がん細胞を狙い撃て! がん特異的抗体の取得とその仕組みの解明に成功

がん細胞を狙い撃て! がん特異的抗体の取得とその仕組みの解明に成功

がん治療の標的分子探索における新たな戦略へ

2024-3-9生命科学・医学系
蛋白質研究所准教授有森貴夫

研究成果のポイント

  • 正常細胞上のHER2タンパク質には結合せず、がん細胞上のHER2タンパク質だけに結合する抗体の取得に成功
  • がん細胞上のHER2タンパク質では部分的に立体構造が乱れており、それががん細胞のみに結合する抗体の“目印”になることを発見
  • がん細胞のみを攻撃する抗体医薬品の開発への応用に期待

概要

大阪大学蛋白質研究所の有森貴夫准教授の研究グループは、東北大学大学院医学系研究科の加藤幸成教授の研究グループと共同で、がん細胞だけに結合して正常細胞には全く反応しない抗体の取得に成功し、さらにその細胞選択性の理由を結晶構造解析などにより明らかにしました。

HER2(human epidermal growth factor receptor 2)はがんの治療における標的タンパク質として古くから注目され、HER2に結合する抗体は、HER2陽性乳がんや胃がんに対する治療薬として利用されています。しかし、HER2は正常細胞上にも存在するため、従来の抗体医薬品では正常細胞まで攻撃してしまうリスクがありました。

今回、有森准教授らは、がん細胞上のHER2だけに結合できる抗体を取得し、その結晶構造解析や細胞を用いた結合解析等により、がん細胞上のHER2は部分的に立体構造が乱れており、それががん細胞を特徴づける“目印”となることを世界で初めて明らかにしました。これらの成果は副作用のない抗体医薬品の開発に繋がることが期待されます。

本研究成果は、米国科学誌「Structure」に、3月9日(土)午前1時(日本時間)に公開されました。

研究の背景

抗体は、標的分子に対して高い特異性で結合するため、がんをはじめとする様々な疾患の治療薬として用いられています。がん治療においては、抗体医薬をがん細胞に優先的に結合させるため、がん細胞の“目印”となる分子を標的にします。その“目印”としてよく利用されているのは、がん細胞において異常に生産され、正常細胞と比べてがん細胞の表面に圧倒的に多く存在しているタンパク質です。しかし、そのようなタンパク質は既に調べ尽くされ、新たな標的分子を探すのは困難になっています。さらに、相対的に量が少ないとは言え、正常細胞上にも存在するタンパク質を標的にすると、抗体医薬が正常細胞まで攻撃してしまい副作用を引き起こす可能性があります。乳がん治療における代表的な標的タンパク質であるHER2も、やはり正常細胞上にも存在します。HER2に結合する抗体は20年以上も前から研究され、トラスツズマブ(ハーセプチン®)をはじめとするいくつかの抗体医薬品が実際に臨床応用されていますが、がん細胞上のHER2だけに結合する抗体医薬品はこれまで開発されていません。

研究の内容

本研究グループでは、数百種にも及ぶ数のHER2に対する抗体を作り出し、各抗体について様々な細胞への反応性を調べることで、がん細胞にはよく結合し、正常細胞には全く反応しない抗体(H2Mab-214)を取得することに成功しました(図1)。

その後の解析で、H2Mab-214がHER2分子内のたった7残基のアミノ酸配列を認識することを特定しました。その配列を含むペプチドとH2Mab-214の複合体の結晶構造解析を行ったところ、抗体に結合したペプチドの形が、既報のHER2の立体構造中に見られる対応する領域の形とは全く異なっていることが分かりました(図2)。既報の構造では、この領域はβシートという比較的安定な構造を形成していることから、H2Mab-214はこの構造が壊れないとHER2に結合できないことが示唆されました。そこで、正常細胞上のHER2の立体構造を人工的に破壊してみたところ、H2Mab-214が結合できるようになることが確認されました。

