人類が手にする物質を透視する新しい“眼”
素粒子ミュオンを使った非破壊軽元素分析に成功
本研究のポイント
・素粒子ミュオン を使った隕石模擬試料の非破壊深度プロファイル分析に成功
・始原隕石(炭素質コンドライト)の深さ70μmおよび1mmの領域の非破壊元素分析に成功
・「はやぶさ2 」が持ち帰る小惑星物質の分析を想定し、ガラスチューブに封入した隕石からマグネシウムと鉄の特性X線 の検出手法を確立
リリース概要
大阪大学理学研究科寺田健太郎教授などの研究チームは、大強度陽子加速器施設J-PARC のミュオン装置群MUSE (MUon Science Establishment) の世界最高強度のパルスミュオンビームを用い、数mm厚の隕石模擬物質から軽元素(C, B, N, O)の非破壊深度分析、有機物を含む炭素質コンドライト隕石の深度70μm、および深度1mmにおける非破壊元素分析という新しい非破壊元素分析に成功しました。
負ミュオン(μ - 粒子)は、電荷-e、質量が電子の約200倍の不安定素粒子です。ミュオンを取り込んだ元素から発生する特性X線は高い物質透過能力を持ちます。炭素のような軽い元素から重い元素まで非破壊で深度分析が可能なミュオンビーム分析は非常にユニークであります。
例えば、2020年,C型小惑星 から探査機「はやぶさ2」(今年度打ち上げ) が地球に持ち帰る稀少試料中の炭素濃度や有機物分布の非破壊分析に威力を発揮すると期待されます。
この成果は、5月27日(日本時間)、英国Nature Publishing Groupのオンライン科学雑誌「Scientific Reports」に掲載されます。
(論文題目「A new X-ray fluorescence spectroscopy for extraterrestrial materials using a muon beam」)
研究の背景、内容
負ミュオン(μ - 粒子)は、電荷-e、質量が電子の約200倍の不安定素粒子です。近年、大強度陽子加速器施設J-PARCでは、世界最高強度のパルスミュオンビームを生成する事に成功し、様々な分野への応用が期待されていました(Miyake et al. 2009 ほか)。
ミュオンビーム分析の最大の特徴は、測定試料内でμ 粒子が重い電子として振る舞う事です。μ - 粒子は高い物質透過能力をもち、電子よりはるかに試料の奥深くまで侵入することができます。試料中で運動量を失ったμ - 粒子はある深さで元素に取り込まれます。元素に取り込まれたμ - 粒子は電子よりも原子核に近い軌道を周回しながら、より低いエネルギー準位の軌道へと遷移し、元素ごとに特有のエネルギーをもつミュオン特性X線を発生させます。このミュオン特性X線は、EPMA(Electron Probe Micro Analyzer) ※8 のような電子ビーム分析で発生する特性X線に比べ、約200倍のエネルギーをもち(例えば、μ-C K α 線=75 keV、μ-N K α 線=102 keV、μ-O K α 線=133 keV)、物質の透過能力が高いことから、cmサイズの物質内部の化学組成の情報を非破壊で得ることが可能となります。この元素分析法は40年以上前に提案されていましたが、J-PARCの世界最高強度のパルスミュオンビームによって、初めて実現しました。
本研究では、次の3点に成功しました。①μ - 粒子の運動量を32.5 MeV/cから57.5 MeV/cまで段階的に変化させながら、SiO 2 , C(グラファイト), BN(窒化ボロン)、SiO 2 の4層(各1.4 mm、計約6 mm)からなる試料に照射した深度プロファイル分析に成功しました。②太陽系誕生時の記憶を残し、生命材料ともなりえた地球外有機物を含む隕石である炭素質コンドライトの深さ70μmからの炭素ピークの検出に成功しました(従来の電子ビームによる分析では極表面付近の数μm程度の深さしか分析できません。 図1 )。③今年度に打ち上げられ、C型小惑星からのサンプルリターン (2020年地球帰還)をめざす「はやぶさ2」の回収試料の非破壊元素分析を想定し、ガラスチューブに封入したマーチソン隕石から、隕石起源のMgとFeのピークを検出することにも成功しました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
