自然科学系

2018年5月23日

研究成果のポイント

・新開発した波長変換器※1により、トラップイオン※2からの単一光子を光ファイバーで10km配送することに成功
・これまではトラップイオンは光ファイバー通信波長と適合せず、光子損失が非常に大きく長距離通信できないことが課題だったが、波長変換により光子損失を大幅に低減
・長距離セキュリティ通信を含めた量子情報通信へのトラップイオンの利用に期待

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科の山本俊准教授および生田力三助教らの研究グループは、大阪大学井元信之名誉教授、情報通信研究機構(NICT)量子ICT先端開発センター早坂和弘研究マネージャーおよび英サセックス大学のマティアス・ケラー教授らと共にトラップされた単一イオンからの光子を光ファイバーで長距離に送信することに世界で初めて成功しました。

強力な計算機からの攻撃に対しても解読されることのないセキュリティ通信を提供する量子暗号※3は、光子の損失による通信距離の限界が課題となっていました。この損失を軽減し、効率的な長距離通信を行うには、光ファイバー通信網に量子力学的な情報処理を行う量子中継器※4を設置する必要があります。トラップイオンはこの量子中継を担うことができる演算装置の候補ですが、光子でアクセス可能な光の波長が光ファイバー通信に適合しないため、長距離量子情報通信での利用が困難でした。

本研究グループは、単一イオンからの単一光子を、新しく開発した波長変換器によって光ファイバー通信波長に変換することで、効率的に単一光子を長距離光ファイバーで送信できることを明らかにしました。

この波長変換器を利用することで、単一イオンを利用した長距離量子ネットワークの実現に向けた量子メモリ※5や量子中継器の開発に役立つことが期待されます。

本研究成果は、2018年5月15日(火)に米国科学誌「Physical Review Letters」(オンライン)に掲載されました。

図1 トラップイオンからの光子の波長変換および送信

研究の背景

現在の暗号通信は計算機の能力が飛躍的に向上した場合に、セキュリティを確保できるかが明確ではありません。一方、量子暗号通信は任意の計算機に対するセキュリティを可能にすることがわかっています。しかし、光ファイバー通信を利用して長距離で実現するためには、技術的に克服しなければならない課題が存在します。特に、量子情報のキャリアである光子のファイバーでの損失を低減することは重要です。現在の通信で使われる中継器では量子情報が壊れてしまうために、量子力学の原理で動作する量子中継器が必要となります。いくつかの方式がありますが、どの方式でも光子の量子情報を壊さずに損失を検知する量子演算が重要になります。トラップされたイオンは量子コンピューター※6を実現する演算が全て可能な量子情報処理媒体の一つであり、光の量子状態を読み書きして記憶し、量子演算をすることで、量子中継に必要な処理を実現できます。しかし、これまで実現しているトラップイオンは光ファイバー通信波長の光を読み書きできるものではありませんでした。

今回の研究

山本俊准教授らのグループと情報通信研究機構(NICT)早坂和弘研究マネージャーらのグループは、カルシウムイオンの共鳴波長である866nmの光子を光ファイバー通信波長である1550nm帯へ変換する高効率で低雑音の波長変換器を実現しました。これにより、従来問題となっていた波長ギャップを埋めることが可能になり、カルシウムイオンに対して通信波長の光子を読み書きすることが可能になります。この単一光子波長変換器を英サセックス大学の光共振器結合したカルシウムイオントラップに組み込むことで、カルシウムイオンからの単一光子を通信波長帯(1550nm帯)へ変換する実験に成功しました。866nmでは10kmも進むと1000分の1の光子しか残らないのに対して、1550nm帯では約15kmまで半分の光子が残ります。

