磁界制御による新しいスピン素子の機能実証に成功

磁界制御による新しいスピン素子の機能実証に成功

レアメタルフリー材料で記録と演算の2つの機能を兼ね備えた磁気デバイスに道

2012-7-2

<リリース概要>

大阪大学、高輝度光科学研究センター(JASRI)、東北大学は共同で、ハードディスクドライブの情報読み出し等に用いられている強磁性体/反強磁性体界面での強い磁気結合を、温度を一定に保った状態(等温状態)で反転する様子を可視化することに成功しました。

磁性をもつ物質の代表は強磁性体と反強磁性体 であり、強磁性体は自発的に磁化を有することから古くから磁石や磁気記録デバイス等用いられてきました。一方、反強磁性体は、自発的に磁化を持たないため長らく実用されませんでしたが、強磁性体と接合させることでその接合界面に非常に強い磁気特性(交換磁気異方性 )を発揮することが分かり、近年はハードディスクドライブの読み取りヘッド、磁気ランダムアクセスメモリなどのスピンエレクトロニクス デバイスに利用されています。これまでの技術では、交換磁気異方性の向きをデバイス作製時に加熱条件下で植え付けており、一度固定されると、その後に強度や方向を変化させることができません。しかし、この交換磁気異方性の向きや強度をデバイス中で変化させることができれば、従来それぞれ2つの独立な半導体素子が行っている2種類の機能(演算と記録)を集約する新しいスピンエレクトロニクスデバイスを生み出すことが期待されます。

そこで研究グループでは、デバイスを作製後であっても磁界による交換磁気異方性の制御が可能であることを示すために、大型放射光施設SPring-8 の軟X線固体分光ビームライン(BL25SU)を利用した実験を行い、今回、その実証に初めて成功しました。ここで用いた軟X線磁気円二色性測定 は、交換磁気異方性に重要な僅か数原子層の磁気特性を超高感度に解析する技術です。今回の実証実験では、非常に強い磁界(10万ガウス)を用いて反強磁性スピンを「無理矢理引っくり返す」方法を用いていますが、必要な磁界を下げる研究が進展すればデバイス内の高速制御が実現すると期待されます。さらに、レアメタル(Ir)を含む反強磁性材料(Mn-Ir)が使用されている現在のデバイスと異なり、本研究では安価で豊富なCr酸化物(Cr 2 O 3 )で機能を実証できたことから、スピンエレクトロニクスデバイスの高性能化と共に希少金属代替を同時に実現できる可能性をもつ画期的な成果です。

本成果は、2012年6月29日(米国東部時間)、米国物理系雑誌 Applied Physics Lettersにオンライン掲載されました。

<研究の背景>

磁性をもつ物質の代表は強磁性体と反強磁性体であり、強磁性体は自発的に磁化を有することから古くから磁石やモーター、磁気記録をはじめとした磁気デバイス等に広く用いられています。一方で、反強磁性体は、物質内で磁性を担う磁気スピンの方向が互いに反対方向を向くため、外部に磁束を出さず、単体では磁石としての性質をもちません。このため、長い間実用されませんでしたが、反強磁性体を強磁性体と接合させることでその接合界面で非常に強い磁気特性を発揮することが分かり、この効果は交換磁気異方性あるいは交換バイアスと呼ばれ、近年ではハードディスクドライブの読み取りヘッド、磁気ランダムアクセスメモリなどのスピンエレクトロニクスデバイスに広く活用されています。

これまでの交換磁気異方性は、デバイスの作製プロセス段階に植えつけることで、一度方向を固定すると、その後に強度や方向を変化させることができません。しかし、交換磁気異方性の方向をデバイス中で変化させることができれば、スピンエレクトロニクスデバイスへの情報入力方法が従来の2倍に増えるため、新しい機能性を加えることができます。また、現在の交換磁気異方性の実現は、レアメタル(Ir)を含むMn-Irに依存しており、希少金属を用いない新しい反強磁性体の開発も求められています。

<成果の内容>

交換磁気異方性の方向は、強磁性体と反強磁性体の接合界面にある反強磁性スピンの方向によって決まることが分かっています。つまり、反強磁性スピンの方向を引っくり返すことができれば、交換磁気異方性の方向を引っくり返すことができます。しかし、これまでその技術は実現できていませんでした。

この最大の原因は、反強磁性スピンが磁界中でどのように振る舞うか、反強磁性スピンが磁界中で動くのか動かないのかが分からなかったことにあります。反強磁性体は外部に磁束を出さないため、従来はその微小な信号を検出することが非常に困難でした。そこで研究グループでは、非常に強い磁界(10万ガウス)を用いて、反強磁性スピンを無理矢理引っくり返すことに挑戦し、交換磁気異方性の方向を反転し、接合している強磁性体のスピンを反転させることに成功しました(図1)。また、SPring-8の放射光X線を利用したX線磁気円二色性 (X-ray Magnetic Circular Dichroism: XMCD)技術を用いて反強磁性スピンの微小信号を検出し、スピン反転の様子を可視化することに成功しました(図2、図3)。

<本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)>

今回の研究によって、これまでは反転することができなかった強磁性体/反強磁性体の強い磁性の方向を反転できるようになりました。これは、1つの入力方式しかなかったこれまでのスピンエレクトロニクスデバイスに、2つ目の入力方式を加える画期的な成果です。今回用いた磁界は実デバイスに応用するには大きすぎるため、このデバイス技術は直ぐには実現しないかもしれません。しかし、「反転が可能である」という事実を示したことにより、今後の開発研究に重要な動機を与えたことが重要です。さらに、この機能性を実現した材料は、現在、反強磁性体として広く用いられているMnIrと異なり、レアメタル(Ir)を含まず、安価で豊富なCr酸化物(Cr 2 O 3 )であることも、希少金属代替えの観点から非常に意義深いものです。今回の技術を上手く使えば、現在、異なる半導体素子が別々に行っている2つの機能(演算と記録)を1つに集約した磁気メモリに応用できる可能性があり、電力をほとんど使わないコンピュータの実現に向けた基盤技術になる可能性があります(図4)。