レントゲンによるX線の発見により、我々人類は物質を透視する”眼”を持ちました。物質内部の密度分布情報を得るX線ラジオグラフィーと呼ばれる透視法は、物質内部の密度分布の情報を知る事ができるため、自然科学、物質科学、医学、工学など幅広い分野で応用されています。
今回我々が報告する物質透過能力の高いミュオンを用いた化学分析は、非破壊でcmサイズの物質内部の元素の濃度と分布を知る事ができ、今後、位置検出型の検出器の開発が進めば、人類はX線ラジオグラフィーに次ぐ物質を透視する新しい”眼”を持つ事になるでしょう。例えば、未知物質や貴重な試料の化学組成(炭素などの軽元素も含む)を密封した状態で調べたり、2020年に帰還予定の「はやぶさ2」が小惑星から持ち帰ったサンプル中の有機物含有量や分布の非破壊分析などに大きな威力を発揮すると期待されます。
特記事項
本研究は、寺田健太郎(大阪大学)、二宮和彦(大阪大学)、大澤崇人(日本原子力研究開発機構)、橘省吾(北海道大学)、三宅康博(高エネルギー加速器研究機構)、久保謙哉(国際基督教大学)、河村成肇(高エネルギー加速器研究機構)、髭本亘(日本原子力研究開発機構)、土`山明(京都大学)、海老原充(首都大学東京)、上椙真之(宇宙航空研究開発機構)によって行われました。
参考図
図1 電子ビームX線分析とミュオンビームX線分析の違い
表面近傍を観る電子ビームに対し、透過力の高いミュオンビームは、入射エネルギーを変えることで、バルク状態の任意の深部まで届く。
図2 ミュオニック原子 のイメージ図
図3 ガラスチューブ越しの隕石のX線スペクトル(赤)
参考URL
大阪大学大学院理学研究科 宇宙地球科学専攻 惑星科学グループ
http://bit.ly/LaeLWt
用語説明
- ミュオン
ミュオン(ミュー粒子):
電荷-e、質量が電子の約200倍の素粒子。平均寿命は2.2×10 -6 秒。
- はやぶさ2
太陽系の起源・進化と生命の原材料物質を解明するため、近地球C型小惑星「1999 JU 3 」からのサンプルリターンを目指す小惑星探査機「はやぶさ」の後継機。2014年打ち上げ、2018年に小惑星に到着。小惑星表面から試料を採取し、2020年に地球帰還の予定。
- 特性X線
ある原子の電子軌道や原子核において、高い電子準位から低い電子準位に遷移する過程で放射されるX線である。電子の内殻・外殻のエネルギー差は元素ごとに固有であるので、特性X線のエネルギーも元素に固有である。このことから、特性X線のエネルギーと強度を求めることにより、測定試料を構成する元素の濃度分析を行うことができる。
- J-PARC
J-PARC(Japan Proton Accelerator Research Complex):
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同で運営している大強度陽子加速器施設(茨城県那珂郡東海村)。
- MUSE (MUon Science Establishment)
基礎科学から応用まで幅広い物質科学の発展に寄与を目指し、世界最高の質と強度のミュオンビームを提供するJ-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)内にある装置群。
- C型小惑星
反射スペクトルが炭素質コンドライト隕石と類似した特徴を示す小惑星。炭素質コンドライト隕石は太陽系初期の記憶を残す隕石で、また有機物を含むものもあることから、C型小惑星には太陽系や生命材料物質の進化の証拠が残されていると考えられている。
- EPMA(Electron Probe Micro Analyzer)
電子線を試料に照射し、得られる特性X線のスペクトルから元素分析する電子ビーム分析の一つ。
- ミュオニック原子
通常の原子は、原子核の周りを電子が回っているが、電子の代わりに負ミュオンが回っている原子のような状態。