ライマンアルファの森の バリオン音響振動(BAO)ピークシフトを高精度で検出

ライマンアルファの森の バリオン音響振動(BAO)ピークシフトを高精度で検出

さらに精緻な宇宙論パラメータ測定に期待

2024-10-3自然科学系
理学研究科教授長峯 健太郎

研究成果のポイント

  • 宇宙の大規模構造を解明する重要な手がかりであるバリオン音響振動 (Baryon Acoustic Oscillation; BAO)について、これまで知られていなかったピークシフトが存在することを統計的に高い精度で発見。
  • これまでにも銀河間物質をトレースするライマンアルファの森 (Lyman alpha forest)のデータからBAOを利用して宇宙論パラメータが導出されてきたが、小スケールにおける物理過程が無視されていたため、不正確な結果しか得られていなかった。
  • 今後、この効果を考慮し宇宙論研究を行うことで、ダークマターやダークエネルギーなどに関する宇宙論パラメータの解析と測定がさらに精密で正確になることが期待される。

概要

大阪大学大学院理学研究科の長峯健太郎教授、奥裕理さん(研究当時:大学院生、現在:浙江大学(中国) 博士研究員)は、スペインのカナリアス宇宙研究所(IAC)、ラ・ラグーナ大学のフランシスコ・シュウ・キタウラ氏(Francisco-Shu Kitaura)、スイスのジュネーブ大学のフランチェスコ・シニガーリア氏(Francesco Sinigaglia)との共同研究により、宇宙論的シミュレーション(スーパーコンピュータを用いた数億光年にわたる大規模な領域の宇宙論的スケールにおける構造形成の進化に関するシミュレーション)を用いて、ライマンアルファの森の音響振動ピークのシフトを世界で初めて統計的に高い精度で発見しました。

この重要な発見は、宇宙論的流体力学シミュレーションに対して較正された解析的モデルを用いて生成された、1千個の「高速」宇宙論的シミュレーションからの予測値を平均化することによって達成されました。(図1の概念図を参照。)

本研究の主な結論は、BAOのピークにこれまで知られていなかった系統的なシフトがあることを発見し、今後の宇宙論研究でバイアスのない結果を得るためには、解析過程でこの効果を考慮する必要があるということを示したことです。これにより、ダークマターやダークエネルギーなどに関する宇宙論パラメータの解析と測定がさらに精確になることが期待されます。

本研究成果は、権威ある学術誌であるアストロフィジカルジャーナルレターズ(Astrophysical Journal Letters)に、2024年8月7日に出版されました。

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図1. いくつものBAOを重ね合わせて作成した概念図。ある特定のBAOピークスケールにおいて密度が高くなっている(明るい部分)ことがわかる。

研究の背景

現在の観測によると、我々の宇宙は主にダークマター(~24%)とダークエネルギー(~73%)で構成されており、バリオン(いわゆる「普通の」物質)は全エネルギー密度のわずか~4%を占めるに過ぎません。ダークエネルギーは、宇宙を加速膨張させる原因ともなっています。宇宙の大規模構造は、これらの要素の相互作用によって決まると考えられています。

宇宙における構造形成を理解する上で、バリオンが重要な役割を果たしています。なぜなら、宇宙の進化に関するほとんどの制限は、銀河や銀河間物質などのバリオンからなる探索対象から得られているからです。そして、これらは光を発するほぼ唯一の要素であり、望遠鏡で観測可能です。現在の最先端の宇宙論的な数値シミュレーションでは、これらの過程を現実的に計算することが可能になってきています。

様々な宇宙論的な探査手法の中で、最も顕著なもののひとつが、いわゆるバリオン音響振動(Baryon Acoustic Oscillation; BAO)です。BAOとは、初期宇宙において物質と光のプラズマが振動する現象で、この波の痕跡が銀河やガスの分布に影響を与えて、銀河同士の平均距離に特徴的なスケール、すなわち「BAOスケール」が生じます。このBAOスケールは与えられた宇宙論モデルにおいて理論的に計算することができるため、銀河分布の観測と比較すれば、宇宙の膨張速度やその歴史を詳しく知ることができます。その精度と信頼性から、BAOスケールは宇宙における「標準的物差し」として機能し、観測データから宇宙論パラメータを測定するために広く用いられています。