これらのことから、がん細胞ではHER2の立体構造の一部が正しく折りたたまれておらず、H2Mab-214はそこを認識するため、がん細胞のみに特異的に結合できることが明らかになりました。さらに、マウスを用いた実験では、このH2Mab-214が高い抗腫瘍活性を持つことも示されました。

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図1. 乳がん細胞と正常な乳房上皮細胞に対するH2Mab-214の結合性の評価(フローサイトメトリー)

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図2. 正常細胞上とがん細胞上のHER2の立体構造の違いを見分けるがん特異的抗体H2Mab-214

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

近年のがん治療においては、抗体をそのままの形で利用するだけでなく、抗体に抗がん剤を付加させた「抗体薬物複合体」や、抗体の一部分を組み込んだ特殊なタンパク質を免疫細胞(T細胞)上に作らせてがん細胞を攻撃する「CAR-T細胞療法」など、抗体を利用して抗がん剤や免疫細胞をがん細胞に連れて来るような治療法の開発が盛んに行われています。このような殺細胞能力の高い治療法においては、抗体のがん細胞選択性が益々重要になります。通常、膜タンパク質は正しく折りたたまれたものだけが細胞表面に現れるように細胞内の品質管理機構によって制御されていますが、がん細胞においては品質管理機構に異常が生じることが知られており、様々な分子が構造の乱れを持ったまま細胞表面に現れている可能性があります。そのような「立体構造の乱れ」に着目することで、新たながん特異的抗体の開発が可能になることが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2024年3月9日(土)午前1時(日本時間)に米国科学誌「Structure」(オンライン)に掲載されました。

タイトル: “Locally misfolded HER2 expressed on cancer cells is a promising target for development of cancer-specific antibodies”
著者名: Takao Arimori#, Emiko Mihara, Hiroyuki Suzuki, Tomokazu Ohishi, Tomohiro Tanaka, Mika K. Kaneko, Junichi Takagi, Yukinari Kato# (#責任著者)
DOI:https://doi.org/10.1016/j.str.2024.02.007

なお、本研究は、科学研究費補助金、AMED 先端的バイオ創薬等基盤技術開発事業、AMED創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)等の支援を受けて実施されました。

参考URL

大阪大学蛋白質研究所 分子創製学研究室
http://www.protein.osaka-u.ac.jp/rcsfp/synthesis

東北大学大学院医学系研究科 抗体創薬学分野
http://www.med-tohoku-antibody.com

SDGsの目標

  • 03 すべての人に健康と福祉を
  • 09 産業と技術革新の基盤をつくろう

用語説明

HER2 (human epidermal growth factor receptor 2)

ヒト上皮細胞増殖因子受容体2。細胞の増殖に関与するとされるタンパク質のひとつ。正常な細胞にも存在し、細胞の増殖調節能を担っていると考えられるが、過剰に発現したり、活性化したりすることで細胞の増殖制御ができなくなりがん化する。HER2陽性率が高い腫瘍としては、乳がんや胃がんなどがある。

HER2陽性乳がん

約20%の乳がん患者ではがん細胞上にHER2がたくさん作られており、このようなタイプの乳がんをHER2陽性乳がんという。HER2陽性乳がんは増殖が速く、悪性度が高いことが知られている。HER2陽性乳がんにおいては、HER2に結合する抗体医薬品であるトラスツズマブ(ハーセプチン®)の出現により、治療成績が大きく改善された。さらにその後も、他の抗HER2抗体であるペルツズマブ(パージェタ®)や、トラスツズマブを応用した医薬品などが開発されている。

抗体薬物複合体

抗体に抗がん剤などの薬(ペイロード)を付加したもの。抗体が特定の分子に結合する性質を利用して、薬をがん細胞まで運び、そこで薬を放出することで、抗腫瘍効果を発揮する。

CAR-T細胞療法

遺伝子工学の技術を用いてキメラ抗原受容体(CAR)と呼ばれるタンパク質を作り出すことができるように T 細胞を改変したもの。CARは、がん細胞などの表面に発現する特定の分子を認識するように設計され、CARを作り出すことができるようになったT細胞をCAR-T細胞と呼ぶ。