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遺伝情報を速く、確実に読み解く ナノテクノロジーの最新技術

産業科学研究所・特任教授・川合知二

21世紀初頭、人類はついにヒトDNAの全遺伝情報の解読に成功した。以来、日米欧を中心とする研究機関、医療系・情報系企業は、より速く確実に、適切な費用での解読技術の実現に向けて激しい競争を展開している。そんな中、産業科学研究所の川合知二特任教授の研究グループは、「もっとも実現可能性の高い」と評されるゲーティングナノポア・シーケンシング技術を使ったDNA、RNAの遺伝情報解析技術の実現に世界で初めて成功した。

遺伝情報を速く、確実に読み解く ナノテクノロジーの最新技術

解読技術の飛躍的進歩

ゲーティングナノポア・シーケンシング技術とは、どんな内容ですか?

ナノポアは、ナノ㍍(1㍍の10億分の1)という超微細なサイズの穴(ポア)のことです。この穴に、ひも状に長く伸ばした1本のDNAを通します。

DNAの上には、人の基本的な設計を決めるアデニン、チミン、グアニン、シトシンという4種類の物質(塩基)が全部で約30億個、一列に並んでいます。この並んだ塩基がナノポアを通過する際、ポア内に置かれた二つのナノ電極対の間に通る電流が一つ一つの塩基で異なるので、その違いを測り、塩基配列を計測するという仕組みです。ゲート(電極対)が置かれたナノポアですので、ゲーティングナノポアといわれます。

塩基の配列は一人一人異なるもので、遺伝子レベルで人体の特徴や病気の有無、薬の効き目などを決定しています。ですから、自分の塩基配列を知ることは「自分について知ること」になるのです。

ナノポア・シーケンシング技術を使った解読技術は、従来の方法と比べて、どんな点が進歩したのですか?

現在よく使われているPCRという手法は、まずDNAの複製を作り、それをもとに解読していくという方法です。これでは、最初にDNAの複製をたくさん作らなくてはいけないので、時間もかかり、また特殊な試薬を必要とするなどの問題点がありました。

しかしナノポア技術は、1本のDNAさえあれば作業ができ、複製を作る手間がいりません。解読の速度は1塩基あたり1ミリマイクロ秒(1000分の1秒)。30億もあるヒトDNAの塩基配列であっても複数の装置で並列的に解読すれば、1日程度で全遺伝情報解析が可能です。また、特殊な試薬も必要なく、コスト的にも低減が図れます。

ナノポア技術を用いたDNA解読で世界初

ゲーティングナノポア技術によるDNA解析に取り組まれたのは、いつ頃からですか?

私は、1994年頃から電流を利用してDNA塩基を解析する研究に取り組み始めました。当時は、「理論的には可能でも、実際には無理だろう」と言われていました。ようやく走査トンネル顕微鏡を用いて実証実験が成功したのは、15年後の2009年。我々のグループが世界で初めて、ゲーティングナノポア技術を使ったDNA解析への道を開きました。

その頃、悪性ウィルスへの対策を講じたり、患者一人一人に最適な薬や治療法を提供するため、遺伝子をわずか「1日・1000㌦で解読する」技術開発へ、社会的ニーズが高まっていました。

そんな気運の中で08年、NIH(アメリカ国立衛生研究所)が「ヒトの遺伝子情報を1000㌦で読むには、ナノポア技術が最有力候補」と発表しました。私が実証実験結果を発表した前年のことでしたが、「これは、相当期待されているのだな」と思いました。

世界が注目、ライバル続々

ナノポア技術を使ったDNA塩基の解読が、「1000㌦プロジェクト」の実現に向けて大きな一歩を記したのですね。

実証実験に成功したのと同じ年に、「内閣府最先端研究支援プログラム(FIRST)」に採択され、企業や他大学と連携を図った大規模なプロジェクトが新たにスタートしました。これで研究は一気に加速しました。

しかし、世界が注目する研究だけに、ナノポア技術の開発にはライバルも多いのです。アメリカ国立衛生研究所の資金的応援のもと、米国ハーバード大やカリフォルニア大、英国オックスフード大など欧米の研究機関・大学、さらにIBMやインテルなどのIT系企業もDNA解析技術の研究に取り組んでいます。今まで動きのなかった中国も、米国などから技術を導入し、研究機関を立ち上げようとしています。

世界のライバル研究機関に対する川合研究室の強みはどんなところですか?

まず、ゲーティングナノポア開発については、うちの研究室が世界初だということ。他の機関に一歩も二歩も先行しているというアドバンテージがあります。それから、優秀なスタッフが支えているということですね。研究活動には施設や装置も重要ですが、やはり研究を進めるのは人です。

自分の遺伝情報を持ち歩く技術

原動力は何でしょうか?

最先端に立とうという意欲、そして成し遂げた時の充実感でしょうか。苦労も多いですが、自分の前に広がる未開の地を切り開き、道を創り続けることに大きな誇りを感じます。

また、大学内だけでなく産学連携の研究も積極的に進めています。例えば、東レとの共同研究では、血中RNAの解析をもとにがんの早期発見につながる技術開発を行っていますし、東芝との共同研究では、新型ウィルスの高速解析に取り組んでいます。後者の研究は、新型ウィルスの早期発見、ワクチン開発の迅速化に貢献するものです。社会に役立ててもらうことで、研究活動にも一層弾みがつきます。

医学におけるQOL(クオリティ・オブ・ライフ)向上に貢献する取り組みですね。

最先端医療の分野では、早期発見への取り組み、治療技術の向上への取り組み、再生医療技術の高度化への取り組みという3ステップで、QOLの維持、向上を目指すという考えが進んでいます。その中でも、入院や手術などをせずにすむという点で、やはり早期発見が医療において最も大切だと思います。

ナノポアによる遺伝情報解析技術の利用法としては、例えばスマートフォンに専用の小型機器を設置し、自分のDNA塩基配列を自分の端末にデータとして保存しておくという構想を考えています。

病気の検査というと、病気の種類によっては、痛い注射を打って血液検査をするとか、検査入院をしなければならないなど、時間がかかったり苦痛を伴うような場合があります。 しかし、超小型の遺伝情報解析技術が普及すれば、かかりつけ医のところで、あるいは自宅で、例えば綿棒で口の中の粘膜を少し採取して装置を使うことにより、1日ほどで自分の遺伝情報が、それを元に最新の健康状態が分かるようになります。こうして健康に関する情報を更新していけば、つねに自分の体を知り、早期発見が可能となるのです。

1960年代、「人類が月に行く」という壮大な夢を実現したアポロ計画が科学技術の進歩を促したように、私たちは今、「ナノテクノロジーが牽引役となって、これからの人の暮らしがより素晴らしいものになる」と信じています。


(本記事の内容は、2012年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)