眼の光センサー細胞におけるエピジェネティックな遺伝子発現機構を解明

眼の光センサー細胞におけるエピジェネティックな遺伝子発現機構を解明

網膜の視細胞のアイデンティティーを作り出す仕組みを発見

2017-9-12生命科学・医学系

研究成果のポイント

・網膜の視細胞のアイデンティティーがエピジェネティックに制御されていることを発見。
・脳や網膜の神経細胞の終末分化がエピジェネティックに制御されているかどうかは、これまであまりよく分かっていなかった。
・夜盲などの網膜の機能低下のメカニズム解明や網膜再生医療研究の基盤となる成果。

概要

大阪大学蛋白質研究所の大森義裕准教授、久保竣(大学院生)及び古川貴久教授の研究チームは、名古屋大学、理化学研究所との共同研究で、眼の網膜にある光センサー細胞(網膜視細胞)におけるエピジェネティックな制御の仕組みを解明し、神経発生における重要性を明らかにしました。

脳や網膜の神経細胞の終末分化がエピジェネティックに制御されているかどうかは、これまであまりよく分かっていませんでした。そこで、大森准教授らの研究グループは、桿体(かんたい)視細胞に発現するSamd7(サムディーセブン)という蛋白質が、その構造からエピジェネティックな制御に関わっている可能性があると注目しました。Samd7のノックアウトマウスを作製し解析したところ、Samd7ノックアウトマウスの眼の網膜では、本来、桿体視細胞ではまったく発現しない青色オプシンが強く発現しており、逆に、もとから桿体視細胞にある桿体オプシンの量が半減していることがわかりました (図1) 。

神経細胞のアイデンティティー形成にエピジェネティック制御が重要であることがノックアウトマウスを用いた研究で明らかとなりました。この成果は、網膜視細胞や神経細胞のアイデンティティー形成の仕組みを理解する上で大きな前進となるものです。

本研究成果は、2017年9月12日(火)午前4時(日本時間)に科学誌「米国アカデミー紀要 Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)」に公開されました。

図1 Samd7欠損マウスでは桿体視細胞のアイデンティティーが変化し視細胞の機能が低下する。
Samd7欠損マウスの眼の光センサー細胞(桿体視細胞)では青色オプシンが異常に存在し、桿体オプシンが半減し、視細胞の機能が低下する。大森准教授らの研究グループは、Samd7がオプシンのエピジェネティックな制御を行うことを発見した。

研究の背景

ヒトを含む脊椎動物の眼の網膜には視細胞と呼ばれる光センサー細胞があります。ヒトの場合、赤色・青色・緑色の色を見分ける錐体視細胞と、明暗を見分ける桿体視細胞があります。発生過程において、赤色・青色・緑色の錐体視細胞と桿体視細胞のそれぞれには波長特性が異なるオプシン と呼ばれる光センサーたんぱく質が発現して最終的な細胞分化が完成することが知られています。例えば、赤色錐体視細胞には赤色オプシンのみが発現し、桿体視細胞には桿体オプシンのみが発現します。オプシン以外にも、錐体視細胞と桿体視細胞ではそれぞれ錐体型、桿体型の多くの異なる光受容たんぱく質が発現していますが、このような視細胞のアイデンティティーを確立する仕組みは十分に解明されていませんでした。

研究の内容

今回、大森准教授らの研究グループは、桿体視細胞においてオプシンをはじめとする様々な遺伝子がエピジェネティックな制御を受けて視細胞のアイデンティティーを確立することを明らかにしました。

エピジェネティック制御とはDNAの配列変化によらない遺伝子発現の制御・伝達機構のことで、多細胞生物の発生・分化や癌、精神疾患など疾患発症とも深い関わりがあり、近年、環境と生物の関わりを制御する仕組みとして注目されています。

