“柔らかなエレクトロニクス”で、脳を解析。医療とエネルギーの未来を変えていく。
産業科学研究所 教授 関谷毅
「素材」の物性・機能性の進化は、あらゆるハードの革新を促す。
地球上に存在する物質は、それぞれに特徴的な機能を有しています。硬い、熱に強い、電気を通す・通さない……。材料が持つ機能を掛け合わせたり、拡張したりすることによって、まだ世の中にない機能を持った「素材」を生み出す。それが私の研究です。
「技術革新」という言葉からは、複雑な機械構造やプログラムなどが連想されます。一見シンプルな素材は、イノベーションに大きく関わらないように思えるかもしれません。しかしハード機器の進歩において、素材の進化は常に大きな意味を持っています。
スマートフォンを想像してみてください。猛烈なスピードで機能や見た目を進化させてきたこの機器には、誕生から大きく変わっていない部分があります。それは「厚み」です。スマートフォンの素材は、基本的にガラスやセラミック、金属などの硬い素材。薄くするともろく壊れやすくなってしまうため、一定の「厚み」を持たせなければなりません。代わりに柔軟性を持ったプラスチックを用いれば、より薄いスマートフォンを作れるでしょう。しかし実現していない。それは多くのプラスチックが柔軟性は有していても、電気的機能(電子の動きを操作できる機能)を有していないためです。柔らかくて、かつ高度な電気的機能を有する新しい素材。そういったものがあれば、スマートフォンはこれまでと全く異なる進化を遂げていくかもしれません。この例から分かるように、素材が持つ物性、機能の進化は、あらゆる領域で革新を起こす可能性を秘めています。
可能性を広げるのは、多様なアイデアと、技術者同士のコラボレーション。
私たちは「フレキシブル・ストレッチャブル エレクトロニクス」、つまり薄く、柔らかくて、高度な電気的機能を有する素材やそれを集積化して電子デバイスの研究に取り組んでいます。2020年には、大掛かりな装置を使わずとも、額に貼るだけで脳波を測定できる「医療用シート型脳波計」を世界で初めて開発。じっとしていられない子どもの脳波計測や、家庭などでの長期間の脳波計測を可能にしました。脳の活動データが取りやすくなることで、発達障害や認知症の早期発見と治療・予防・メカニズム解明に役立つ可能性があり、多くの医療機関で活用されています。
ここで重要なのが、私たちが医療分野のみをめがけて開発を行ってきたわけではない、ということです。あらゆるハードのベースとなる素材は、アイデア次第で使い方が大きく変化します。例えば近年取り組んでいる「プリンテッド エレクトロニクス」の研究。電気回路を紙にインクで印刷してセンサー機能を持たせるこの技術は、さまざまな分野への実装が可能です。薄くて小さなセンサーを橋梁や壁に仕込むことにより、破損する前に劣化を検知したり、定期的に信号を飛ばして、僻地のインフラを管理することもできます。壁紙にこの技術を搭載して、暮らす人のヘルスケアデータを日々取得するような未来もやってくるかもしれません。さまざまなアイデアと素材の力を掛け合わせ、社会課題を解決する。これこそ私が研究に向かう最大の動機であり、原動力です。
「技術とアイデアの掛け算」に加え、「技術と技術の掛け算」も、素材の可能性を広げるためには必要不可欠です。そのため私の研究室では、多彩な経歴を持つメンバーが活躍しています。プロセス技術に長けた固体物理学者の植村隆文特任准教授(常勤)、素材の大元となる材料を開発する荒木徹平准教授、民間企業での経験を生かして技術の機器実装を行う根津俊一特任研究員(常勤)。この3名は、現在進行中の国家プロジェクトの中心メンバーです。具体的には、体の中に取り込むことができる、フィルム状の電極を開発中。生体適合性をもったこの素材を生かして、患者への負担がとても少ない治療を実現するムーンショットをめざしています。
めざすは究極の省エネ性能。カギとなるのは、「脳」の解析。
今、克服すべき壁のひとつは、開発機器の「消費電力の低減(エネルギー効率の向上)」です。現時点でも小さな電池で長期間駆動する性能を実現していますが、何十年という持続性はありません。私たちが手がける素材の特徴は、薄くて柔らかいからこそ、違和感なく体や建物に装着・設置できる点。その利点を生かした機器の多くが、対象データを長期間収集するために使われます。つまり省エネ性を高め、限りなく小さなエネルギー源で、長期間使える性能を持たせることができれば、素材の可能性を広げることにつながっていくのです。
そこでヒントになってくるのが「人間の脳」。脳は高度な情報処理を常に行いつつ、1日・2日食事を摂らなくてもシャットダウンしないという、驚異的なエネルギー効率を誇ります。この省エネ性能の謎を解明し、わずかなエネルギーで稼働し続ける機構を作ることができれば、私たちの研究も飛躍的な進化を遂げるはずです。
とはいえ脳が持つ優れた性能は、40億年という時間をかけて進化の中で形成されてきたもの。そう簡単に紐解くことができません。しかしこの突破口となり得るのもまた、「フレキシブル・ストレッチャブル エレクトロニクス」の技術だと、私は考えています。「医療用シート型脳波計」をはじめとした、身体データを細やかに収集する機器が当たり前となれば、まだ知られていない脳の活動が明らかになる可能性があります。私たちが開発した素材によって、身体のデータを集めることが、将来的に素材の可能性をさらに開くカギとなっていく。現在と未来の研究がシナジーを起こし、より大きな革新を生み出していくことをめざし、これからも研究に邁進していきたいと考えています。
- 2050未来考究 -
病気は「治すもの」のではなく、察知し、未然に「防ぐもの」に。
人間社会が活発であり続けるために必要な「脳の健康」。この大切な「脳の健康」を脅かすのが、知らず知らずに進行する「認知症」の存在です。明確なバイオマーカーが発見されていない認知症は、現代においては未然に防ぐことが困難な病気。しかし2050年には脳波などの身体データの収集が習慣化され、「脳」の状態から認知症の兆しを発見・予防できるようになっているのではないでしょうか。こういった技術革新によって、あらゆる病気が発症前に発見され、「治す」のではなく「防ぐ」医療が発達している。それによって、誰もが年齢に関わらず社会活動を活発に行えている。そんな未来を期待しています。
関谷教授にとって研究とは
社会の役に立つこと。科学技術を、人々にとってより身近なものにし、できるだけ早く社会に届けたいと思っています。
●関谷 毅(せきたに つよし)
大阪大学産業科学研究所 教授
1999年大阪大学基礎工学部物性物理工学科卒業後、2003年東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程を修了。同研究科助手、助教、講師、准教授を経て、2014年4月より現職。
■デジタルパンフレットはこちらからご覧いただけます。
▼大阪大学 「OU RESEARCH GAZETTE」創刊号
https://www.d-pam.com/osaka-u/2312487/index.html?tm=1
(2022年12月取材)