カゴメ文様に秘められた磁場中分数量子状態
フラストレーションと量子揺らぎで安定化するカゴメ磁性体の1/3磁化プラトーを発見
研究成果のポイント
- 磁性元素を日本の伝統的幾何学文様であるカゴメ編みに織り込んだ新規量子磁性体の開発に成功。
- 強磁場中の精密磁化測定により、磁場に反応しない磁場中分数量子状態(磁化プラトー状態)を発見。
- 新物質開発・強磁場精密計測・理論解析の協調による新規量子状態探索研究の進展に期待。
概要
北海道大学大学院理学研究院の吉田紘行教授、北海道大学大学院理学院博士後期課程2年の加藤萌結氏、大阪大学大学院理学研究科の萩原政幸教授、中澤康浩教授、鳴海康雄准教授、東京理科大学の森田克洋助教らの研究グループは、カゴメ構造を有する新物質InCu3(OH)6Cl3を合成し、飽和の1/3に磁化の値が量子化する1/3磁化プラトー状態(磁場に反応しない磁場中量子状態)の発見に成功しました。
フラストレーションと量子揺らぎが顕著に働くカゴメ反強磁性体では、強い磁場中で磁化プラトー状態が実現すると理論予想が重ねられてきました。しかし、モデル物質の欠乏、超強磁場中での精密計測の必要性、磁化過程が有限温度で鈍ること(有限温度効果)が三重苦となり、世界的に極めて盛んに物質探索や理論研究が展開されてきたにもかかわらず、量子カゴメ反強磁性体で明瞭な1/3磁化プラトーを観測することは困難でした。
本研究では、相互作用の弱い新規量子カゴメ反強磁性体の物質開発、強磁場下での精密磁化計測、有限温度効果を取り込んだ理論解析の有機的な協働によって、これら三重苦を克服し、長年理論によって予想され、その存在が議論されてきた1/3磁化プラトーの明瞭な観測に成功しました。今後の研究により、未解明に残されてきたといっても過言ではない量子カゴメ反強磁性体の1/3プラトーの実験的な解明が進むと期待されます。
超伝導や超流動の発見と同様に、新しい量子状態の発見は物質科学に大きな発展をもたらします。本研究でのデモンストレーションをきっかけとして、フラストレーションと量子揺らぎに基づいた新しい磁場中量子状態の探索研究が進展し、量子物質科学の発展に貢献すると期待されます。
なお、本研究成果は、2024年12月28日(土)公開のCommunications Physics誌に掲載されました。
図. カゴメネットワーク(構造中の黒い実線)を有する新規物質InCu3(OH)6Cl3と観測された1/3磁化プラトー
研究の背景
フラストレーションとは心理学からきた言葉で、辞書によれば「欲求が何らかの障害によって阻止され、満足されない状態にあること」とあります。現代物理学で市民権を獲得した幾何学的磁気フラストレーションとは、正三角形の頂点にある電子スピン(最小の磁石。慣例的に図1のように矢印で示す。)間に反対方向を向く力(反強磁性相互作用)が働く時に、全てのスピン間の相互作用エネルギーを満足するスピン配置をとることができない状況を指します。辞書に従って言い換えれば「隣あったスピンには互いに逆方向を向きたいという欲求があるにもかかわらず、三角形という幾何学が障害となって、それが満たされない状況」を意味します。
日本に古くから伝わるカゴメ文様は、正三角形が頂点を共有したネットワークであり、この構造を有する反強磁性体では強いフラストレーションが働くことが知られています。世界的にもkagomeの名称で呼称され、極めて盛んに研究が行われています。一般に、フラストレートした磁性体では、電子スピンが上下上下…のような配列をとる磁気秩序の形成が抑制されることが知られています。特に、量子力学的な性質が顕著な量子カゴメ反強磁性体では絶対零度で量子もつれを伴う量子スピン液体の実現が予想され、量子コンピューティングへの応用も期待されるなど、大きな注目を集めています。
零磁場での量子スピン液体の形成に加えて、量子カゴメ反強磁性体では磁場中での特異な量子状態の形成に強い興味が持たれています。代表的なものが、磁場中で磁場に反応しない量子状態(磁化プラトー)であり、量子スピン液体と考えられる1/9磁化プラトー、磁気準粒子(磁気秩序からの乱れを粒子とみなしたもの)の結晶状態(マグノン結晶)である1/3、5/9、7/9磁化プラトーなどが逐次的に生じると予想されてきました。
しかし、量子カゴメ反強磁性体を実現する物質が数少ないこと、飽和磁化までの全磁化過程を調べるためには磁気相互作用の3倍程度の超強磁場(典型的な50ケルビン程度の磁気相互作用に対して、150テスラ程度の超強磁場)が必要であること、プラトーを大きく鈍らせる有限温度効果を考慮する必要があることが三重の困難となり、磁化プラトーの明確な観測例はほとんどありませんでした。
