新たなキラル対称性の破れ現象を発見

新たなキラル対称性の破れ現象を発見

生命の分子の“向き”の謎を解明する手がかりに

2025-8-19自然科学系
基礎工学研究科助教桶谷 龍成

研究成果のポイント

  • 有機分子「フェノチアジン誘導体」のアキラル結晶が、分子のキラリティを反転させながらキラル結晶へと構造転移する新しいキラル対称性の破れ現象を発見
  • 溶液中の現象のため完全なモデル化が困難であった従来の例とは異なり、溶媒を必要としないシンプルな系で進行することから、モデル研究や、生命のホモキラリティの謎を解明する重要なプラットフォームとして期待

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科の岡田武蔵さん(博士前期課程2年)、桶谷龍成助教、久木一朗教授、同大学院工学研究科の髙司健太郎さん(博士前期課程2年)、重光孟講師、木田敏之教授、大阪公立大学大学院理学研究科の中嶋琢也教授らの研究グループは、キラルなフェノチアジン誘導体のアキラル結晶が、分子のキラリティを反転しつつ単結晶性を維持したままキラル結晶へ構造転移する現象を発見しました(図1)。この現象は溶媒を必要とせず、完全に結晶中で進行する新たなキラル対称性の破れ現象となります。

これまで化学分野における非平衡開放系のキラル対称性の破れ現象は、優先富化ビエドマ熟成が知られていました。いずれも溶液中の現象であり、大量の溶媒分子と少量の溶質分子が複雑に入り乱れるため、キラル対称性の破れの完全なモデル化は困難でした。

今回、研究グループは、分子内でキラリティが容易に反転するフェノチアジン誘導体を利用して、アキラル結晶からキラル結晶へ構造転移する第三のキラル対称性の破れ現象を発見しました。この現象は従来のものとは異なり、完全に1つの結晶中で進行する極めてシンプルな現象であるため、キラル対称性の破れの原理やその先にある、生命のホモキラリティの謎を解明する手がかりになります。また類似の現象を示すものとして塩素酸ナトリウムが知られていますが、こちらは構成要素にキラリティをもたない点で本系とは異なります。本研究では単一の分子にキラリティがあることから、分子レベルでのキラル対称性の破れ現象の理解に貢献できる成果です。

本研究成果は、英国王立化学会の「Chemical Science」に、8月19日(火)18時(日本時間)に公開されました。

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図1. 本研究で使用した分子の構造(上)と分子内でキラリティが反転することで起こる、アキラル結晶からキラル結晶への構造転移(下)のモデル図。

研究の背景

キラル化合物は通常、鏡像の関係にある右手型の分子と左手型の分子がペアとなって存在しています。しかし、地球上の生命体を構成するアミノ酸や糖はキラル化合物であるにも関わらず、生体内には片方の分子しか存在していません。これを「生命のホモキラリティ」といい、その理由や原因は多くの科学者によって長年研究されてきましたが、いまだ解明されていません。
これまで、化学分野において、キラル化合物がペアの状態から片方だけの状態に変化する「キラル対称性の破れ現象」が2種類報告されてきました。この現象の原理を解明することで、生命のホモキラリティの理解に近づくと考えられています。しかし、いずれも溶液中の現象であり、溶液中では少量のキラル分子と多量の溶媒分子が常に激しく運動しており複雑に入り乱れるため、キラル対称性の破れがなぜ起こるのか、どのように起こるのかという原理の解明には至りませんでした。

研究の内容

研究グループは、アキラル結晶とキラル結晶が報告されており、分子のキラリティが容易に反転する有機分子「フェノチアジン誘導体」に着目し、結晶間の構造転移について熱分析やX線回折法などの方法で詳細に調べました。その結果、準安定なアキラル結晶から安定なキラル結晶に結晶性を維持したまま構造転移することを発見しました。この現象は結晶中で、キラル分子がペアの状態から片方の状態に自発的に変化する、単結晶中で進行する新たなキラル対称性の破れ現象となります。従来の現象では右手型と左手型のどちらに対称性が破れるかは完全にランダムでした。今回の研究内容ではさらに、右手型もしくは左手型のどちらのキラル結晶に構造転移するかを、種結晶を使用することで制御することにも成功しました。