研究の内容

研究グループは、高赤方偏移クェーサーのスペクトルに刻まれた一連の吸収線であるライマンアルファの森を宇宙論的シミュレーションを用いて計算し、それによって中性水素分布からBAOのピーク位置のシフトを初めて検出しました。これは線形理論の計算結果に対する微小(数%)な負のシフトで、ライマンアルファの森を生じるガス雲が、銀河間空間の比較的密度が低い領域に存在することと関連しています。

本研究では、二つの異なるタイプの宇宙論的シミュレーションを用いました。一つ目のタイプは、スーパーコンピューターにおいて約20万CPU時間を必要とする、計算コストが高い宇宙論的流体シミュレーションで、星形成や超新星爆発フィードバックの効果も入っています。大阪大学のグループは、この高コストの宇宙論的流体シミュレーションを、大阪大学サイバーメディアセンターのSQUIDで実行し、その基礎データを処理してから共同研究グループに提供しました。二つ目のタイプのシミュレーションは、ラグランジュ的摂動論を用いた高速シミュレーションで、同じ共同研究チームが以前開発した複雑な解析的モデルを利用して実行されました。この高速シミュレーションは、驚くべきことに標準的なノートパソコンでそれぞれ5分もかからずに実行できますが、事前に前述の高コストの宇宙論的流体シミュレーションを用いて比較較正しておかなければなりません。上述のBAOに関する画期的な発見は、宇宙論的な大きな体積をそれぞれカバーする1千個の高速シミュレーションを実行することによって統計的誤差を抑えて初めて可能になりました。

ジュネーブ大学のシニガーリア氏は、「この結果が宇宙論の研究分野に強いインパクトを与えるだろうと期待しています。この効果はこれまで研究されておらず、観測的宇宙論分野における重要なマイルストーンとなるでしょう。」と話しています。

IACのキタウラ氏は、「我々は、宇宙のボイドに関連した先行研究における知見に基づいて、このBAOシフトを検出することに自信を持っていました。本研究で得た知見を活用して、この効果を宇宙論的解析にどのように取り入れるかを探求することに非常に興奮しています。」と語っています。

また、今回の発見は、1千回の高速シミュレーションから得られた計算値を平均化することによって達成されました。(図1の概念図を参照。)「このようなシミュレーションを行うのは容易なことではありません。私たちは、ライマンアルファの森を素早く計算するために、長年かけて開発したモデルを用いていますが、これらのモデルは、より複雑で計算コストが高い流体シミュレーションを用いて較正されていなければなりません。すべての異なる観測的プローブを使いこなすには、さまざまな研究チームが数値計算と解析に協調して取り組む必要があります。」とキタウラ氏は付け加えています。

当初の予想通り、ライマンアルファの森を素早く正確に予測するためには、高コストの宇宙論的シミュレーションが不可欠でした。研究グループは、流体シミュレーションの中でも最大級の体積を持ち、かつ統計的誤差を抑えることができる工夫を施したペアとなる宇宙論的流体シミュレーションを実行しました。さらに、実行したシミュレーションの結果を、本研究に適した形で解析できるように後処理も行いました。

BAOは、宇宙論にとって基礎的な測定であり、バイアスのない測定を行うためには、潜在的な系統的効果を理解し、考慮することが不可欠です。BAOの理論的理解を深めることは、大規模銀河サーベイのデータを精確に解析するために極めて重要です。これまで、ライマンアルファの森におけるBAOは、この微妙な効果を考慮せずに解析されてきました。しかし、観測データの精度が上がり、我々はこの効果に敏感になり始めています。我々は前例のない精密宇宙論の時代に突入していて、本研究成果によって今後さらに精確な宇宙論パラメータを測定することが可能になります。