本研究において、大森准教授らの研究グループは、桿体視細胞に発現するSamd7(サムディーセブン)という蛋白質が、その構造からエピジェネティックな制御に関わっている可能性があると注目しました。Samd7のノックアウトマウスを作製し解析したところ、Samd7ノックアウトマウスの眼の網膜では、本来、桿体視細胞ではまったく発現しない青色オプシンが強く発現しており (図2) 、逆に、もとから桿体視細胞にある桿体オプシンの量が半減していることがわかりました。そのため、Samd7ノックアウトマウスでは桿体視細胞の機能が低下していることが明らかとなりました (図3) 。ヒトでは夜盲と呼ばれる暗い場所で物が見えにくくなる視覚障害が知られていますが、Samd7ノックアウトマウスは夜盲に近い症状をもつと考えられます。

Samd7と結合する蛋白質の探索から、ポリコーム抑制複合体 と呼ばれるエピジェネティックな制御因子がSamd7と結合することがわかりました。Samd7はポリコーム抑制複合体を介して、ヒストンのメチル化とユビキチン化を制御し、青色オプシンの他にも少なくとも約400個の遺伝子を制御していることがわかり、Samd7が桿体視細胞のアイデンティティーの確立に必須の役割を果たすことが証明されました (図4) 。

図2 Samd7欠損マウスでは青色オプシンが桿体視細胞に異常に発現する。
野生型およびSamd7欠損マウスの視細胞に存在する青色オプシン蛋白質を蛍光で染色した。野生型では錐体視細胞にしか存在しない青色オプシンがSamd7欠損マウスでは桿体視細胞においても異常に発現することが確認された。

図3 Samd7 欠損マウスでは視細胞の機能が低下する。
マウスに暗闇の中で光を当て、その電気的反応を記録した(網膜電図)。Samd7欠損マウスでは神経細胞の反応が弱く視細胞の機能が低下していることがわかる。

図4 Samd7は桿体視細胞においてエピジェネティックな遺伝子制御を行う
Samd7が青色オプシン遺伝子を制御する仕組み。Samd7は桿体視細胞の核の中でポリコーム抑制複合体(エピジェネティック因子)と結合し、染色体上のDNAを巻き付けているヒストンと呼ばれる蛋白質を修飾することで青色オプシンの遺伝子のスイッチをOFFにする役割を持つことが解明された。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

今回の成果は、今まで明らかでなかった桿体視細胞のエピジェネティックな遺伝子制御機構を解明したことによって、視細胞のアイデンティティー確立の仕組みの理解につながるものです。視細胞分化のメカニズムをエピジェネティックな観点から解明した初めての研究であり、夜盲などの網膜の機能低下のメカニズム解明や網膜再生医療研究の基盤となると考えられます。

特記事項

本研究成果は、2017年9月12日(火)午前4時(日本時間)に科学誌「米国アカデミー紀要 Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)」に公開されました。

タイトル:“Samd7 is a cell type-specific PRC1 component essential for establishing retinal rod photoreceptor identity”
著者名:Yoshihiro Omori, Shun Kubo, Tetsuo Kon, Mayu Furuhashi, Hirotaka Narita, Taro Kominami, Akiko Ueno, Ryotaro Tsutsumi, Taro Chaya, Haruka Yamamoto, Isao Suetake, Shinji Ueno, Haruhiko Koseki, Atsushi Nakagawa, and Takahisa Furukawa

なお、本研究は、科学技術振興機構により、助成を受けたものです。

参考URL

大阪大学 蛋白質研究所 蛋白質高次機能学研究部門 分子発生学研究室
http://www.protein.osaka-u.ac.jp/furukawa_lab/index.html

用語説明

オプシン

青色錐体視細胞には青色オプシン、赤色錐体視細胞には赤色オプシン、緑色錐体視細胞には緑色オプシン、桿体視細胞には桿体オプシンのみが発現しており、これらのオプシンの発現は厳密に制御されている。

ポリコーム抑制複合体

ポリコーム抑制複合体RC(polycomb repressive complex)は2つの複合体PRC1,PRC2から成り、ヒストンのメチル化やユビキチン化といったヒストン修飾を制御することで、遺伝子発現の制御を行うエピジェネティック因子である。