水分子と協奏しながらリン酸を捕まえる環状分子を開発
研究成果のポイント
水中でリン酸を選択的に捕捉する新たな環状オリゴ糖(シクロデキストリン)分子を開発し、さらに、この環状分子が水分子と調和しながらリン酸を捕まえる詳細なメカニズムを明らかにしました。水分子と物質の相互作用の解明に寄与し、水環境で機能する材料開発への貢献が期待される成果です。
概要
環状の分子は、その内孔に特定の分子を取り込むことから、分子センサーなどとして利用されています。特に、水の中で特定の分子を精密に認識して捕まえることは、医薬品開発や環境科学などの分野で重要とされています。環状分子が分子を捕まえるのに用いる重要な分子間相互作用に、水素原子を仲立ちにして隣接する分子同士が引き合う水素結合があります。しかし水が存在する環境下では、水分子が水素結合部位に「競争」的に作用するため、水中で水素結合によって分子を認識する環状分子を開発することはチャレンジングな課題でありました。
本研究では、水分子との「協奏」的な相互作用により、水素結合を用いた精密な分子認識を実現する新しい環状分子を開発しました。具体的には、水素結合部位としてアミド基(-CONH-)を多数導入した新しいシクロデキストリン(環状オリゴ糖)を合成しました。この分子は水中でリン酸を捕捉する一方で、スルホン酸やカルボン酸とは結合せず、優れた選択性を示しました。そして、核磁気共鳴(NMR)分光法、等温滴定熱測定(ITC)、分子動力学(MD)シミュレーションを駆使した解析により、環状分子が水分子と調和しながら多点水素結合によってリン酸を選択的に捕まえる詳細なメカニズムを明らかにしました。
本研究の成果は、新しい環状分子の設計指針を示しただけでなく、水分子と物質の相互作用の解明に寄与し、水環境で機能する材料の開発に大きく貢献するものです。
研究の背景
環状の分子は、その内孔に特定の分子を取り込むことから、分子センサーなどとして利用されています。特に、生体内や身近な環境には水が必ず存在しているため、水の中で特定の分子を精密に認識して捕まえることが医薬品開発や環境科学などの分野では重要だとされています。環状分子が分子を捕まえるのに用いる重要な分子間相互作用に水素結合があります。しかし水が存在する環境下では、水分子が環状分子や捕まえる対象分子の水素結合部位に競合します。このため、水中にある分子を水素結合で認識して捕まえる環状分子を開発することはチャレンジングな課題でありました。
研究の内容
本研究では、水分子と調和しながら水素結合を用いた精密な分子認識を実現する新しい環状分子を開発しました。具体的には、アミド基を多数もつ新しいシクロデキストリンを合成しました。この分子は水中でリン酸アニオンを捕捉する一方で、スルホン酸アニオンやカルボン酸アニオンとは結合せず、優れた選択性を示しました(図a)。
次に、この分子認識のメカニズムを明らかにするため、フェニルリン酸とアダマンチルリン酸という、異なる疎水基をもつ2種類のリン酸を用いて、実験的手法と理論的手法の両方を組み合わせた詳細な解析を行いました。
まず、核磁気共鳴(NMR)分光法を用いた解析により、リン酸がシクロデキストリンの内孔のどの位置に捕えられるかが明らかになりました。フェニルリン酸はアミド基側に位置して、アミドのN-Hとの水素結合がリン酸の結合に関与することが支持されました。一方で、大きな疎水基をもつアダマンチルリン酸は環状分子の糖骨格側に位置して、疎水基と環状分子内孔との相互作用がより働いている可能性が示唆されました(図b)。
次に、等温滴定熱測定(ITC)で、シクロデキストリンとリン酸との結合に伴う熱量変化を求めました。その結果、疎水基の違いで吸熱/発熱反応の様子が大きく異なることが明らかになりました。さまざまな温度で測定を行い、熱力学パラメータを算出したところ、フェニルリン酸の場合はリン酸の結合に伴い水分子のエントロピーが減少する一方で、アダマンチルリン酸の場合は水分子のエントロピーが増加することが示されました(図c)。
そして、水分子を溶媒として含めた分子動力学(MD)シミュレーションによって、環状分子がリン酸アニオンを内孔に捉える状態を解析することで、水素結合の詳細な描像が明らかになりました。アダマンチルリン酸の場合は、水分子が疎水基の周りから排除される通常の疎水効果が働いていると解釈される結果でした。一方でフェニルリン酸の場合は、より多くの数の水分子がリン酸基と水素結合しながら、環状分子のアミド基とリン酸基との多点水素結合が働いており、水分子と調和しながらリン酸アニオンを捕まえる興味深い様式が見出されました(図d)。
