
植物に学ぶ触媒デザインで酸素発生触媒の高性能化に成功
人工光合成の実現に向けた金属錯体ポリマー材料の開発
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院工学研究科 博士前期課程(当時)の松﨑拓実さんと正岡重行教授、東京科学大学 理学院 化学系の近藤美欧教授と小杉健斗助教らの共同研究チームは、東京大学 物性研究所の木内久雄助教と原田慈久教授、産業技術総合研究所の研究チームと共同で、植物をヒントに、(1)身の回りに豊富に存在する鉄イオンを持ち、(2)水溶液中で駆動可能で、(3)高い耐久性と反応速度を示す酸素発生触媒を得ることに初めて成功しました。
エネルギー・環境問題を背景に、人工光合成技術の開発に期待が集まっています。特に、ボトルネックとなっている水の酸化による酸素発生反応(酸素発生反応)に対する良好な触媒の開発が望まれています。本研究では、金属錯体を用いたポリマー型酸素発生触媒材料の開発を行いました。植物の中に存在する天然の酸素発生触媒をヒントに、「多核金属錯体からなる活性中心」と「活性中心の周りの電荷伝達サイト」を含む触媒を開発しました。この触媒材料は、高い選択性で酸素発生反応を促進し、長時間にわたり安定で、繰り返しの利用も可能です。さらに、その触媒能を関連する触媒と比較すると、その触媒回転数が、10倍近く向上していることが分かりました。
この成果は、人工光合成の発展に寄与するとともに、光合成系機能の人工的再現を達成したという意味で重要です。同様の材料開発戦略により、水の酸化反応以外の人工光合成に関わるさまざまな反応に対する高性能な触媒材料が得られ、人工光合成の実現に向けて大きく貢献できると期待されます。
本成果は、3月5日付(英国時間)の「Nature Communications」誌に掲載されます。
研究の背景
現在人類が直面するエネルギー・環境問題を背景に、エネルギーをクリーンに生産する技術に期待が集まっています。その中でも、天然の光合成を概念的に模倣した人工光合成が大きな注目を浴びています。人工光合成とは、太陽光や太陽光から得られる電力を用いて水や二酸化炭素からエネルギーを作り出す反応のことを指します。
この反応は、酸化反応と還元反応の2つの半反応から構成されます。これらの半反応は自発的には進行しないため、反応を促進する触媒が必要となります。特に、酸化側の半反応である水の酸化による酸素発生反応(2H2O → O2 + 4H+ + 4e‒、以下では単に酸素発生反応と呼称)は、人工光合成におけるボトルネックであるとされ、この反応に対する良好な触媒の開発が望まれています。これまで、金属錯体を用い、酸素発生触媒を構築する試みが数多く行われてきました。しかしながら、(1)白金といった高価な金属ではなく鉄イオンのような身の回りに豊富に存在する金属イオンを持ち、(2)有機溶媒を用いず水溶液中で駆動可能で、(3)高い耐久性と反応速度を示す金属錯体触媒材料はこれまでに存在していませんでした。
研究の内容
本研究では、鉄錯体を用いたポリマー型酸素発生触媒材料(poly-Fe5-PCz)の開発を行いました。この材料は天然の光合成を担うタンパク質中に存在する酸素発生触媒をヒントに設計されました。天然の光合成における酸素発生触媒(図1a)では、マンガンイオンとカルシウムイオンからなる多核金属錯体が触媒反応の活性中心としての役割を果たしています。さらに、この活性中心の周りに複数のアミノ酸残基が存在し、これらのアミノ酸残基が反応の進行を助ける電荷伝達サイトとして機能することで、酸素発生反応が非常に効率よく進行します。つまり、「多核金属錯体からなる活性中心」と「活性中心の周りの電荷伝達サイト」が良好な触媒を得るための鍵と考えられます。そこで研究チームは、この「多核金属錯体からなる活性中心」と「活性中心の周りの電荷伝達サイト」という鍵をあわせもつ触媒を人工的に構築することを目指しました。
図1. 本研究で開発した触媒材料の概要。(a)天然の酸素発生触媒、ならびに(b)本研究で開発した酸素発生触媒の特長。いずれも多核金属錯体活性中心(緑色)と電荷伝達サイト(オレンジ色)を持つ。水分子(白い球2つと赤い球1つで表示)から酸素分子(赤い球2つで表示)が発生する際に、必要なホール(h+と表示)が電荷伝達サイトを介して伝達される。(c)本研究で開発した酸素発生触媒の合成戦略。
