MERSコロナウイルスに対する高親和性DPP4製剤を開発

MERSコロナウイルスに対する高親和性DPP4製剤を開発

将来のMERSパンデミックに向けて治療効果が期待される

2025-3-14生命科学・医学系
蛋白質研究所准教授有森貴夫

研究成果のポイント

  • 野生型のDPP4分子と比較して、MERS-CoVスパイクタンパク質に対して30倍以上の結合性、疑似MERS-CoVに対して約500倍の中和活性を示す高親和性DPP4製剤を開発しました。その中和活性は、治療薬として期待される中和抗体と同等でした。
  • 高親和性DPP4製剤は広範囲のMERS-CoV変異体に中和活性を示し、2015年 韓国で突発的に発生したヒト免疫から逃避を示す変異体にも有効でした。加えて、コウモリやセンザンコウを宿主とする近縁のコロナウイルスに対しても有効性を示しました。
  • MERS-CoVをヒト細胞に感染後、中和抗体を添加した状態で培養すると中和抗体が効かなくなる(逃避を示す)変異体が出現しました。一方、高親和性DPP4製剤を添加した状態では逃避変異体の出現は確認されませんでした。この結果から、実際の臨床現場で応用された場合でも逃避変異体が出現しにくいことが予測されます。
  • マウスの感染実験ではMERS-CoV感染前に高親和性DPP4製剤を投与することで、高い感染予防効果を誘導することが確認されました。MERS-CoV感染後の投与においても、ウイルス増殖を抑えることが確認され、治療効果も期待されます。
  • 高親和性DPP4製剤は高い中和活性と広い有効性を持ち、逃避変異体出現リスクも低いことから、将来起こりうるMERSならびに近縁のウイルスにおけるパンデミックを抑制することが期待されます。

概要

京都府立医科大学大学院医学研究科 循環器内科学 講師 星野 温、大阪大学蛋白質研究所 准教授 有森貴夫、国立感染症研究所 感染病理部 主任研究官 坂井祐介らの研究グループは、広範囲のMERSコロナウイルス変異体を中和できる高親和性DPP4製剤を開発しました。本研究成果は、2025年3月13日(現地時間)に米国科学雑誌『Cell Biomaterials』に掲載されました。

中東呼吸器症候群(以下、「MERS」という。)は2012年に発生した重症呼吸器感染症であり、現在でもヒトコブラクダがMERSコロナウイルス(以下、「MERS-CoV」という。)を保有していることから、将来的に変異ウイルスが出現し、パンデミックが起こることが懸念されています。本研究では、MERS治療薬の候補として、MERS-CoVのレセプター分子であるDPP4の結合力を高めた高親和性DPP4製剤を開発しました。高親和性DPP4製剤は野生型DPP4と比較して、約500倍のウイルス中和活性を示しました。また、広範囲のMERS-CoV変異体への中和活性が確認されたことに加え、コウモリやセンザンコウが持つ近縁ウイルスにも効果が確認されました。マウス感染実験では高い感染予防効果が確認され、高親和性DPP4製剤は懸念されるMERSパンデミックだけでなく、動物由来の未知のコロナウイルスパンデミックにおいても予防/治療への応用が期待されます。

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研究の背景

新興感染症発生は局地的に、時にはパンデミックとなり国際的に公衆衛生上の問題となります。呼吸器ウイルス感染症も度々パンデミックを起こし、近年では2009年の新型インフルエンザや2019年の新型コロナウイルス感染症(以下、「COVID-19」という。)が世界中で流行しました。その他、2002年に重症急性呼吸器症候群(SARS)、2012年に中東呼吸器症候群(MERS)が発生しています。特にMERS-CoVは現在もヒトコブラクダが保有しているため、将来的にパンデミックが懸念されています。未知のウイルス感染症の場合には事前の対策に限りがあり、COVID-19では平常化まで3年以上を要しました。このような事態を避けるために、将来パンデミックの懸念がある感染症に対してはワクチンや治療薬の開発が望まれています。我々はこれまでにも、COVID-19の治療薬として高親和性ACE2製剤の開発を行ってきました。ACE2は新型コロナウイルスのレセプター分子であり、開発した高親和性ACE2製剤は新型コロナウイルスの武漢株からオミクロン株、直近のKP.3株に至るまで効果を維持しており、コウモリなどの動物がもつウイルスにも効果があることが確認されています。そこで、本研究では同様の戦略で将来パンデミックを起こす懸念があるMERS-CoVや近縁のウイルスに対する治療薬の開発を試みました。

研究の内容

<高親和性DPP4製剤の作製>
MERS-CoVは感染時にDPP4というレセプター分子に結合します。つまり、DPP4はMERS-CoVへの結合能を持つため、その結合領域を利用すれば抗体医薬品のような感染阻害剤を作ることができると考えられます。野生型のDPP4はMERS-CoVスパイクタンパク質への結合力が弱いため、ランダム変異を加えて親和性の高い変異体を選抜する指向性進化法を用いて、結合力が30倍以上高まった高親和性DPP4変異体を得ることに成功しました。さらに副作用の原因となりうるDPP4の酵素活性を失活させる変異を導入し、薬物動態を改善するIgG1抗体由来Fcドメインと繋げることで高親和性DPP4製剤を作製しました。疑似ウイルスを用いて、各濃度における高親和性DPP4製剤の感染阻害率を測定したところ、野生型のDPP4と比較して約500倍の中和活性を示し、中和抗体と同程度の中和活性を達成しました。また、MERS-CoV生ウイルスでも同様の効果が確認されました(図1)。COVID-19に対してもカシリビマブ・イムデビマブやソトロビマブといった中和抗体製剤が治療薬として用いられており、高親和性DPP4製剤の中和活性の強さはMERS治療薬として期待できる結果となりました。