<特記事項>

今回の研究成果は、大阪大学の白土優講師、中谷亮一教授、JASRIの中村哲也主幹研究員、木下豊彦主席研究員、東北大学の野尻浩之教授、鳴海康雄准教授、三俣千春客員教授らの共同研究による成果で、日本学術振興会 科学研究費補助金の研究費支援を受け、SPring-8の利用研究課題として実施されました。

<論文掲載情報>

Isothermal switching of perpendicular exchange bias by pulsed high magnetic field
(パルス強磁界による垂直交換バイアスの等温反転)
Y. Shiratsuchi, T. Nakamura, K. Wakatsu, S. Maenou, H. Oikawa, Y. Narumi, K. Tazoe, C. Mitsumata, T. Kinoshita, H. Nojiri and R. Nakatani
Applied Physics Letters, Vol. 100, p. 262413 (2012).

<参考図>

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図1:強い磁界による交換磁気異方性反転の概念図。
研究グループは、交換磁気異方性の下では強磁性体のスピンを反転させても、反強磁性体のスピンの方法がわずかに変化する変化で反転しないことを突き止めました。この知見を利用して、非常に強い磁界によって反強磁性体のスピンを無理やり反転させることで、交換磁気異方性の方向を反転させ、強磁性体のスピンの方向を反転させることに成功しました。

20120702_1_fig2.png

図2:強い磁界を使って交換磁気異方性の方向が変化する様子。
図の横軸は磁界の強さ、縦軸はスピンの方向を表しています。左上、右下の図で、曲線の中心位置が磁界0の位置からのズレの量が、交換磁気異方性の強さを表し、ズレの方向が交換磁気異方性の方向を表しています。非常に強い磁界を使うことで交換磁気異方性の方向を行ったり来たりさせることに成功しています。((A)ではズレが外部磁界の正の方向、(C)ではズレが外部磁界の負の方向)

20120702_1_fig3.png

図3:強い磁界を使うことで、反強磁性スピンの方向が引っくり返っている様子。
図の横軸は放射光から発生する光子のエネルギー、縦軸はスピンの方向を表しています。強い磁界を印加した後に、縦軸の符号(反強磁性スピンの方向)が反転していることを示しています。また、強い磁界の方向によって、元の状態に戻すこともできます。

20120702_1_fig4.png

図4:従来の半導体メモリ、スピンエレクトロニクスでのスピンメモリ、本成果を用いた新しいスピンメモリの比較。
従来の半導体メモリは、キャパシタに電荷(チャージ)が有るか無いかで情報を記録しているため、常に通電が必要です。スピンエレクトロニクスデバイスでは、情報は、強磁性スピンの向き(磁石のN極-S極の向き)で決まるため、電源を切っても情報は失われません。従来のスピンエレクトロニクスデバイスは、情報入力が1つであり、図中の強磁性体2のスピン方向を固定したままの「もったいない使い方」をしていましたが、本技術を上手く使えば、2つの強磁性体のスピンの方向を両方とも制御できるようになる可能性があります。

<参考URL>

用語説明

強磁性体と反強磁性体

強磁性体とは磁石につく性質をもった磁性体のことを指す。またそれ自身で磁石になりやすい性質も持つ。強磁性体の中では磁化(電子のスピン)が同じ方向を向こうとする性質をもつ。それに対して、反強磁性体の中では、隣り合う電子のスピンは互いに反対方向に向こうとする性質をもつ。このため、反強磁性体は、外部に磁束を発生しないため磁石につく性質をもたない。

交換磁気異方性

反強磁性体は、単体では磁石にはならないが、強磁性体と接合することで強磁性体の磁気的な性質を大きく変化させる。通常、強磁性体が単独にある場合は、磁化の方向(N極とS極の方向)は、磁界の方向に追随する。方位磁石が常に同じ方角を指すことを想像すると分かりやすい。しかし、反強磁性体と接合された強磁性体の磁化方向は、反強磁性スピン方向によって決まる特定の方向に固定され、弱い磁界では磁界方向に追随しなくなる。ハードディスクドライブや磁気ランダムアクセスメモリの情報読み出しは、この効果を利用して行われている。

スピンエレクトロニクス

20世紀のエレクトロニクスは、半導体中での電子の電荷(チャージ)のみを用いて発展した。一方、磁石の起源も電子にあり、電子のもつスピンが磁石の起源となる。すなわち、電子は電荷(チャージ)とともにスピンをもつ。スピンエレクトロニクスでは、半導体エレクトロニクスに用いられてきた電荷(チャージ)にスピンの自由度も加えて、電子の電荷(チャージ)とスピンを同時に活用することで、半導体デバイスの限界を超える新しい機能性をもったデバイスを作製できる。

大型放射光施設SPring-8

理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す施設で、その運転管理と利用者支援はJASRIが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

放射光X線を利用したX線磁気円二色性

X線は光や電波と同じく電磁波の一種であり、X線が進む方向に沿って電界と磁界の波が空間上を伝わっていく。円偏光とは、電界や磁界が螺旋状に回転しながら伝わる電磁波のことを指す。円偏光したX線が磁気をもつ物質に吸収されるときには、物質中の電子の磁気的状態によって吸収量が異なる。また、電界の回転方向が右回りか左回りかによっても吸収量が異なる。この現象を利用して磁性体を解析する方法を、X線磁気円二色性分光 (X-ray Magnetic Circular Dichroism: XMCD) 法という。