本研究では、5つの鉄イオンと有機配位子により構成される多核金属錯体にカルバゾールと呼ばれる部位を導入した新しい錯体(Fe5-PCz)を設計しました。カルバゾールは、電気化学的な条件下で2量化(2つの同一の物質が結合すること)し、ビスカルバゾールに変換されます。そして、このビスカルバゾールは電荷を伝達できることが知られています。よって、Fe5-PCzのカルバゾール部位を電気化学的に2量化すれば、多核金属錯体からなる活性中心の周りに電荷伝達サイトが配置された触媒(poly-Fe5-PCz)ができると考えました(図1b, c)。
すなわち、触媒能は落ちておらず繰り返しの利用が可能である。
Fe5-PCzを合成し電気化学反応を行ったところ、反応時間が経過するにつれて電極上にポリマー型触媒が形成されることが分かりました(図2a)。このポリマー型触媒に対して紫外可視吸収分光、赤外吸収分光、電気化学測定ならびに軟X線吸収分光を行ったところ、ポリマー型触媒中でのビスカルバゾール部位の形成と鉄5核錯体骨格の存在が確認され、目標とする材料(poly-Fe5-PCz)の構築が確認できました。次に、電気化学的インピーダンス(電荷の伝達されやすさ)測定を行い、ポリマー型触媒の電荷伝達能について調査しました。その結果、ビスカルバゾール部位の形成により、電荷伝達能が飛躍的に向上することが明らかになりました。
図2. (a)電気化学反応によりポリマー型触媒が電極表面上に生成していく様子が、電極の色の変化から分かる。
(b)ポリマー型触媒が示す高い安定性・再利用性。1サイクル目と5サイクル目とで、移動する電荷量は減衰していない。
次に、poly-Fe5-PCzの酸素発生能について検討しました。poly-Fe5-PCzを触媒として水溶液中での電気化学的な酸素発生反応を行ったところ、ほぼ定量的に反応が進行することが分かりました。加えて、このポリマー型触媒は12時間以上にわたって安定で、繰り返しの利用も可能でした(図2b)。さらに、錯体単体と反応前後のpoly-Fe5-PCzを放射光実験施設フォトンファクトリー(PF)のBL-7Aおよび3GeV高輝度放射光施設NanoTerasuのBL07Uで軟X線吸収分光により分析したところ、ポリマーの構造が触媒反応の前後で変化していないことも確認されました。そして、ポリマー型触媒の触媒能を、これまでに報告された水溶液中で利用可能な鉄錯体触媒と比較すると、その触媒回転数が10倍近く向上していることが分かりました(図3)。
また、触媒反応の速度も関連する触媒と比較して優れた値を示しました。すなわち、今回研究チームが開発したポリマー型触媒(poly-Fe5-PCz)は、(1)身の回りに豊富に存在する鉄イオンを持ち、(2)水溶液中で駆動可能で、(3)高い耐久性と反応速度を示す金属錯体触媒材料の初めての例であると言えます。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
天然の光合成系は、地球上に豊富に存在する資源を用いてクリーンにエネルギーを作り出す、まさに理想的なシステムであり、同等の機能を有する人工材料の開発には大きな意義があります。ただし、天然の光合成系の構造は非常に複雑であるため、その構造をそのまま再現することは極めて困難です。
そこで本研究では、天然の光合成系が良好な触媒能を有する鍵を「多核金属錯体からなる活性中心」と「活性中心の周りの電荷伝達サイト」と考察しました。そして、天然の光合成系の構造を真似するのではなく、天然の光合成系が良好な触媒活性を得るために持っている特長を真似する、という戦略によって、光合成系の機能を再現し、高性能な酸素発生触媒を得ることに成功しました。この成果は、エネルギー・環境問題の解決策として期待される人工光合成の発展に向けた一歩であるとともに、光合成系機能の人工的再現を達成したという意味で重要です。
図3. 本研究で開発したポリマー触媒と関連する鉄錯体触媒(Fe1-9)の触媒回転数の比較
今後の展開
本研究により、多核金属錯体活性中心とその周囲の電荷伝達サイトを用いることで、人工光合成を構成する酸化側の半反応に対する良好な触媒が得られることが明らかになりました。本研究を成功に導いた要因は、酸素発生反応に必要な化学変換と電荷移動を連動させたことにあります。水の酸化反応に限らず、人工光合成を構成するすべての半反応において、化学変換と電荷移動は重要な要素です。したがって、今後同様の戦略によって材料開発を行うことで、還元側の半反応(水の還元反応、二酸化炭素還元反応、窒素還元反応)に対する高性能な触媒材料が得られ、人工光合成の実現に向けて大きく貢献できると期待されます。
