
セミクラスレートハイドレートの非古典的分解過程の発見
潜熱蓄熱材の設計に新指針
研究成果のポイント
- 液中透過電子顕微鏡を用いて、セミクラスレートハイドレートの分解過程のその場観察に成功。
- 多数のかご状構造から成るクラスターの脱離によって進む非古典的な結晶の分解過程を発見。
- 効率的な潜熱蓄熱材の設計に新たな指針を与える成果。
概要
北海道大学低温科学研究所の木村勇気教授、パナソニック株式会社の町田博宣博士、大阪大学大学院基礎工学研究科の菅原 武助教らを中心とした研究グループは、透過電子顕微鏡内で液体試料を観察できる手法を用いて、セミクラスレートハイドレートの微結晶が分解する過程をその場観察する実験に成功しました。これまで、セミクラスレートハイドレートが複数集まったクラスターを成長ユニットとした結晶化の存在は示唆されていましたが、直接的な証拠や、具体的な結晶化過程については分かっていませんでした。
セミクラスレートハイドレートは、結晶化や分解などの相変化によって生じる潜熱を取り出してエネルギーとして利用できる材料(潜熱蓄熱材)として期待されています。その結晶化と分解過程の理解は、より高効率な潜熱蓄熱材の設計につながると期待されます。
なお、本研究成果は、2025年3月9日(日)公開の国際科学誌ACS Applied Nano Materialsにオンライン掲載されました。
潜熱蓄熱材であるセミクラスレートハイドレートの単結晶表面で、結晶がクラスター単位で分解する非古典的な相転移モデルを、透過電子顕微鏡を用いたその場観察により確認した様子を示すイメージ図。掲載誌の表紙に選定された。
研究の背景
結晶化は、古典的には積み木を積む模型で説明されてきました。すなわち、原子や分子が一つのブロック(成長単位)として次々と結晶に取り込まれるモデルです。一方、近年は多数の原子や分子が集まったクラスターが結晶表面に到達して取り込まれる、クラスターを成長単位とした非古典的な結晶化過程が様々な系で報告されています。これに対して、クラスレートハイドレートの結晶化や溶解において、非古典的なプロセスの寄与についての理解は限定的です。クラスレートハイドレートの相変化では、一般的な結晶とは異なり、結晶表面でかご状構造が生成・分解します。さらに、クラスレートハイドレートが分解した後の再結晶化は容易であることが知られており、この現象はメモリー効果と呼ばれています。このメモリー効果は、結晶がクラスターを単位として分解することで生じる可能性があります。
潜熱蓄熱材料は、相変化によって生じる潜熱をエネルギーとして取り出すことができる材料です。ここで、結晶化のために大きな過冷却が必要な場合、追加の冷却エネルギーが必要となり、効率が低下します。そのため、潜熱蓄熱材の設計において、非古典的な結晶化の役割を理解することは、効率的な材料開発の重要なマイルストーンになります。そこで本研究では、潜熱蓄熱材であるフッ化テトラ-n-ブチルアンモニウム(TBAF)セミクラスレートハイドレート(SCH)の単結晶の分解過程を、液体セルを用いた透過電子顕微鏡(LC-TEM)によるその場観察で直接可視化しました。
研究の内容
【研究手法】
TBAF SCHの微結晶を15±3℃で作製した後に、20℃で採取して液体セルに封入しました。液体セルは、電子線が透過できる50 nm厚の非晶質窒化シリコンを窓(550 μm×50 μm)に持つ、シリコン製の板二枚の間に液体試料を封入することで作製します(図1)。この二枚の板の間には、液体試料の厚みを制御するために500 nmのスペーサーが用意されています。この液体セルを透過電子顕微鏡(JEM-2100F、加速電圧 200 kV)にセットし、分解過程を撮影しました。
TBAF SCH結晶の分解温度は約27.8℃であり、結晶化と分解を制御するためには温度の正確な制御が必要となります。そこで、本実験では、温度の代わりに電子線による放射線分解を利用して飽和度を変化させることでSCHの微結晶を分解させました。この電子線の照射量を制御するために、高周波パルス電子線を供給できる静電型線量変調器を使用しました。実験には、周期2.0ミリ秒、パルス幅0.4ミリ秒のパルス条件を選択しました。小さなTBAF SCH単結晶を探し、この結晶と周囲の溶液を電子線で照射することで、徐々に結晶を分解させ、その過程を観察しました。実験中の温度は20℃で一定に保ちました。
【研究成果】