この波長変換による損失低減によって、トラップイオンでは世界初となる10kmの単一光子ファイバー通信を実現しました。変換効率を加味しても、866nmの単一光子の直接送信を十分に超える効率となり、波長変換器の優位性が明確に示される結果となりました。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、トラップされたカルシウムイオンが光ファイバー通信波長の光子によりアクセス可能であることを示すことができました。開発した波長変換器を更に改良することで、カルシウムイオンと量子もつれ※7にある光子を光ファイバー通信波長に変換し、量子ネットワークを形成することが考えられます。更にカルシウムイオンを演算装置として、光の量子状態を操作する量子情報処理を行うことができるようになれば、長距離量子暗号通信を可能にする量子中継の実現が期待できます。

特記事項

本研究成果は、2018年5月15日(火)に米国科学誌「Physical Review Letters」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Long-distance single photon transmission from a trapped ion via quantum frequency conversion”
著者名:Thomas Walker, Koichiro Miyanishi, Rikizo Ikuta, Hiroki Takahashi, Samir Vartabi Kashanian, Yoshiaki Tsujimoto, Kazuhiro Hayasaka, Takashi Yamamoto, Nobuyuki Imoto and Matthias Keller
DOI:10.1103/PhysRevLett.120.203601

なお、本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出」研究領域における研究課題「グローバル量子ネットワーク」(研究代表者:井元信之)および研究課題「オンチップ・イオントラップによる量子システム集積化」(研究代表者:田中歌子)の一環として行われました。また、本研究は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(A)、基盤研究(B)、新学術領域研究、国際共同研究強化、二国間交流事業および大阪大学大学院基礎工学研究科附属未来研究推進センターの支援により行われました。

用語説明

※1 波長変換器
和・差周波発生といった非線形光学効果を利用した波長(周波数)変換器。量子状態を壊さない高性能な単一光子波長変換のためには、わずか光子1個分の雑音さえ許さないクリーンな波長変換技術が求められます。

※2 トラップイオン
イオン化した原子を真空中に捕捉したもの。単一のトラップイオンを並べることで、量子コンピューターに必要なすべての演算をすることが可能であることが示されており、量子コンピューター実現のための要素技術となっています。トラップイオンとして用いられる原子種は多くないため、量子状態を読み書きできる光の波長が限られています。

※3 量子暗号
「量子力学的信号は傷つけずに覗くことができない」という原理を用いて、送られた乱数表についた傷はすべて盗聴行為によるものと仮定し、乱数表を縮めて傷を直したものを秘密鍵暗号の鍵とする暗号方式。量子暗号は量子コンピューターができても破られません。

※4 量子中継器
離れた中継点にある量子メモリ間に蓄積された量子もつれを利用し、量子テレポーテーションを行うことで長距離量子通信を可能にする量子通信手法。光子の直接送信では送信距離に対して指数関数的に受信効率が減少しますが、中継点間に蓄積された量子もつれを利用することでこの受信効率の減少を大幅に改善することができ、1000kmを超える量子情報通信が可能になると考えられています。

※5 量子メモリ
現在の情報処理では「0」と「1」の2文字(ビットといいます)で計算や通信を行っていますが、量子情報処理は「0」と「1」の重ね合わせ状態も使います(量子ビットといいます)。現在のコンピューターで使われているメモリでは、ビットは記憶できますが量子ビットを記憶できません。量子ビットを記憶する装置を量子メモリと呼びます。

※6 量子コンピューター
量子もつれ状態にある量子ビットを使うと、莫大な数の事象や処理を現実的な数の量子ビットで表すことができます。これを利用して複雑な計算を並列処理するのが量子コンピューターです。ある種の問題を解く際に、原理的に従来のコンピューターをはるかにしのぐ性能が得られます。

※7 量子もつれ
複数量子ビット間の量子力学的な相関で、エンタングルメント(entanglement)の和訳。例えば、量子もつれ状態にある2つの光子の場合、片方の状態が決まると、もう一方の状態もそれに応じて決まり、その関係は光子間の距離に依存しないといった特異な性質があります。量子情報処理において、情報伝達、高速演算、セキュリティなど、ほぼすべての応用においてリソースとしての重要な役割を果たしています。

参考URL

大阪大学 大学院基礎工学研究科 物質創成専攻 物性物理工学領域
http://qi.mp.es.osaka-u.ac.jp/main/

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