究みのStoryZ

知りたい。見たい。行ってみたい。好奇心と行動力で解き明かす、『アラビアン・ナイト』と世界のつながり

アラビア文学/大学院人文学研究科 外国語学専攻 教授 近藤 久美子

知りたい。見たい。行ってみたい。好奇心と行動力で解き明かす、『アラビアン・ナイト』と世界のつながり


好奇心に突き動かされ、出会ったアラビア語の世界。

幼い頃から「好きだ」「おもしろい」と感じたものに対して、120%のエネルギーで向かっていくのが私のスタイル。特撮や妖怪漫画、世界の文学が好きで、小さな頃から本やテレビ番組に夢中になっていました。ある日、世界の歴史を集めた本を読んでいて目に止まったのが「アッシリア」という国の名前。アッシリアにはかつて目や鼻を削ぐ刑罰があったという記述を見てとても驚き、「日本とは全く違う文化や言語、価値観が世界にはあふれているんだ」と、国外に対して強い興味を抱くようになりました。今思えばこれが、海外という「知らない世界」に、初めて憧れを抱いた瞬間だったのかもしれません。

その後も、CAが活躍するドラマや航空機を操るパイロット、外国映画などいろいろなものにはまりましたが、一貫して抱き続けたのは「海外について知りたい、見たい、体感したい」という思い。年を追うごとにその気持ちは大きくなります。ついに高校3年生の時、持ち前の行動力を発揮し、家の近くにあった国際教会主催のアメリカ旅行に一人で参加することを決意。ワシントン州立大学を訪れ、アラビア語との衝撃的な出会いを果たします。

ワシントン州立大学の図書館で見せられたのは、アラビア語の新聞。「なんじゃこりゃ!」と衝撃を受けたと同時に、なんて美しくて不思議な言語なんだろうと感動したことを覚えています。この感動があったからか、大阪外国語大学進学時には自然とアラビア語を選択。アラビア語文学研究に向けた第一歩を踏み出していきました。

人の縁と好機に恵まれ、『アラビアン・ナイト』研究の道へ。

アラビア語の難しさに一時は挫折しそうになりながらも、学びを深めていた学生時代。この時点では、自分が研究者になるとは考えていませんでした。そんな折に「『アラビアン・ナイト』の翻訳を手伝ってくれないか」と声をかけてくださったのが、指導教官だった池田修先生(現:大阪外国語大学名誉教授)。当時日本にあった『アラビアン・ナイト』は、英語やフランス語から日本語に翻訳されたもの。そのため、かねてから慶應義塾大学の前嶋信次先生がアラビア語からの原典訳に取り組まれていました。しかし、前半部分の翻訳を終えたところで前嶋先生が急逝。後半部分の翻訳を池田先生が担うことになった、という経緯がありました。

『アラビアン・ナイト』『千夜一夜物語』という作品名を、誰でも一度は聞いたことがあるはず。アラジンやアリババ、イソップ童話など、私たちにとっても馴染み深い作品が多数収録された世界的文学作品です。その翻訳に関われるなんて、アラビア語を学ぶ人間として誇らしい。そう思って池田先生のお手伝いをしている間に非常勤講師のお声がけなどをいただくことになり、いつしか『アラビアン・ナイト』の研究者としての道を歩み始めることになったのです。

『アラビアン・ナイト』は中東の民話や説話が次々に登場する、オムニバス形式の作品。妖怪好きが高じて、日本の説話研究学会や日本昔話学会に所属していたため、日本の説話研究者の方の意見や研究テクニックも生かしながらその翻訳と読み解きを行っています。翻訳を進めながら不思議に思うのが、中東という遠く離れた場所で執筆・編纂された文学作品であるにも関わらず、『アラビアン・ナイト』には日本の民話と共通点する話が多く収録されているという点です。例えば、「猿の生肝」という物語と、日本の『今昔物語』に編纂されている「くらげほねなし」という物語は、ストーリーや登場する動物がそっくりです。これは古来よりインドを経由して、中東諸国と日本とに交易などがあった証拠。関係性が薄いと思われがちなアラビアと日本が、実は長い歴史の中でつながりを持っていたという事実に、研究者として大きなロマンを感じます。

「本当の経験」から文学を見つめる

研究を行う上で、私は「本当を見極めること」を大切にしています。アラビア文学ではありませんが、『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリは、作家である前に飛行機のパイロットでした。実際に飛行機を操縦していたからこそ、彼は飛行中に見える美しい景色を独特の描写で、生き生きと書き表すことに成功しているのだと思います。そういった文学の中にある感動を研究者として紐解くのであれば、自分自身も作者と同じ土地や空気、文化を体験しなくてはならない。そんな風に考えています。

本当を見極めるために、無理を通してイラクに滞在したこともあります。時代は湾岸戦争で中東情勢が悪化していた1990年代。法人避難勧告が出ている最中ではありましたが、イラクに行きたいという思いだけをエネルギーに渡航しました。初めて訪れたイラクのバクダッドは想像を超えて美しく、『アラビアン・ナイト』の世界を自分の足で歩いていることが不思議でもありました。

グローバル化、デジタル化が進んだ現代において、私たちは遠く離れた国の様子を以前と比べて気軽に知ることができるようになりました。しかしそういった変化をもってしても、まだまだ日本では中東圏を「どこか遠い存在」と捉える人が大半です。人によっては中東諸国全体に対して危険なイメージすら、抱いているかもしれません。しかし実際にその場に足を踏み入れてみると、自分たちの持っていたアラビア像が、いかにステレオタイプなものであったかということに気付くことができます。

色眼鏡を外して世界を見ること、自分自身と知らない世界をつなげて体験することの大切さを伝えると同時に、幼い頃の自分が抱いていたような「知らない世界を見たい」という猛烈なエネルギーを、文学を通して誰かに与えていくことが、私たち文学研究者の使命です。ほんの少しでもアラビアの世界に対する人々の解像度が上がっていく日をめざして、文学研究を通じ、メッセージを発信し続けていきたいと考えています。

OURG#4_img05.png

『アラビアン・ナイト』原典



- 2050未来考究 -

「文学の味わい」が、受け継がれていく未来を願って。

AIによる翻訳技術が発達し、言語の壁はどんどんと無くなってきています。国境や言語を超えて気軽に人同士がつながれることはとても喜ばしいことです。一方で『アラビアン・ナイト』の翻訳を続ける身として危惧しているのが、「文学の味わい」が失われてしまうこと。夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したように、AIには紡げない感情や意味合いが文学作品には詰まっています。アルゴリズムでは処理しきれない、人間のやわらかい部分が文学の中に生き続け、むしろそれがAIには真似できない、人間ならではの創作の価値として今よりも大切にされるような未来を期待しています。


先生にとって研究とは?

「人生は、死ぬまでの暇つぶし」。漫画家のみうらじゅんさんの名言です。今、研究が目の前からなくなってしまったら、死ぬまでにやるべきことがなくて、困ってしまう気がします。私にとって研究は、生きることそのものになっているようです。

●近藤 久美子(こんどう くみこ)
大学院人文学研究科 外国語学専攻 教授
1984年大阪外国語大学外国語学部アラビア語学科卒業後、87年同大学院西アジア語学アラビア語専攻を修了。2006年同大学助教授。大阪大学世界言語文化センター准教授、言語文化研究科教授を経て、現在は人文学研究科の教授を務める。

(2024年8月取材)