TEM観察により、10-30 nmサイズのモアレパターンの生成と消失を繰り返しながら進行するTBAF SCH単結晶の分解過程を可視化することに成功しました(図2)。このモアレパターンの出現は、母結晶の表面に、母結晶とは格子間隔がわずかに異なる中間相が形成することで説明できます。観察されたモアレパターンの持続性と空間的な均一性は、中間相が厚み方向に一様な結晶構造を維持していることを示しています。このような挙動は、相転移過程における準安定結晶相が出現する際に幅広く観察されています。さらに、単結晶周囲にもモアレパターンと同様の10-30 nmサイズのクラスターが観察されており、モアレパターンの形成とクラスターを伴った分解プロセスとの間に直接的な相関関係があることを示唆しています。このクラスターは、TBAF SCH結晶の再結晶化が容易になる現象、いわゆるメモリー効果の起点であると考えられます。クラスターの形成に関する本知見は、今後冷却エネルギーを低減した効率的な潜熱蓄熱技術の開発につながることが期待される成果です。
図1. 液中透過電子顕微鏡法によるセミクラスレートハイドレートの分解過程の様子を示した模式図。液体試料は、非晶質窒化シリコンの隔膜によって透過電子顕微鏡の鏡筒内の真空環境と隔離されている。電子線が二枚の非晶質窒化シリコン膜と液体を透過することで、試料を観察できる。四角い箱はセミクラスレートハイドレートの結晶。その表面20-30 nmの領域の結晶構造が準安定構造に変化する(箱の上の複数の青丸の領域)。右下の電子顕微鏡像は、母体のセミクラスレートハイドレート結晶と、準安定結晶によって生じたモアレパターンを示している。その後、20-30 nmの領域はそのままクラスターとして分解し、液中に拡散する。
図2. 電子線照射下におけるTBAF SCH単結晶の分解過程。(A-J)時間経過に伴う明視野TEM画像。二重丸印はモアレパターンを示し、同じ色は、同一のモアレパターンに対応。白い破線円は、個別に追跡できなかったモアレパターン。挿入図(i、iii、iv、vii、x)は、左上隅の円とオレンジ色の矢印で示された選択領域から撮影した高速フーリエ変換像。挿入図(ii、xi)は、結晶の中心部分から撮影した電子回折図形。挿入図(v、vi、viii、ix)は、左上隅の円とオレンジ色の矢印で示した領域の拡大像。
今後への期待
ハイドレートの相変化プロセスの理解は、純粋に科学的に重要であるだけでなく、高効率の潜熱蓄熱材料の開発やメタンハイドレートなどの資源利用にも大きな波及効果をもたらすことが期待されます。さらに、非古典的な「クラスター単位」の溶解プロセスの理解は、医薬品、化学製品、食品、先端材料(ナノ材料や生体材料など)、電子デバイスなど、様々な化学工学分野における相変化を利用する技術の発展に直結します。
特記事項
【論文情報】
論文名:Transmission Electron Microscopy Imaging of Cluster Unit Dissolution from a Single Crystal of Tetra‑n‑butylammonium Fluoride Semiclathrate Hydrate for Latent-Heat Storage Material(潜熱蓄熱材料のためのフッ化テトラ-n-ブチルアンモニウムセミクラスレートハイドレート単結晶からのクラスターユニット溶解の透過電子顕微鏡イメージング)
著者名:町田博宣1、菅原 武2、畑 秀樹3、上田友彦3、山﨑智也4、木村勇気4(1パナソニック株式会社、2大阪大学大学院基礎工学研究科、3パナソニックホールディングス株式会社、4北海道大学低温科学研究所)
雑誌名:ACS Applied Nano Materials(ナノマテリアルに関する専門誌)
DOI:10.1021/acsanm.4c06819
公表日:2025年3月9日(日)(オンライン公開)
本研究は産業技術総合開発機構(NEDO)の委託業務JPNP15007とJSPS科研費JP15H05731、JP20H05657の助成を受けたものです。
用語説明
- セミクラスレートハイドレート
水分子が水素結合で形成する“かご状構造”にゲスト分子を内包し、そのゲスト分子が“かご状構造”の水素結合ネットワークに参加する水和物のこと。クラスレートハイドレートは水分子だけで“かご状構造”を形成するが、セミクラスレートハイドレートは水分子に加えてゲスト分子も“かご状構造”の一部を担う。ここでのゲスト分子は、フッ化テトラ-n-ブチルアンモニウム。
- クラスレートハイドレート
水分子が水素結合で形成する“かご状構造”内にゲスト分子が閉じ込められている水和物のこと。
- モアレパターン
二つの異なる周期的なパターンが重なり合うことで生じる干渉模様のこと。