人工知能をコンピュータから解き放つ
あふれる好奇心 独創性のトライアル
理学研究科 教授 赤井恵
ChatGPTに代表される生成AI(人工知能)の台頭で、AIは我々の生活により身近なものになった。むしろ、AIがなければ生活に支障を来しかねない時代になったと言えるかもしれない。しかし、現在のAIはコンピュータの中でしか機能しない性質を持つ。赤井恵 教授は、コンピュータの次の世代として、日常にあるリアルな物質にAIの能力を持たせるための独創的な研究を続けている。いわば「AIをコンピュータから解放する試み」の現在地について尋ねた。
ポリマーの3次元配線に成功
赤井教授らの研究グループは2023年6月、ドイツの科学誌に論文を発表した。その報道資料は「導電性ポリマー立体配線で脳型コンピュータの実現へ一歩」とうたう。
導電性ポリマーは、透明なのに電気を通す高分子の有機化合物で、タッチパネルなどに使われる。研究では、電解質溶液中で導電性ポリマーを電極間の配線に用い、電気的な刺激を与えることで、ポリマーの分子細線が3次元的に伸びることを確認した。肝要なのは「3次元」という点だ。「まだ誰もやったことがありませんから」。
赤井教授によると、コンピュータのCPU(中央演算処理装置)に使われ、ナノ(10億分の1)メートルレベルまで微細加工技術が進んだ半導体でも、現状では2次元、つまり平面でしか配線できない。
「もともと脳の中は3次元で配線され、空間を電気信号が行き来しています。しかし、3次元で配線する技術は、我々のテクノロジーにはまだありません。2次元から1次元上がるだけで、全く違うオーダーの配線が可能になります」。
3次元に配線できれば、「非常に複雑な計算を解く人工知能的な構造に近づくのでは」と赤井教授は考える。それが意味するものは「今までにない素材を使って小型の人工脳ができる可能性を示した」ということだ。
AIの「物理化」の試み
赤井教授は「コンピュータ以外のものでAIをつくる」ことを目標としている。
AIは人間の脳の神経回路を模した「ニューラルネットワーク」の技術を基本とし、コンピュータのソフトウエア上で動く。「人間の脳に比べ、コンピュータは計算のたびに全体に電気を流す必要があり、スピードは速くても膨大な電力を消費します」。加えて、通信ネットワークなしでは機能しない。「コンピュータをどんなに小型化しても、その課題から脱せないのなら、次の世代の何かがあるべき。コンピュータを使わずに計算や判断ができるものをつくりたい」と考えるに至った。
21年末に発表した研究も、目標は通底する。そこでは、固体物質ではなく、水溶液内の電気化学電流が、「リザバー計算」という情報処理能力を示すことを明らかにした。これは、ニューラルネットワークの一種で、物体そのものが計算能力を有する計算法のこと。「リザバー」は貯水池を意味し、情報がさざ波のように干渉する様子から名付けられた。「川のせせらぎは、重力や反発力を受けて極めて複雑な動きをしています。その動きを数式に置き換え、実際に水面を使って計算する研究もあります」。
身近にある物質を使って計算や情報処理をする「AIの物理化」の試みは、世界的に認知が進み、研究も盛んになってきたという。例えば、赤井教授の共同研究者は、動きが複雑なタコの足を計算に使う。赤井教授自身はイオン、有機物の可能性を探っている。「生活に身近な水やイオン、有機物などによる人工知能デバイスができる未来がきっと来ると信じています」。
本に書いていないことを
赤井教授の独創的な姿勢は、どう培われたのか。
子どもの頃から本が好きで読みあさった。大学の先生を志望したのも「一生、本を読んで暮らせると思ったから」と冗談めかして言う。研究者になり、ユニークで業績も出す仲間と接するうちに、「あ、荒唐無稽だと思われてもいいんだ」と挑戦に戸惑いがなくなった。すでにわかっていることではなく「本に書いていないこと、自分の好きなことをやろう」と決めた。
「教科書に書いてある研究を深める道もあります。でも私は、目標が遠くてもいいから、応用される世界が見えていて、オリジナリティーのある研究の方が性に合うかな」。
学生にも「教科書を信じすぎるな」と伝える。いつの時代でも絶対の真理はなく、研究が進み新しい発見があれば、将来覆される可能性を含む。だから、教科書に書かれていることに満足せず、好きなこと、新しいことに自分が納得するまで挑んでほしいと願う。
冒頭のポリマーの3次元配線に成功したことで、赤井教授は次の段階に進もうとしている。「職人の技術や状況判断など、数値化するのが難しい、いわゆる『第六感』のような複雑な数式を解ける」能力、言い換えればリザバー計算の能力を持たせることだ。
さらにその先は、ポリマーなどの有機物を使って、AIの入った小さなチップを実現したい、と夢を描く。コンピュータのようにCPUを使わず、特定の機能に特化した、いわば「分業制」のデバイスだ。「例えばチップを木に貼り、病気になったらアラートが鳴るようにする。木の声が聞けるようになればいいですね」。そんなチップが社会のあちこちに散らばり、それぞれの役目を果たす世界。
「将来そういう社会が来た時、最初に自分たちのこんなトライアルがあった、ということが残っているといいな」。来たるべき開花を信じ、基礎研究に勤しむ。
赤井教授にとって研究とは?
好奇心ですね。「博士とは、キュリオシティ(好奇心)の先駆者としての称号」という言葉が好きです。好奇心を生まれ持ち、それを抑えられない人たちが研究を続けているのだと思っています。
◆プロフィール
1997年大阪大学大学院理学研究科博士課程修了。博士(理学)。2007年同大工学研究科助教。15年科学技術振興機構CREST・さきがけ複合領域研究員を経て、20年9月から北海道大学大学院情報科学研究院教授。21年から現職。
■参考URL
大阪大学理学研究科
(本記事は、2023年9月発行の大阪大学NewsLetter89号に掲載されたものです。
(2023年7月取材)