リチウムイオン電池電極に析出した金属リチウムをミュオンで検知
ミュオン特性X線による非破壊元素分析の応用
発表のポイント
・リチウムのミュオン特性X線 を検出可能となったJ-PARC MLFのミュオンビームラインにおいて、リチウムイオン電池電極に析出した金属リチウムを世界で初めて検出
・金属リチウムと電極内のリチウムイオンでは負ミュオンの捕獲率が大きく異なることを利用して、金属リチウムを選択的に検知
・リチウムイオン電池内で析出した金属リチウムを非破壊で検出する可能性が広がり、リチウムイオン電池の更なる安全性向上に貢献する技術として期待される
概要
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所のミュオン研究グループは、株式会社豊田中央研究所(豊田中研)、国立大学法人大阪大学、学校法人国際基督教大学、一般財団法人総合科学研究機構(CROSS)と共同で、大強度陽子加速器施設(J-PARC) 物質・生命科学実験施設(MLF)ミュオン科学研究施設(MUSE)Dラインの負ミュオンビームを用いて、リチウムイオン電池に用いられる黒鉛負極に析出した金属リチウムの検出に成功しました。ミュオンの特性を活かして、電極を覆うラミネート容器を通して、非破壊で深さを特定し、金属リチウムを選択的に検知できることを実証しました。今後、リチウムイオン電池の更なる安全性向上に貢献する技術への発展が期待されます。
この研究成果は、アメリカ化学会(ACS)の論文誌「Analytical Chemistry」に5月29日に掲載されました。
背景
近年、リチウムイオン電池はその用途を広げ、私たちの生活に欠かせないもののひとつとなっています。最近では、使用済みのリチウムイオン電池の再利用が検討されていますが、安全で効率的な再利用のためにはリチウムイオン電池の内部を非破壊で把握することが求められています。その理由は、電池の使用条件によっては、イオンで存在するはずのリチウムが還元されて金属として析出し、それが、電極間の短絡・電解液との熱反応・容量低下につながることが知られているからです。一度析出した金属リチウムは容易にはイオンに戻らないため、リチウムイオン電池を再利用する際には、金属リチウム析出の有無を確認することが重要になります。
非破壊での元素分析には、試料にX線を照射した際に検出される元素固有の蛍光X線のエネルギーを分析する方法が用いられますが、一般に、リチウムのような軽元素の蛍光X線はエネルギーが低く、容器を透過させて検出することが不可能です。ミュオン特性X線のエネルギーは蛍光X線のエネルギーより約200倍も高く、リチウムでは18.7keVとなります。このため、リチウムのミュオン特性X線は市販のアルミラミネートシートを使ったリチウムイオン電池の筐体を、ほぼ減衰することなく通過します。
研究内容と成果
KEKの三宅康博特別教授を中心とするミュオン研究グループは、リチウムイオン電池内のリチウムのミュオン特性X線を高感度で検出するためのシステムを開発しました。さらに、リチウムイオン電池のような数十μm(マイクロメートル)厚の電極が層状に重なる構造を持つ試料を測定するには、低運動量の大強度負ミュオンビームが必要です。研究グループは独自に開発を進め、J-PARC MLF MUSE Dラインは、世界で唯一、リチウムイオン電池のミュオン特性X線元素分析が可能な実験施設となりました。負ミュオンの運動量を変化させることで、数十μm厚のリチウムイオン電池電極を、容器の外側からダメージなく分析することができます。
研究グループは、豊田中研、大阪大学、国際基督教大学、CROSSと共同で、リチウムイオン電池に用いられる黒鉛負極に析出した金属リチウムの非破壊検出に初めて成功しました。
あらかじめ金属リチウムを析出させた黒鉛負極試料を用いて、金属リチウムと充電された電極中のリチウムイオンとで、負ミュオンの捕獲率が異なり、両者のリチウム1原子当たりの検出感度が大きく異なることがわかりました (図1) 。このことを定量的に確かめたのはこの研究が初めてです。黒鉛負極中のリチウムイオンの量は電池の充電状態からわかるので、得られるミュオン特性X線の強度のうち、金属リチウムに由来する信号強度のみを捉えることが可能です。このようにして、電極に析出した金属リチウムを、黒鉛負極中のリチウムイオンと区別して検出することができました。
