を読み、量子の世界に強い興味を持った。高専卒業後、東大、京大ではなく阪大に進学したのは3年次から編入ができたことと、「基礎工学部という名前が、『理学部に片足を突っ込んでいるんじゃないか』と思えるファンシーな響きを持っていた」ことだった。

学部時代は古典物理の熱電変換に関する研究に没頭。大学院進学後は量子物理学の実験を繰り返す日々が待っていた。ちょうどグーグルが量子超越に本腰を入れ始めたと噂に上ろうとしていた時期。量子デバイスを活用した機械学習について、根来誠准教授や藤井教授(当時東大在籍)らが共同研究をしていたことから、量子コンピュータの最新情報に触れることもできた。

QCLは量子コンピュータと古典コンピュータを併用する「変分量子アルゴリズム」の中で機械学習を行う手法。藤井教授らとの議論の中で、当時大学院生だった御手洗准教授のアイデアが量子アルゴリズムの分野で影響力のある論文へと発展していった。

実用化へ。デバイスとアプリケーション開発を両輪で

藤井教授は2020年のインタビューで、量子コンピュータのデバイスの現在地を古典コンピュータの発展史になぞらえて、動作が不安定な「真空管レベル」と表現した。ではアプリケーションの現状はどうか。

古典コンピュータは高速で安定した動作環境と、「C」「Python」など人間の言葉に近い「高水準言語」が整備され、高度なアプリケーション開発が可能な環境にある。一方、量子コンピュータでは、デバイスと直接対話するかのように動きを一つ一つ制御する低水準な言語しか今はなく、御手洗准教授曰く「真空管を手でつないで動かしているレベル」だという。

デバイスの開発に加えて、アプリケーションの開発環境を進化させることが実用化には欠かせない。御手洗准教授が共同創業者となった「QunaSys」は国内外の研究者らが結集し2018年創業。量子コンピュータの社会実装に向けた準備作業や、例えば環境にやさしい窒素固定の新手法開発、創薬などに繋がる量子化学計算など、古典コンピュータでは困難とされる領域でのアルゴリズム、アプリケーションの開発、企業との共同研究などに着手している。

量子コンピュータの現状を考えれば、実現までには多くのステップを踏む必要がある。QunaSysが企業との協働を進める背景には、「量子コンピュータへの過度の期待を防ぎ、地に足をつけて進めることも狙い」と現実を見据える。

現在、研究者の間では、100万量子ビットが達成できれば、古典コンピュータに対する「量子アドバンテージ」が獲得できるという共通認識が出来上がりつつあるという。1量子ビットに対して1000量子ビットが誤り訂正のために機能すれば、エラー発生率を実用計算が十分可能な小ささに留められるとみている。

グーグルは2030年には十分な誤り耐性を持った量子デバイスが登場すると予言。「その時すぐに、自分が開発したアプリケーションを動かせるようにしておきたい」と御手洗准教授。誰もたどり着いたことのない場所へ、現実と理論との間を往来しながらの挑戦が続く。

御手洗准教授にとって研究とは?

見たことがない景色を眺めること。 登山と似て、初めての景色に出会える。 行き詰まれば進むルートを変えればいい。 頂上から振り返った時の達成感が心地いい。

◆プロフィール
2020年3月、大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。博士(工学)。20年4月から同研究科助教。23年9月から現職。21年、MIT technology review Innovators Under 35 Japan受賞。22年、米フォーブズ誌「Forbes 30 Under 30 Asia」選出。

■参考URL

基礎工学研究科

https://www.es.osaka-u.ac.jp/ja/

(本記事は、2023年9月発行の大阪大学NewsLetter89号に掲載されたものです。

(2023年7月取材)