肝がんの新たな発症機構を解明!
腫瘍形成阻害の効果がみられる修飾型アンチセンス核酸を開発
研究成果のポイント
- 肝がんで高頻度に異常が認められるWnt(ウィント)シグナルの活性化による発がんの仕組みが不明であったが、その新たな仕組みを発見した。
- 今回同定した仕組みを標的とした治療薬候補が、マウス実験において腫瘍縮小効果を示した。
- 「Wntシグナル活性型肝がんで、なぜ免疫チェックポイント阻害剤が効きにくいのか」という疑問に対する答えが見つかる可能性が示唆された。
概要
大阪大学大学院医学系研究科(分子病態生化学)の松本 真司准教授と原田 昭和助教、感染症総合教育研究拠点の菊池 章特任教授(常勤)のグループは、肝がん発症の新たな仕組みを解明しました。
肝がんではがん化を促すWntシグナルの異常な活性化が高頻度でみられますが、これらの症例には免疫チェックポイント阻害剤が効きにくいことが知られています。しかし、なぜ肝がんでWntシグナルががん化を促進するのかは十分にはわかっておらず、またWntシグナルを直接抑えることができる治療薬の開発には至っていません。
今回、研究グループは、Wntシグナルの異常活性化により、なぜ肝臓の細胞ががん化するかに着目し、がん患者の大規模なデータベースを用いた解析を行った結果、Wntシグナル活性型肝がんを発症させる遺伝子としてGREB1を同定することができました。さらにGREB1の発現を抑制するための修飾型アンチセンス核酸を開発し、肝がんを発症したモデルマウスに投与したところ、腫瘍形成阻害の効果があることもわかりました。
本研究成果は、米国科学誌「Cancer Research」に、2023年6月22日(木)にon line公開されました。
図. 本研究の概略
研究
肝がんの死亡者数は、全がん中世界では第3位(出典:GLOBO CAN2020)、日本では第5位(出典:国立がん研究センター 2021年がん統計)であり、難治性のがんと考えられています。肝がんでは、発がんに関与するWntシグナル経路の異常活性化が約1/3の症例で認められます。大腸がんでも高頻度にWntシグナルが異常活性化されていて、そのがんを引き起こすメカニズムが明らかになりつつありますが、なぜ肝臓がWntシグナルの異常によりがん化するのかは十分に解明されていませんでした。そこで研究グループは、肝がんと大腸がんではWntシグナルが異常である細胞の「成熟度」が異なる点に注目しました。肝がんでは、肝臓らしさを獲得し成熟した細胞(分化細胞)ががん化しますが、大腸がんでは大腸らしさがまだみられない幼若な細胞(未分化細胞、幹細胞)ががん化すると考えられています。この違いが原因となり、Wntシグナルが異常となった際のがん細胞の反応が大きく異なるのではないかと考えました。
研究の内容
今回、研究グループは、Wntシグナルにより発現する遺伝子を様々ながん種で比較しながら探索する方法を開発して、肝がん固有のがん発症因子としてGREB1を同定しました。GREB1は本来、性ホルモンシグナルが異常である乳がんや前立腺がんにおいて発がんに関わることが知られていましたが、性ホルモンに依存しない肝がんにも関わることを初めて示しました。同研究グループは、肝芽腫という小児の希少がんでもこのGREB1ががん化に関与することを世界で初めて報告しました。
詳細な解析の結果、Wntシグナルが異常活性化すると、肝臓の成熟度を維持するための重要な因子であるHNF4αが、Wntシグナルと協調してGREB1の発現を促進することがわかりました。さらに、発現したGREB1がHNF4αと協調して肝がん細胞の増殖を促進しました。すなわち、これまで正常の肝臓らしさを保ち、がん化を抑制すると考えられていたHNF4αが、GREB1と協調することによりその機能が変化し、肝がんを発症させることが明らかになりました。
また、神戸大学大学院医学研究科外科講座 肝胆膵外科学分野との共同研究により、肝がん患者においても、Wntシグナルの活性化とGREB1の発現が正の相関をしていることがわかりました。さらに、GREB1を標的としたアンチセンス核酸を開発し、肝がんモデルマウスに投与したところ、腫瘍縮小効果が認められました。
以上の結果から、成熟した肝臓の細胞がWntシグナル経路の異常活性化によりがん化する仕組みが明らかになり、それを標的とする新たな治療法の可能性も示されました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
Wntシグナルが活性化している肝がんは、世界的に大きな注目を集めている免疫チェックポイント阻害剤が効きにくいことから、がん化の仕組みの解明と治療薬の開発に対して大きな関心が寄せられています。同研究グループはGREB1を介した肝がんのユニークながん化の仕組みを解明しました。
今回発見されたHNF4αとGREB1による悪性化のメカニズムをさらに解析することで、「Wntシグナル活性型肝がんで、なぜ免疫チェックポイント阻害剤が効きにくいのか」という疑問に対する答えが見つかる可能性があり、大きく期待できる研究成果です。
さらに、GREB1を人工的に発現させないようにしたモデルマウスを作成したところ、大きな異常はなく、仔も産まれ成長しました。したがいまして、新規開発したGREB1アンチセンス核酸によりGREB1の発現を抑える治療方法は、がん以外の臓器に対して副作用の少ない治療薬となることが期待され、本研究成果は社会的な意義が大きいと考えられます。
特記事項
本研究成果は、2023年6月22日(木)に米国科学誌「Cancer Research」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Wnt signaling stimulates cooperation between GREB1 and HNF4α to promote proliferation in hepatocellular carcinoma”
著者名:Shinji Matsumoto†*, Akikazu Harada†(†共同筆頭著者), Minami Seta, Masayuki Akita, Hidetoshi Gon, Takumi Fukumoto, Akira Kikuchi*(*共同責任著者)
DOI:https://doi.org/10.1158/0008-5472.CAN-22-3518
なお、本研究は、文部科学省科学研究費補助金(基盤研究S)における課題「Wntシグナルネットワークの異常による腫瘍形成の新規分子機構の解明」と日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業における研究開発課題「GREB1による悪性腫瘍発症機構の解明にもとづく新規抗がん剤の研究開発」の支援のもとに行われ、神戸大学大学院医学研究科肝胆膵外科学 福本巧教授の協力を得て行われました。
参考URL
菊池 章特任教授(常勤)研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/1951a3471513a388.html
SDGsの目標
用語説明
- Wnt(ウィント)シグナル
動物の胎生期の臓器形成に欠かせない生体内の情報伝達の仕組みです。動物の出生後の再生や傷害の修復にも重要な役割を果たします。しかし、Wntシグナルを構成する遺伝子に傷が生じると(遺伝子変異)、細胞が制限なく増え始めてがんになります。大腸がんや肝がんでは、このWntシグナルの異常が原因でがんになる症例が多いことが知られています。
- アンチセンス核酸
タンパク質を合成するmRNA(メッセンジャーRNA)を分解する分子です。この分子に特殊な修飾を付け加える(本研究で用いた修飾型アンチセンス核酸)ことで、血液中で安定に存在することができ、がん細胞への取り込みが増し、治療効果が高まります。さらに、アンチセンス核酸で問題となる肝臓