今後、研究グループは、発見したBAOシフトをさまざまなシナリオのもとでさらに特徴づけ、BAOからシフトを除去し、BAOピークの幅を縮める枠組みを開発する予定です。このアプローチは、ライマンアルファの森を利用する宇宙論の分野ではまだ適用されたことがありません。さらに、研究チームは現在、全天をカバーする何百もの大規模なライマンアルファの森の模擬カタログを作成しています。新たに同定された効果を組み込んだこれらの模擬カタログは、次世代の大規模観測プロジェクトの標準となることが期待されます。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、宇宙の大規模構造の進化に関する理解が深まり、ダークマターやダークエネルギーなどに関する宇宙論パラメータをより精確に導出することが可能になります。最終的には、「我々はなぜここにいるのか?」という人類の究極的な疑問の答えに近づくことが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2024年8月7日に米国科学誌「Astrophysical Journal Letters」に出版されました。

タイトル:“The Negative Baryon Acoustic Oscillation Shift in the Lyman-alpha Forest from Cosmological Simulations”
(The Astrophysical Journal Letters, Volume 971, Issue 1, id.L22, 8 pp.)
著者名:Francesco Sinigaglia, Francisco-Shu Kitaura, Kentaro Nagamine, and Yuri Oku
DOI:https://doi.org/10.3847/2041-8213/ad66bf

なお、本研究は、JSPS科学研究費国際先導研究(22K21349)の一環として行われました。

参考URL

長峯健太郎教授
http://astro-osaka.jp/kn/

奥裕理研究員
https://www.yurioku.com/

用語説明

バリオン音響振動(Baryon Acoustic Oscillation; BAO)

BAOとは、初期宇宙において物質と光のプラズマが振動する現象で、この波の痕跡が銀河の分布に影響を与えて、銀河同士の平均距離に特徴的なスケール、すなわち「BAOスケール」が生じます。このBAOスケールは与えられた宇宙論モデルにおいて理論的に計算することができるため、宇宙における「標準的物差し」として機能し、観測データを用いて宇宙論モデルを制約するために広く用いられています。

ライマンアルファの森

クェーサー(主に遠方宇宙にある巨大ブラックホールで、非常に明るい光を放っている天体)からの光のビームが銀河間空間を伝播してくる過程で中性水素の雲を通過すると、その中性水素が光のエネルギーを吸収し、クェーサーのスペクトルに吸収線が生じます。この吸収線が重なって、複雑な森のような形状のデータになるので、「ライマンアルファの森」と呼ばれています。遠方宇宙の中性水素分布がそこに焼き付けられるので、遠方宇宙におけるバリオンの分布を調べるのに非常に役に立つ探査方法です。

宇宙論パラメータ

一般相対論に基づくビッグバン宇宙モデルは、6つの主なパラメータによって記述することができ、それらを「宇宙論パラメータ」と呼びます。例えば、物質やダークエネルギーのエネルギー密度、ハッブル定数、原始密度ゆらぎの分布(パワースペクトル)の振幅や傾きなどです。

ダークマター

ダークマターは未知の物質で、バリオンとは異なる素粒子だと考えられています。これまでのさまざまな天文観測から、宇宙全体においてダークマターはバリオンの約5倍のエネルギーを占めることが知られています。

バリオン

陽子、中性子(つまり原子核)と電子からなる我々がよく知っている通常の物質。

銀河間物質

銀河と銀河の間にある広大な宇宙空間も完全な真空ではなく、そこには非常に密度の低いガスが漂っています。その物質(特にバリオン)のことを銀河間物質(Intergalactic Medium)と言います。宇宙の物質分布やその量を正確に知るためには、この銀河間物質の分布を詳細に調べる必要があります。

クェーサー

主に遠方宇宙にある巨大ブラックホールで、非常に明るい光を放っている天体。巨大ブラックホールに落ちていくガスが重力ポテンシャルエネルギーを光や熱エネルギーとして解放し、ジェットやビーム状の光を放射していると考えられています。

ラグランジュ的摂動論

Lagrangian Perturbation Theory (LPT)と呼ばれる摂動論に基づいた密度揺らぎの進化モデルのこと。計算コストの高いN体計算や流体シミュレーションに比べて、より高速に宇宙の構造形成を計算することが可能なので、たくさんの宇宙大規模構造の統計的サンプルを構築することができる。