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図2. ①実際の構造転移の様子と、②X線回折法の結果から考えられる構造転移のメカニズムのモデル図。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

準安定なアキラル結晶から安定なキラル結晶に結晶性を維持したまま構造転移することは従来のものとは異なり、対象のキラル分子以外に溶媒や不純物を必要とせず、完全に1つの結晶中で進行する極めてシンプルな現象です。さらに、結晶であるためX線回折法などにより構造転移に伴う分子の運動を可視化することができます。そのため、この現象をモデル化することでキラル対称性の破れ現象の原理やその先にある、生命のホモキラリティの謎を解明する手がかりなると考えています。さらにキラル結晶への構造転移に伴い、円偏光発光(CPL)特性も発現するため、構造転移をトリガーとするターンオン型の円偏光発光材料としての実用化も期待されます。

特記事項

本研究成果は、2025年8月19日(火)18時(日本時間)に英国王立化学会の「Chemical Science」(オンライン)に掲載されました。Chemical Science誌はオープンアクセス誌のためどなたでもアクセスできます。

タイトル:“Spontaneous chiral symmetry breaking in a single crystal”
著者名:Ryusei Oketani, Musashi Okada, Ichiro Hisaki, Takaji Kentaro, Hajime Shigemitsu, Toshiyuki Kida, Takuya Nakashima
DOI:https://doi.org/10.1039/D5SC02623G

なお、本研究は、JSPS科研費(23K13708, 23H04593, 22H05134, 24K01468, 25H01626, 25K01728)、JST ACT-X(JPMJAX22A2)の一環、第一三共はばたく次世代プログラム、池谷科学技術振興財団、大阪大学大学院基礎工学研究科未来ラボシステムの支援等により実施されました。研究データの一部は文部科学省先端研究基盤共用促進事業(コアファシリティ構築支援プログラム)JPMXS0441200024で共用された機器を利用して得られました。奈良先端科学技術大学院大学の河合壮教授にはCPL測定の検討でご協力いただきました。

参考URL

SDGsの目標

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用語説明

アキラル結晶

キラル結晶ではない結晶。キラル化合物では一対のエナンチオマーから構成される結晶。

キラリティ

ある物体がその鏡像と重ね合わせることができない性質。銀河の渦から分子レベルまで非常に幅広いスケールで見られる性質であり、この性質をもつ化合物をキラル化合物、分子をキラル分子という。特に、互いに鏡像の右手型と左手型の分子をそれぞれエナンチオマーと呼ぶ。また右手型と左手型の1対1の混合物をラセミ体とよぶ。

キラル結晶

キラリティの性質をもつ結晶。キラル化合物では一方のエナンチオマーのみで構成される結晶。

構造転移

温度や光などの外部刺激により、結晶中の分子の配列や構造が変化すること。

キラル対称性の破れ現象

キラル分子がペアで存在している状態から、一方のエナンチオマーのみで構成されている状態に変化すること。

生命のホモキラリティ

地球上の生命を構成するアミノ酸や糖などのキラル分子は一方のエナンチオマーのみで構成されていること。

優先富化

高過飽和なラセミ体溶液を結晶化すると、一方のエナンチオマーが溶液側に濃縮される現象。

ビエドマ熟成

ラセミ体の懸濁液を攪拌し続けて溶解と析出を繰り返していくうちに、懸濁液中の結晶が徐々に一方のエナンチオマーに偏っていく現象。

X線回折法

結晶にX線を照射して、回折したX線を検出することにより、その結晶がどの分子で構成されているか、どのような分子の配列や構造を取っているかを明らかにする測定手法。

種結晶

結晶を成長させるときに核(スタート地点)となる小さな結晶のこと。複数の形の結晶をもつ化合物の結晶を作る際に、種結晶を加えることで、同じ性質の結晶が優先的に成長することがある。

円偏光発光(CPL)

光の振動がらせん状に進む発光。キラル分子が示しうる特性。