炭素原子1つだけを埋め込む新反応

炭素原子1つだけを埋め込む新反応

安定な有機化合物を炭素原子等価体とする新合成技術

2023-2-3工学系
工学研究科教授鳶巣 守

研究成果のポイント

  • 炭素原子1つを正確に埋め込む化学反応を発見。炭素中心に4つの結合の手を一段階で作る新反応。
  • 炭素原子は極めて不安定なため、これまで有用物質合成に利用できなかったが、安定な炭素原子等価体の発見によりこれを実現。
  • 比較的単純な化合物から1段階で複雑な構造を持つ化合物へと化学変換することが可能に。
  • 医薬品候補化合物の迅速探索・高効率合成への応用等が期待。

概要

大阪大学大学院工学研究科の大学院生の仲保文太さん(博士前期課程)、藤本隼斗助教、兒玉拓也助教、鳶巣守教授らの研究グループは、アミド化合物にN-ヘテロ環状カルベン(NHC)を反応させることで、炭素原子1つだけが正確に埋め込まれてγ-ラクタム化合物が得られるという反応を発見しました。

炭素原子は価電子を4つしか持たない極めて不安定な化学種で、これまで有用物質合成には利用できませんでした。

今回、鳶巣教授らの研究グループは、安定な有機化合物であるNHCを炭素原子等価体として用いることでこれを実現しました。これにより、医薬品候補化合物の迅速探索・高効率合成への応用等が期待されます。

本研究成果は、米国科学誌「Science」に、2月3日(金)4時(日本時間)に公開されました。

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図1. 炭素原子を1つだけを正確に埋め込む化学反応を発見。安定な有機化合物が不安定な炭素原子の等価体となることが鍵。医薬品候補化合物の迅速探索等への応用が期待。

研究の背景

有機化合物において炭素は要となる元素です。有機化合物中で炭素原子は通常、結合の手を4本持つ状態で存在します。一方で、結合の手を3本しか持たないラジカル、2本しか持たないカルベン、1本しか持たないカルバインという化学種も知られています(図1)。これらの化学種は、手の数が少ないほど、より不安定となり制御して扱うことが困難です。一方で、手の数が少ない化学種の方が化学反応を通じて新たに形成できる結合の数は多く、特徴的な反応へと応用できます。ラジカル、カルベン、カルバインはそれぞれ、前駆体となる安定な化合物が開発されており、これらの不安定化学種を化学反応で活用する方法論が確立されています。これに対して、炭素原子は、結合の手がなく、わずか4つの価電子しか持たない極めて不安定な化学種であり、それゆえ、化学反応での利用は実用的な観点からは達成されていませんでした。炭素原子は、化学反応に利用することができれば1つの炭素中心に対して4つの化学結合を形成可能であり、これまでにはない新形式の化学反応への応用が期待されます。しかし、炭素原子の等価体として振る舞う適切な化合物がないことが課題となっていました。

研究の内容

鳶巣教授らの研究グループでは、アミド化合物にN-ヘテロ環状カルベン(NHC)を反応させることで、炭素原子1つだけが正確に埋め込まれてγ-ラクタム化合物が得られるという反応を発見しました。生成物であるγ-ラクタム化合物にとりこまれる炭素原子はNHCの持つ炭素原子由来であることを実験的にも確認しています。NHCはこれまで、触媒や配位子として広く利用されてきた、有機化学では一般的な有機化合物です。本研究ではNHCの全く新しい性質として炭素原子等価体として振る舞うということを世界で初めて明らかにしました。炭素数を一つ増やす反応(一炭素増炭反応)は、有用物質合成において必須の反応形式です。これまで、一炭素増炭反応に利用できる様々な試薬が開発されていますが、いずれも炭素原子以外の原子も同時に導入するという形式の反応であり、本研究で実現された炭素原子ひとつだけを出発化合物に効率よく導入する化学反応は達成されていませんでした。炭素原子等価体を使って一炭素増炭反応を行うことにより、導入される炭素中心に対して新たに4つの化学結合を形成できます。このため、比較的単純な化合物から1段階で複雑な構造を持つ化合物へと化学変換することが可能になります。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、医薬品、農薬などの多様な有用化合物に広く含まれるアミド化合物に炭素原子を1つ埋め込んだγ-ラクタム化合物へと変換できます。したがって、γ-ラクタム構造を含む従来法では合成困難な多様な新規物質群から成る化合物ライブラリを拡充し、医薬品候補化合物の迅速探索に貢献することが期待されます。さらに、炭素原子を埋め込むという反応設計概念は、アミド化合物以外にも原理的に応用可能であるため、さらなる多彩な炭素原子埋め込み反応の創出も期待されます。

特記事項

本研究成果は、2023年2月3日(金)4時(日本時間)に米国科学誌「Science」(オンライン)に掲載されました。

タイトル:“Single carbon atom transfer to α,β-unsaturated amides from N-heterocyclic carbenes”
著者名:Miharu Kamitani, Bunta Nakayasu, Hayato Fujimoto, Kosuke Yasui, Takuya Kodama and Mamoru Tobisu*(責任著者)
DOI:https://doi.org/10.1126/science.ade5110

なお、本研究は、JSPS科学研究費助成事業基盤研究Aおよび挑戦的研究(萌芽)の一環として行われました。

参考URL

SDGsの目標

  • 02 飢餓をゼロに
  • 03 すべての人に健康と福祉を
  • 07 エネルギーをみんなにそしてクリーンに
  • 12 つくる責任つかう責任

用語説明

アミド化合物

カルボン酸とアミンの脱水縮合により得られる化合物の総称。タンパク質やナイロンなどの生体・合成高分子の主鎖および、多くの医農薬品に含まれる構成要素である。

N-ヘテロ環状カルベン(NHC)

窒素を含む環において、窒素原子の隣接位にカルベン(※6参照)を持つ化学種。カルベン炭素の空軌道へ窒素の非共有電子対が供与される効果により、通常のカルベンよりも安定である。多くのNHCやその前駆体が市販されており、有機化学研究に広く用いられる。

γ-ラクタム化合物

5員環の環状アミド化合物の総称。天然の生理活性物質や医薬品によく見られる骨格である。

価電子

原子が持つ電子のうち、最外殻に存在する電子のこと。有機化合物では一般に各原子の価電子数が8つになるように共有結合をつくり分子を形成する。

ラジカル

ここでは炭素ラジカルのことで、不対電子を持ち価電子数が7である炭素化学種。ハロゲン化物等の前駆体から容易に発生可能で、有機化合物の合成に広く利用されている。

カルベン

価電子を6個しか持たず電荷を持たない二価の炭素化学種。ジアゾ化合物等の前駆体から容易に発生可能で、シクロプロパン化など2つの共有結合を同時に形成する反応に利用されている。

カルバイン

価電子を5個しか持たず電荷を持たない一価の炭素化学種。ラジカルやカルベンに比べるとその発生法は限定的であるが、有機化合物の合成に利用された例もいくつか報告されている。

配位子

金属錯体において中心金属の空軌道に対して非共有電子対を供与して結合形成する分子やイオンのこと。配位子の性質により金属錯体の性質は大きく影響を受ける。

化合物ライブラリ

保存された化学物質のコレクション。創薬のプロセスは一般に、化合物ライブラリの大規模生物活性試験により医薬品の候補化合物を探索するところから始まる。化合物ライブラリには分子構造の多様性が求められる。既存の有用物質の構造をさらに修飾し、複雑度を増した化合物を合成することは化合物ライブラリの構造多様性向上の有効な手段となる。