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図1. 高親和性DPP4製剤のMERS-CoV疑似ウイルス(左図)及び生ウイルス(右図)に対する中和活性。高親和性DPP4製剤は疑似ウイルス、生ウイルス共に野生型DPP4と比べてより低濃度で中和できており、高い中和活性を示した。

<MERS-CoV逃避変異体の出現抑制>
新型コロナウイルスでは、ヒトの免疫や中和抗体製剤に対する逃避変異体の出現が問題となりましたが、本研究のようにレセプター分子を治療薬として用いる場合、逃避変異体は宿主のレセプターへの結合性も低下し感染力を失うため、逃避変異体が出現しにくいことが考えられます。そこで、高親和性DPP4製剤に対して逃避変異体が出現するか検討を行いました。

MERS-CoV生ウイルスをヒト細胞に感染後、ウイルスが完全には中和されない低濃度の中和抗体または高親和性DPP4製剤を添加し培養を行いました。その後、増殖してきたウイルスを新しいヒト細胞に感染させ、同様に中和抗体または高親和性DPP4製剤を添加し培養を行うサイクルを繰り返しました。このように、「中和されにくいウイルス=逃避変異を得たウイルス」が増殖しやすい実験環境を作ることができます。中和抗体を添加した場合、サイクルを繰り返す度に中和できないウイルスが増殖し、10サイクル目のウイルスでは中和抗体の効果が見られなくなりました。一方、高親和性DPP4製剤存在下では10サイクル目のウイルスでも、その中和活性の効果が落ちず、逃避変異体出現が確認されませんでした(図2)。

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図2. 各製剤存在下におけるMERS-CoV逃避変異体の誘導。中和抗体を添加し培養した場合、サイクルを経るごとに逃避変異体の割合が増加した。高親和性DPP4製剤では10サイクル目のウイルスでも、元ウイルスと同様の濃度で中和することができた。

<高親和性DPP4製剤の幅広い有効性>
MERSが2012年に初めて確認されて以降、世界的なパンデミックは起こっていませんが、毎年MERSの感染者が確認されています。2015年には韓国で局所的に多数の感染者が発生し、186人の感染者が確認されました。この際、感染を起こしたウイルスはヒトが持つ免疫から逃避する変異体であることが研究でわかっています。このようにMERS-CoVでも次々と逃避変異体が現れることが想定されます。そのため、高親和性DPP4製剤が幅広い変異体に効果を示すか、この変異体を含む約10種の出現頻度が高いMERS-CoV変異体と近縁のコウモリやセンザンコウを宿主とする動物コロナウイルス(メルベコウイルス亜属)に対する中和活性を調べました。高親和性DPP4製剤はすべてのMERS-CoV変異体と一部のメルベコウイルス亜属に効果を示し、広範囲のウイルスに有効であることが確認されました。

<ヒトDPP4発現マウスにおける感染予防効果>
ヒトのDPP4分子を発現する特殊なマウスを使って感染実験を行いました。MERS-CoV感染前に高親和性DPP4製剤を投与したマウスでは高い感染予防効果が見られ、肺におけるウイルスの増殖が大きく抑えられることが見られました(図3)。また、MERS-CoV感染1日後に高親和性DPP4製剤の投与を行ったところ、ウイルスの増殖が抑制されており、治療効果も確認されました。

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図3. 高親和性DPP4製剤のMERS-CoV感染予防効果。MERS-CoV感染前に高親和性DPP4製剤を投与したグループでは肺におけるウイルス量(中央)、ウイルス抗原量(右)共に少なく、ウイルスの増殖を防いでいることが確認された。

まとめと今後の展開

高親和性DPP4製剤は抗体製剤と同等の中和活性を有し、さらに抗体製剤で問題となる逃避変異体が出現しにくいため、パンデミックリスクがあるMERS-CoVと近縁の未知のコロナウイルス感染症において非常に有用な治療手段になります。MERSは致死率が約30-40%であり、その中で本製剤の使用は致死率を大きく下げることにつながると考えられます。今後はサルの感染モデルにおいて予防/治療効果と安全性の評価を行い、抗ウイルス薬の開発を進める予定としています。

特記事項

【論文情報】
論文タイトル(英・日):Engineered DPP4 decoy confers broad-spectrum inhibition of MERS-CoV infection
「DPP4デコイ製剤は広範囲のMERS-CoV感染を抑制する」
著者:Keisuke Nishioka*, Yusuke Sakai*†, Daisuke Motooka, Naoko Iwata-Yoshikawa, Hiroaki Tojo, Satoaki Matoba, Noriyo Nagata, Takaaki Nakaya, Takao Arimori†, Atsushi Hoshino†
†責任著者:星野 温、有森 貴夫、坂井 祐介
雑誌名:Cell Biomaterials 3月13日オンライン掲載(日本時間 3月14日)

本研究は、日本医療研究開発機構(AMED) 新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業「高親和性 DPP4 デコイによる MERS 治療薬の開発」の研究支援を受けて実施されました。

用語説明

指向性進化法

タンパク質などに人工的に変異を導入し、機能を目的に応じて向上させていく手法。

疑似ウイルス

レトロウイルスの粒子表面のエンベロープタンパク質を別のウイルス由来のものに置き換えたウイルスで、今回はエンベロープタンパク質の代わりにMERS-CoVのスパイク(S)タンパク質を外套させている。危険性の高いコロナウイルスの代わりに疑似ウイルスを用いる事で比較的安全に実験が行える。

メルベコウイルス亜属

ウイルスの分類学上、コロナウイルス科-βコロナウイルス属の下位でMERS-CoVと同じくDPP4受容体を利用して宿主細胞に侵入するウイルスが分類される亜属