さらに、黒鉛負極の片側に金属リチウムを析出させた試料を裏返しにして、充電した黒鉛負極と重ね、析出深さを変えた試料を作成し実験を行いました (図2) 。ミュオンの停止位置を制御することで、リチウムイオン電池の厚み方向において金属リチウム析出の位置を検知できることも示しました。
実用の電池は電解液や被膜などを含みますが、本研究では金属リチウムを析出させた電極を取り出し、ラミネートで包んで試料として分析を行いました。0.1mm厚以上の鉄等の金属容器に入った電池の分析は原理的に困難ですが、ラミネート型の実用リチウムイオン電池では、金属リチウム析出が検出可能であると考えられます。
論文情報
「Nondestructive High-Sensitivity Detections of Metallic Lithium Deposited on a Battery Anode Using Muonic X-rays(ミュオン特性X線による電池負極に析出した金属リチウムの非破壊・高感度検出)」
雑誌名 Analytical Chemistry (オンライン版5月29日) https://doi.org/10.1021/acs.analchem.0c00370
梅垣いづみ*1、樋口雄紀*1、近藤康仁*1、二宮和彦*2、竹下聡史*3*4、反保元伸*3*4、中野広幸*1、岡秀亮*1、杉山純*1*3*4*5*6、久保謙哉*7、三宅康博*3*4
*1: 豊田中央研究所、*2: 大阪大学、*3: KEK物質構造科学研究所、*4: J-PARCセンター、*5: 日本原子力研究開発機構、*6: 総合科学研究機構、*7: 国際基督教大学
本研究の意義、今後への期待
本研究により達成したリチウムイオン電池内の金属リチウムの非破壊検出技術は、金属リチウム析出と密接に関係する電池容量の劣化の調査に応用できるものです。さらに将来の飛躍的なミュオン強度の増強や、検出器の改良により、ミュオン特性X線元素分析によるその場解析も可能になるかもしれません。リチウムイオン電池の更なる安全性向上につながる研究への展開が期待されます。
参考図
図1 A: 充電された黒鉛負極に金属リチウムを析出させた試料のSEM像。B: 試料の模式図。C: リチウムに由来するミュオン特性X線の信号強度の充電容量依存性。
B:金属リチウムは負極の銅集電箔の反対側に析出している。
C:黒鉛にリチウムイオンが入っていく(インターカレーション)領域に比べて、金属リチウム析出領域では急峻な傾きを示し、黒鉛中のリチウムイオンよりも金属リチウムに感度が高いことがわかる。
図2 A: 実験装置の配置図。B: 試料用チャンバ中にセットしたラミネートで包んだ黒鉛負極の試料(中央の四角形部分)。C: リチウムに由来するミュオン特性X線の信号強度と深さの依存性。
マークは実験結果で、実線はシミュレーション結果。グラフの下部は、2つの試料の深さ方向の構造図で、赤と紫の範囲は金属リチウムを表す。黒鉛負極の浅い位置に金属リチウムを析出させた試料(赤丸)と、金属リチウムを深い位置にした試料(紫四角)を用いて、深さ方向の異なる位置にある金属リチウムをそれぞれ非破壊で検出することができた。
参考URL
大阪大学 大学院理学研究科 化学専攻 篠原研究室HP
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/shinohara/index.html
用語説明
- ミュオン特性X線
負電荷を有するミュオン(負ミュオン)を物質に打ち込み、物質中の原子に捕獲させると放出される、元素に固有のエネルギーをもつX線。負ミュオンの質量は電子の質量の約207倍であるため、ミュオン特性X線のエネルギーは蛍光X線の約200倍高いエネルギーとなる。そのため、X線のエネルギーが低い軽元素の検出に力を発揮する(リチウムの主要なミュオン特性X線のエネルギーは18.7keV)。得られたミュオン特性X線のエネルギーを分析することで、物質中の元素とその組成を特定できる。
- 大強度陽子加速器施設(J-PARC)
KEKと国立研究開発法人日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学・原子核物理学・物性物理学・化学・材料科学・生物学等の学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。MLFでは、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まる。