特記事項
掲載誌:Nature Communications
論文タイトル:Iron-Complex-Based Catalytic System for High-Performance Water Oxidation in Aqueous Media
著者:Takumi Matsuzaki, Kento Kosugi, Hikaru Iwami, Tetsuya Kambe, Hisao Kiuchi, Yoshihisa Harada, Daisuke Asakura, Taro Uematsu, Susumu Kuwabata, Yutaka Saga, Mio Kondo, Shigeyuki Masaoka
DOI:10.1038/S41467-025-57169-Y
本研究は、以下の支援を受けて行われました。
・JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「金属錯体触媒の精密配列に基づく反応場の自在構築と正と負の触媒効果」(JPMJPR20A4)
・JST 創発的研究支援事業「革新的物質変換に向けた協奏的機能統合戦略」(JPMJFR221S)
・JST 戦略的創造研究推進事業 CREST「金属原子配列構造の超精密制御に基づく分子ナノメタリクスの創成」(JPMJCR20B6)
・科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 「超セラミックス」(22H05145、23H04628)
・科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 「グリーン触媒」(23H04903)
・科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 「化学構造リプロ(SReP)」(24H02212)
参考URL
SDGsの目標
用語説明
- 金属錯体
金属イオンと有機分子が結合した構造を持つ化合物。その中でも、構造中に金属イオンを複数含む化合物のことを多核金属錯体と呼ぶ。
- 活性中心
触媒材料中において触媒反応が起こる場所。金属錯体材料では、金属イオンが活性中心となることが多い。
- 電荷伝達サイト
触媒材料中において、酸素発生反応などに必要な電荷を供給する場所。本研究では、ビスカルバゾール部位が該当する。
- 人工光合成
太陽光エネルギーを用いて水と二酸化炭素からエネルギー源を生成する植物の光合成反応を人工的に模倣した反応のこと。太陽光のエネルギーを貯蔵可能な化学エネルギー(水素、アンモニア、メタノール)へと変換できる。
- 水の酸化による酸素発生反応(酸素発生反応)
水分子から電子が放出される(酸化)ことによって酸素が発生する反応のこと。具体的には、下記の化学反応式で表される反応。
2H2O→O2+4e-+4H+
- 触媒回転数
1個の触媒分子が、不活性化する前に生成物に変換できる分子数のこと。触媒の安定性(寿命)を表す。
- 軟X線吸収分光
物質の非占有電子状態を調べるのに有効な手法で、元素選択性があることが大きな特徴。物質を構成する元素が置かれる局所構造や化学状態に関する知見を取得できる。
- 放射光実験施設フォトンファクトリー(PF)
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構(KEK)のつくばキャンパスにある放射光施設。
- 3GeV高輝度放射光施設NanoTerasu
宮城県仙台市 東北大学青葉山新キャンパス内にて整備が進められ、2024年4月に稼働を開始した中型放射光施設。国の主体機関である国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)と一般財団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)を代表機関とする宮城県、仙台市、国立大学法人東北大学、一般社団法人東北経済連合会からなる地域パートナーで構成され、費用負担も含めた役割分担の元で整備が進められている。