図. 水中でリン酸アニオンを捕まえる環状分子の開発とその分子認識メカニズムの解明
(a) 本研究で開発した多数のアミド基をもつシクロデキストリンの構造とアニオン選択性
(b) 核磁気共鳴(NMR)分光法によるリン酸の包接構造の解析
(c) 等温滴定熱測定(ITC)によるリン酸の結合に伴う反応熱の測定
(d) 分子動力学(MD)シミュレーションによる分子間の水素結合様式の解明
今後の展開
研究は、水分子との「競争」に打ち勝つのではなく、水分子との「協奏」的な作用によって、水素結合による分子認識を実現する新しい環状分子の設計指針を示しました。また、水分子と物質の相互作用の詳細なメカニズムを解明した本研究は、水環境で機能する材料の開発に広く貢献すると期待されます。
特記事項
【論文情報】
【題 名】 Amide Cyclodextrin That Recognises Monophosphate Anions in Harmony with Water Molecules(水分子と調和してモノリン酸アニオンを認識するアミドシクロデキストリン)
【著者名】 Takashi Nakamura,* Hayato Takayanagi, Masaki Nakahata,* Takumi Okubayashi, Hitomi Baba, Yoshiki Ishii, Go Watanabe,* Daisuke Tanabe, and Tatsuya Nabeshima
【掲載誌】 Chemical Science
【掲載日】 2024年11月22日
【DOI】 10.1039/D4SC04529G
本研究は、科研費 新学術領域研究「水圏機能材料」(19H05714, 19H05718, 19H05719, 20H05202, 22H04519)の研究プロジェクトの一環として実施されました。また、科研費(21H01946, 22K05124), JST ACT-X(JPMJAX23D3), JST CREST(JPMJCR23O1)、クリタ水・環境科学振興財団(23H033, 24H021), 旭硝子財団, 北里大学学術奨励資金の支援を受けて実施されました。分子動力学シミュレーションは、自然科学研究機構 岡崎共通研究施設 計算科学研究センターのスーパーコンピュータ(22-IMS-C043, 23-IMS-C038)およびHPCIシステム利用研究課題(hp230083, hp230132)を通じて、北海道大学が提供するスーパーコンピュータGrand Chariot、大阪大学が提供するスーパーコンピュータOCTOPUSを使用して実施されました。
SDGsの目標
用語説明
- 水素結合
酸素原子や窒素原子などの電気陰性度の高い原子に結合した水素原子と、他の電気陰性度の高い原子との間に働く、N-H ··· Oや O-H ··· O などの引力的な相互作用。水の物性には水分子同士の水素結合が重要な役割を果たしている。
- アミド基
カルボン酸(-COOH)とアミン(-NH₂)が結合してできる(-CONH-)の形を持つ官能基。タンパクはアミノ酸同士がアミド結合によって連結したものである。アミド基のNHの部分で他の電気陰性度の高い原子と水素結合を形成することができる。
- アニオン
負の電荷を持つイオン(陰イオン)。リン酸は中性付近のpHではアニオンとして存在する。
- 核磁気共鳴(NMR)分光法
核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance)を用いた、主に有機分子の構造を調べるための分析方法。試料に対して強力な磁場を印加しながら、水素などの原子の核が共鳴する電磁波の周波数を測定する。対象とする原子の結合様式や他の原子との間の距離に関する詳細な情報を得ることができる。
- 等温滴定熱測定(ITC)
等温滴定熱測定(Isothermal Titration Calorimetry)は、一定温度下で二つの溶液を滴定して混合する際に分子同士が結合して生じる微小な熱量変化を測定する手法。対象とする分子同士の結合の強さや、反応にともなう熱エネルギー変化、系のエントロピーの変化を求めることができる。
- エントロピー
系の「乱雑さ」を表す物理量。分子の動きが束縛されているとエントロピーは小さく、分子が自由な配置を取れるとエントロピーは大きくなる。
- 分子動力学(MD)シミュレーション
分子動力学(Molecular Dynamics)シミュレーションは、コンピュータを用いて物質の動的な構造変化を時々刻々と計算する手法。対象の原子や分子に対して古典力学におけるニュートン運動方程式を数値的に解くことによって計算される。