研究の内容
研究グループは、物質的欠乏を解決するべく水熱合成法を応用することにより、量子カゴメ反強磁性体の新物質InCu3(OH)6Cl3の開発に成功しました。InCu3(OH)6Cl3の磁気相互作用は他のモデル物質に比べて小さいため、全磁化過程の計測に必要な磁場を35テスラ程度にまで抑制することができました。さらに、有限温度効果を取り入れた直交有限温度ランチョス法により磁化過程の理論解析を行いました。このようにして、磁場中量子状態探索の障害となっていた上述の困難の解決に成功しました。
本研究では、新規量子カゴメ反強磁性体InCu3(OH)6Cl3の強磁場中での精密計測により、長年理論によって予想され、その存在が議論されてきた1/3磁化プラトーの明瞭な観測に成功しました。一般的に有限温度ではプラトーは鈍り、その同定は難しくなりますが、本研究では有限温度効果を取り込んだ理論解析を行うことで、プラトー相(8~14テスラ)を同定し、飽和までの磁気相図(図2)を提案しました。これは、有限温度でのプラトーの観測のされ方、評価の仕方をデモンストレーションしたことに相当します。さらに、プラトー近傍領域では、絶縁体であるにもかかわらず比熱に温度比例項が観測されました。このことは、プラトー近傍で特異な磁気準粒子が生じていることを示しています。プラトーの観測例はごく限られており、また超強磁場中では通常の測定手法での物性評価が難しいため、プラトー状態の実験的解明はこれまで進んでいませんでした。本物質では、熱測定や核磁気共鳴、中性子などの様々な手法でプラトー相にアクセスすることができるため、プラトーの実験的理解を本質的に深めていくことが可能になると期待されます。
図1. カゴメネットワーク上の電子スピン(矢印)間に反強磁性相互作用が働く際に、磁気フラストレーションが生じる。
図2.本研究で提案する量子カゴメ反強磁性体InCu3(OH)6Cl3の温度磁場相図。1/3プラトー相の高磁場境界近傍で比熱に温度比例項が観測される
今後への期待
超伝導や超流動の発見と同様に、新しい量子状態の発見は科学に大きな発展をもたらします。今後の研究により、未解明に残されてきたといっても過言ではない量子カゴメ反強磁性体の1/3プラトーの微視的状態の実験的な解明が進むと期待されます。本研究でのデモンストレーションをきっかけとして、フラストレーションと量子揺らぎに基づいた新しい磁場中量子状態の探索研究が進展し、量子物質科学の発展に貢献すると期待されます。
特記事項
【論文情報】
論文名 One-third Magnetization Plateau in Quantum Kagome Antiferromagnet(量子カゴメ反強磁性体における1/3磁化プラトー)
著者名 加藤萌結1、鳴海康雄2、森田克洋3、松下能孝4、福岡脩平1、山下智史2、中澤康浩2、小田研1、林 浩章4,5、山浦成4,5、萩原政幸2、吉田紘行1(1北海道大学大学院理学研究院、2大阪大学大学院理学研究科、3東京理科大学創域理工学部、4物質・材料研究機構、5北海道大学大学院総合化学院)
雑誌名 Communications Physics
DOI 10.1038/s42005-024-01922-0
公表日 2024年12月28日(土)(オンライン公開)
本研究はJSPS科研費 JP19H01832、JP21H01035、JP23H04871の助成を受けたものです。
用語説明
- カゴメ反強磁性体
カゴメ磁性体は、日本の伝統的幾何学文様であるカゴメ構造上に磁性を担う電子スピンを配置した磁性体である(図1)。中でも、カゴメ反強磁性体は、電子スピン間に反対方向を向く力が働くため、磁気フラストレーションが顕著に働く。
- 量子スピン液体
一般の磁性体では、温度を冷やすと電子スピン間の相互作用程度の温度で磁気秩序(スピン固体)を形成する。強い量子揺らぎやフラストレーションが働く場合、磁気秩序の形成が抑制される。その結果、絶対零度でもスピンがゆらゆらと揺らぎ続ける量子力学的な状態の形成が予想されており、この状態をスピン固体と区別して「スピン液体」と呼んでいる。
- 水熱合成
水熱反応とは広義には、100℃、1atm以上の熱水が関与する化学反応を総称するもの。特に、374℃、218atm以上の超臨界状態における水熱反応では水の溶解度が飛躍的に増大することや水の触媒作用の向上により化学反応が著しく促進し、新規物質や単結晶を得ることが可能となる。