究みのStoryZ

空間に秘められた記憶や想いが、社会の「豊かさ」を創造する。

人文学研究科 教授 桑木野幸司

空間に秘められた記憶や想いが、社会の「豊かさ」を創造する。

場に蓄積されたコンテンツから、「空間史」を読み解く。

 ヨーロッパのルネサンス建築研究。そう聞くと設計やデザインの分析、歴史の読み解きといった手法が思い浮かぶでしょうか。私が行っているのはそういった視点とは異なる、「空間史」の研究です。建物や庭園は設計や意匠といった「外側の表情」をもちろん持っていますが、ただの箱としてのみ造られ、存在してきたわけではありません。空間に備わっている、もうひとつの表情。それは暮らしや活動、展示を包む「コンテンツの器」としての機能です。当時、どのような思想や知識がその場所に配され、人々はそこから何を得ていたのか。空間のメディア機能を理解し、場が語る物語を紐解くことが私の研究目的です。

 かつてのヨーロッパでは、建物や庭をメディアとして機能させることが普及していて、建物/庭の設計士らは、何をどの順序で配置すれば自分たちの考えを体系的に伝えられるかを緻密に計算していました。天動説になぞらえた庭園を同心円上に展開させることで宇宙観を表現したり、進むほどに高度な情報がインプットされる学びの場を設計したり。歩いていくことで、小説や百科事典のページをめくるかのような空間をデザインしていました。

 もちろん現代に至るまでの数百年の間に、そういった空間も大きく変貌しています。建物は現存しているが展示物は失われてしまった博物館、庭としての面影はあるが植生が全く変わってしまった庭園……。時代の流れの中で失われてしまったコンテンツ、破られたページを埋める過程が、研究の難しさであり、楽しさです。コンテンツの「空白部分」を知るためには設計資料だけではなく、当時の哲学、文学、医学(記憶学)、植物学にまで領域を拡大して情報を収集しなければなりません。コンテンツを読み解くためのリテラシーを獲得して初めて、ページを復元する作業が可能になります。現存しない空間の周辺を探索し、外側から輪郭を明らかにしていく。この手法を使って、完全に失われてしまった建築物、実現しなかった建築計画など、実際には存在しないバーチャル空間さえも研究対象としています。

頭の中のバーチャル空間で、知識を保存・管理する「記憶術」。

 バーチャルな建築に込められたコンテンツを読み解くという視点を発展的に用い、15-17世紀に流行した「記憶術」の研究も行っています。記憶術とは、紙が普及しておらず記憶を外部化することが難しかった、古代ギリシアやローマで生まれた技術。当時の知識人は、この技術を使って台本を一切見ることなく、何時間にも及ぶ演説をたやすく行っていました。

 記憶術のカギとなるのは、頭の中にイメージした「器となる空間」です。記憶術の使い手は、まず建物や街を頭の中に設計し、記憶したい知識をヴィジュアル化して特定の場所に配置。そのバーチャル空間を精神の目で歩きまわって、自由に知識にアクセスしていました。17世紀を過ぎて紙が安価に製造され、印刷本による情報管理が普及するようになると、記憶術は徐々に衰退し、「記憶は外部化するもの」という認識が広がっていきます。

 しかし私は、15-17世紀とは比べ物にならないほどの情報が溢れ、なおかつインターネットを介してそれらの情報に指一本でアクセスできる現代においても、「空間に配されたコンテンツとしての記憶」に価値を見出しています。私たちは外部化された記憶に、その都度「点的」にしか触れられません。一方、空間メディアから偶発的に得られる知識や、記憶術を用いて蓄積された情報は多様に連なり、相互に干渉し合う「線的/面的/立体的」なつながりを持っています。情報が関わり合い化学反応を起こすからこそ、人間はクリエイティビティを発揮できる。そういった観点から、自分の中にある器に記憶を蓄積することや、空間に付与されたコンテンツを享受することが、創造性や豊かさの実現につながると考えています。

現代に豊かさをもたらす、空間のあり方、関わり方。

 情報がスタンドアローンな状態で外部化されていること。スクラップアンドビルドで画一的な街並みが生まれては消え、空間に記憶の蓄積が起きにくくなっていること。こういった背景を受け、現在、日本の空間は少しずつ貧しくなっていっていると感じます。建物や街が無機質な器になり、人が記憶や想いを込めづらくなっているのです。

 この状況を変え、「豊かな空間」を得るためには何が必要なのか。そのためにはまず、過去の物語を未来に伝える空間を守ることが大切です。単純に歴史的な建造物・空間を保存せよ、という意味ではありません。博物館の展示品のように空間を人々から隔離してしまっては、新たな記憶や感情の蓄積も、そこに触れた人が何かを得る体験も生まれないからです。そうではなく、生活の中に根ざした建物や庭園などの空間が世代を超えて受け継がれ、コンテンツの蓄積と発信を続けていく。そういった営みが「豊かな空間」の維持につながるといえるでしょう。例えば馴染み深い空間にやってきた高齢者が、若い世代に向けてかつてこの場所で経験したことを語る。オフィスやキャンパスに森や緑道といった空間を造り、自然というコンテンツから受け取る刺激によって、アイディアが湧いてくる。そういった機能を果たす空間が増えれば、社会はより豊かになっていくのではないでしょうか。

 空間の豊かさを追究すると同時に、場の物語を読み解けるリテラシーを身につけることも必要です。知識がない人からすれば、コンテンツを有する歴史的機構も「ただの古い建物・空間」にしか見えないでしょう。しかし空間をメディアとして見る人に対して、その機構は雄弁に語りかけます。空間そのものの豊かさと、受け手の視点。この両方を育てるために必要な知見を、「空間史」の読み解きを通して未来に届けていくことが私の目標です。



- 2050 未来考究 -

デジタルに、バーチャルに。空間の豊かさを柔軟に創造できる。

人口減少や、エネルギー問題などを鑑みると、古くなれば壊すという空間づくりは近い将来終わりを迎えて、「使い続ける」という方向に、社会全体が向かっていくと思います。シンプルながら長く使える建物が主流となり、そこに「豊かさ」を加えるためにプロジェクションマッピングやもっと他のデジタル技術が活用されるかもしれません。そこに住む人、訪れた人が趣味趣向や思想に応じて、好きなように建物にコンテンツを付与できる。記憶術の使い手たちが試みていたバーチャル空間における自由なコンテンツ設計が、現実世界に滲み出てくれば、未来の空間はより豊かに、おもしろいものになっていくと思います。


桑木野教授にとって研究とは

生活の一部であると同時に、人間のイマジネーションの豊かさや可能性を教えてくれるもの。夢の中でも論文を書いています。

○ 桑木野 幸司(くわきの こうじ)
大阪大学大学院人文学研究科芸術学専攻 教授
千葉大学工学部建築学科、東京大学大学院工学系研究科修士課程、博士課程を経て、ピサ大学大学院博士課程修了。大阪大学大学院文学研究科准教授、教授を務めたのち、2022年4月より現職。

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▼大阪大学 「OU RESEARCH GAZETTE」創刊号
https://www.d-pam.com/osaka-u/2312487/index.html?tm=1

(2022年11月取材)